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ちゃんとできればしているよ(必要になったら電話をかけて)

 2020年5月3日

朝食はパンを食べた。いつも食べているパンは、近くのパン屋で買っている。3年くらい前にできて、とても人気のお店。焼き上がり直後に行かないと食パンは買えない。店主もとても素敵な方。
 むかし、アルバイトをしていたお店のシェフに、料理の味なんか接客一つですべてが変わる、と言われたことがあった。彼はフランス、ベルギー、オーストラリアの星付きのレストランで働き、今、鎌倉でお店を開いている。この時分、大丈夫だろうか、少し心配になる。
 誰かのことを思い出したなら、誰かも私のことを思い出してくれる、そんなことを大学時代の友人と話をしたことがあった。五感で得た情報は記憶に残る。誰かと共有した季節、それと似た気候が記憶を刺激する。空は宇宙の果てまで続いている。宇宙の果てから情報を拾い集めている。

 手紙で近況を伝え合う友人がいる。ここのところ、手紙の返事をかけずにいた。時節、というのは難しい。共有できる時間が少なくなればなるほどに、枕詞みたいに意味を失う気がする。「桜の花はキレイ」で始まり、なんだかうそをついている気にもなる。桜の花は絶景だの、春爛漫だの。そんなものは嘘です。桜の花の淡いピンクは、人の血を吸って色づいている、と信じている私にとっては、きれいであることには変わりはない。桜の花の宴会は、桜の下で眠る死体への鎮魂だと思っている、できる限りのバカ騒ぎしなきゃならないと信じている私にとっては、「桜はキレイ」は嘘だけど本当。こんな性格がねじ曲がった人間が「今年も桜の花がキレイに咲き乱れ」などと、遠い友人に宛てる手紙の時候の挨拶にはむかない。むいていないけど、書きたくなる。書きたくなるけど書かない、を繰り返して気持ち悪くなってのでラインを送った。こんな世だけどもいかがお過ごしですか?と。情報社会の奴隷たち。

 お昼にピザのデリバリーを頼み、家族四人で散歩に出かける。昨日のロゲイニングの続きをしよう、と長男を誘ったら、今日はお母さんと遊ぶ日、と言われた。かわいいなと思う。2時間ほど近所を回り野草の花を採って帰る。『自然は導く』を読む。もう後半。具体的な事象がならびはじめる。地球儀があると便利だがないので、またもGoogleアース。
 昨夜同様、長男と一緒に『勇者ヨシヒコと導かれし七人』を二話、観る。体調が悪いので長い距離を走ろうと思う。創造よりも体調が悪く、半分くらいからほとんど歩く。明日はとりあえず走らないことにする。

『必要になったら電話をかけて』レイモンド・カーヴァー 村上春樹訳 中央公論新社

 1999年に世界は滅びるはずだった。
 予定は未定。何事もなく2000年の夜明けをいわき市の塩屋埼海岸で迎えることになった。どうやらその年に二十歳にはなれるらしい。そうなると、話は複雑になる。陸上部時代、足の遅いものは女性に近づくことなかれ的な体育会系で育ったので、女性と親しく話す時間があるなら走ろう、と持っていた。大学では部活に所属しているわけでもないのに。世界もまもなく滅びるし、とりあえず走って、本を読めたらいい。
 そうか、世界は滅びないのか。
さて、そしたらやることは一つ。かわいい女の子と付き合いたい。そのためにはイケてる男の子になろう。そして手にした、『必要になったら電話をかけて』。

 イケてる男の尺度が違う。案の定、方向性を間違えた男性像ではかわいい女の子と仲良くなれるはずもない。休みの日には60km~100kmくらいの距離を走り、路上の石ころや錆びた鉄を愛撫する。体力がなくなるといろんなものがいとおしくなる。アルコールでもギャンブルでもセックスでもなく、脳内麻薬ジャンキーと化して、メロウでヒップなランナーズハイを求める。カーヴァーの描く物語そのもの。
 残念なことに私の人生には別れがない。女の子と愛し愛される物語が編めない。走ることがガラティアとなって私のもとに現れることは一度もない。滑稽なピュグマリオン。そして、道化者のごとく、本質から私はどんどん離れていく。女の子と付き合いたかったんじゃなかったっけ?もはや、そんなことはどうでもよくなっていて、女の子なんてべつにいいさっと走りに行く日々。何も変わらない。これが依存症のこわさ。

 悲惨さ、という点においてレイモンド・カーヴァーほど巧みに物語る作家はいないんじゃないだろうか。自身に差し伸べられる手をことごとく傷つけていく。シザーハンズのようだ。「ちゃんと」生きなきゃいけないなんて誰だってわかっている。「ちゃんと」がわかっているから悲しい。「ちゃんと」が長続きしない。「ちゃんと」しようと思ったその刹那に「ちゃんと」はどこかへ行ってしまう。表題作『必要になったら電話をかけて』はドラえもんの『帰ってきたドラえもん』とダブってしまう。「ちゃんと」できないのび太にはドラえもんがいるわけだけど、「ちゃんと」できない私たちにドラえもんはいない。レイモンド・カヴァーの男たちからは女性が離れていき、世界滅亡の危機を乗り越えたばかりの私は、女性に近づくこともできない。
 

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