とげとげフェミニスト

フェミニズムという言葉を耳にする機会が増えた。
女性の社会進出が進み、目立つことのなかった層の主張が取り上げられている。

私は「フェミニズム」にあまり興味もなく、フラットな印象を持っていたが、最近は少し違う。
何というか、以前よりも攻撃的な印象を帯びた言葉になったと感じる。一部の活動家の過激な主張が、論理破綻していても男女平等の名の下に通ってしまうことが増えたからだ。

不思議なことに、所謂フェミニストの一部は、時として女性の生きやすさを阻害する振る舞いを見せる。
以前話題になった #KuToo 運動では「就活や職場でパンプス着用が当たり前。でも脚痛いよね!やめよう!」という主張が登場した。私も完全同意で、ハッシュタグを使用して投稿こそしなかったが、「地味目のスニーカーや、男性みたいなローファータイプも浸透するといいな。」と思ったものだ。

#KoToo のハッシュタグを付けた投稿が増え出した頃、「パンプスって可愛いし、ハイヒールが好きだから履いている。これからも履き続ける。」旨の意見が出てきた。
確かにヒールのある靴の方がスタイルが良く見えるし、ここぞというお洒落の際に選ぶ女性も多い。ただ、多分この主張は #KoToo の主張とは論点がずれていた。ヒールのあるパンプスを履きければ、好きな時に履けばいい。
本来の議論はあくまで就活や職場での規則として指定されるのはおかしい、緩和されるべきだ、という話で個人の嗜好は自由だ。

当時「みんな好きに装えば良いんじゃないの」とくらいに思いネットの議論を眺めていたが、「男に媚びる女性が運動を阻害する(意訳)」という尖った意見が登場した。
ヒールを好んで履く女性を「男に媚びている」と見るのはこじつけだ。論点がずれた一般人の意見にまで過敏に反応するのは、新しい論を展開する上で不要だった。

フェミニズムって、女性を生きやすくする運動だと思っていた。フェミニズムで男も女も本来の役割やらしさに縛られず生きられるのが理想。
しかし、悲しいことに今回のようなズレたやりとりは、フェミニズムの議論(特に玉石混交なネット上の議論)でしばしば起きる。

女性の脚が苦痛から解放されるのはとても素敵なことだが、ヒールを履きたい女性は「旧タイプの女性らしさ」の象徴なのか。会社の規則通りの服装で働き、声を上げないことはフェミニズムに反するのか。それは違うだろう。

「自分達は先進的だ」と正義感に酔っていないか。部活動めいた仲間意識に溺れていないか。他者の意見をただ排除するだけになっていないか。有意義に活動して欲しい。

繰り返しになるが、全ての女性が自分らしく、役割やらしさに囚われない世の中が実現して欲しい。そのためにも、一部のフェミニストは自重すべきである。下品な単語を駆使して罵り合うのは品位を損なう。

Web上でインセル等と口論したところで、痴漢は減らない。インセルが抱える問題はフェミニズムで解決しないし、同じ土俵で議論するとパートナーが見つからない嘆きと性被害や性暴力を並列に語ることになり誤解を生む。
二次元で少女が搾取されていることを訴えても、現実の女性は救われない。確かにコンビニで成人向け雑誌が堂々と売られているのは見目が悪いが、優先して解決すべき事柄が他にあるだろう。
私たちの敵はそこには居ない。

「男に媚びて金をもらう」と風俗業従事者を批判する活動家も多いが、風俗業は前科のある女性などの受け口となっており、完全に排除してしまうと恐らく貧困に喘ぐ女性を増やす。
今のフェミニズムには影響力がある。そこに想像力も加わると尚良い。

友人とこの話をして、結局「痴漢や理不尽な男性上司、配偶者なんかに直接向き合って、自分の状況を変えてゆく」ことだと結論づけた。Web上で主語の大きい主張をするのも良いが、普段から行動して楽になっていこう。

効果的な活動も沢山あると存じている。しかし、論理破綻した一部のユーザーがとにかく目立つ。一部の無法者のせいで「〇〇ファンはクソ」と言われてしまうのと同じく、フェミニストの印象はかなり悪い。フェミニストの彼女、というワードが好印象に聞こえる世は来るのか。

自分も女のはしくれとして、女性の生活を助けるフェムテックや、男女を区別しないユニセックスのアイテムが色々登場する現況を楽しんでいる。これからのフェミニズムに期待したい。

#KuToo 運動を見ていた当時考えていたことを、ほとぼり冷めた今なら良いかと思い纏めてみました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?