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Swinging Chandelier:13-オディール≠オデット(上)


本作『Swinging Chandelier』は暁夜花さま作『戯れシリーズ』に
おける登場人物がクロスオーバーします。
また公開された作品は全て事前に
暁夜花さまの目を通してあることをお知らせいたします。

暁夜花【戯れシリーズ】

Swinging Chandelier:13-オディール≠オデット

 会社には偽物の観葉植物がある。ぜんたい、ぷにぷにとしていそうで葉の先端は尖っている。それは窓に面した通路に置かれているから、毎日目に入る。
 浮島フロートと、わたしたちは呼んでいた。それはコンセントや充電ケーブルや文房具を中央部分にまとめた大きなテーブルで、わたしたちはその周りに立ったり座ったりしながら仕事をする。浮島のどのあたりに誰が位置取るのかに規定はないが、大体みんな行きたい場所があった。同じ作業をする人、同じ案件で関わる人同士で集まってみたり、一人で黙々とやることがある日はお気に入りの場所に行ったりと、一つの浮島はそれ自体がアメーバのように動いていて、そしてわたしが所属する部署にはいくつかの浮島があった。部署によっては浮島同士がパーテーションで区切られているところもあったがわたしのところにそれはなく、どこに誰がいるかがよく見えた。
 オフィスに入って、左側に並んだ窓の側を通路として確保し、右側の広いスペースにいくつかの浮島がある。通路をまっすぐ行くと、大きく張り出した事務用のキャビネットに突き当たる。これは衝立の役目も果たしていて、後ろには給湯スペースがある。小さなコンロもついていて便利ではあるのだが、いつだったかそのコンロでスルメを炙ったやつがでて臭いのせいで笑いと怒りを買ったり、社員用の冷蔵庫の中から消費期限切れの豆腐が出てきたり、そんなことが起きる。
 普段はあまり残業もしないで済んではいるが、大きなイベントの直前なんかはそれこそもう会社に泊まろうかなんて忙しさがやってきたりする。ちなみにスルメ事件が起きたのはそういう、忙しすぎてハイになる人が続出する時期で、真夜中に作業がようやく終わり、そのまま会社で仮眠をとってからまた次の仕事をするみたいなわけのわからない状況だった。キレたわたしが、冷蔵庫に残されていた、いつだったかの社内パーティーの余りのビールを飲み始めて、便乗した後輩の村松がコンロでスルメを炙り、そして部長が「くせぇんだよ」と笑いながら怒って、最終的にその日居残っていたメンバー全員で冷蔵庫の中の酒を空にしたんだった。
 そんな騒がしい期間が過ぎると、水を打ったというほどではないけれど静かな期間がくる。なんというかそういう起伏は、わたしにとっては面白いというか、心地よいのだと思う。
 偽物の観葉植物の樹脂でできたあざやかな緑が、出社した今朝の窓辺にもある。横を通り過ぎるその時に、いつも指でつん、とつついてみる。ぷにぷにと弾力がある割に葉の先端は尖って、人差し指に跡がつく。それはすぐに消える。指をさすりながらわたしは浮島の端に鞄を置き、パソコンを起動させながら、紅茶を淹れるために給湯スペースへ向かった。

『―――ハロウィンの魔女イメージで描きました!ビシバシ、アドバイスください☆アンズ』
 ラップトップの画面に、黒いドレスを着た少女のイラストが広がっている。
 添えられたメッセージとそのイラストと、交互に目をやりながら浅い溜息をつく。朝イチでこれか。だから契約外で仕事の話はしないとアンズさんには伝えたはずなんだけれど、なんでこうなるかな。
 朝の、まだみんなエンジンはかかり切っていないけど、これから仕事するぞみたいな静かな喧騒は少し好きで、わたしもティーバッグの紅茶を机に置いて仕事モードというところにひたりたかったのだが。
 大体わたしは普段からこの手の、アンズさんが言うような「ちょっとオタク」なジャンルを担当していないし、あまり詳しい方ではない。それに何というか、この絵は……。
 パフスリーブに膝丈くらいの長さの黒いドレス。ゴシックロリータのテイストだけど、実際のクラシックロリータのワンピースというよりは、アニメ調、なのか?スクエアに開いた襟元から乳房が丸く水風船のように服の上からでもわかるように盛り上がっていて、その割にくびれたウェストには立体感があまりない感じ。足元に白い猫が描かれて、ハロウィンって黒猫イメージあったけど、服が黒いから猫は白にしたのか?
「あれ。上條さん、そんなクリエイターさん担当してましたっけ?」
 軽く頭を抱えている私を背後から呼び止めたのは、後輩の村松だった。彼は、わたしがアンズさんと最初に出会ったあのイベントの担当の一人だ。
「なんだよ村松のエッチ。いきなり画面見てさ」
 村松は仕事始めの珈琲を淹れたマグカップを片手に、意外そうな顔をしている。
「いやすんません。なんか上條さんがそっち系の絵を見てんの珍しいなっていうか」
「村松の入ってるチームが企画したイベントあったでしょ?わたしが当日ヘルプ行ったやつ。それ関係で、なんていうか、ちょっとアドバイスほしいですみたいなかんじの」
「うわ。一番アレじゃんそういうの」
「はは。本当のこと言うなよ」
 軽口で答えながら考える。この絵、女の子のこの笑顔、くびれた細い腰の上の丸くて、なんだろう。
「上條さん。このイラスト描いた人って、実際に会ったことある人ですか?」
 村松がいつものような軽い調子の中に、少しの慎重さを混ぜる。
「対面って意味なら一応あるけど。なんで?」
「いや。見た感じ、こういう描き方をするのって、夢見がちでいろいろ無自覚な地雷乙女か、三十過ぎて童貞拗らしたオタク君かの二極化が多いんすよ。勿論そうじゃない人もいるけど」
「村松の発語コンプライアンスどうなってんの?」
「あーいや。すいませんつい。にしてもね」
 村松はマグカップを机に置いて、画面を指差す。
「窮屈なんすよ、その絵」
 画面の中の女の子と目が合う位置で、村松はさらりと言った。
「窮屈?」
「ほら、女の子が正面向いて笑ってるでしょ?この顔はすごく、なんていうかわざわざフラットに、癖を限りなく抜いた笑顔って感じがする。テイストはファンタジー系のスマホゲーとかティーン向けの漫画とかそっちらへんなのかな。衣装もハロウィンを意識して黒とか紫とか重い色で、形は可愛いけどちょっとセクシー路線っぽくしてますよね、」
 村松の指が女の子の顔から下がって、躯の真ん中あたりを指す。
「ここほら、ウエストを絞って胸強調してるんだけど、それがもとの躯のラインにも衣装の形にも少し噛み合わないから、胸と衣装だけコラージュみたいに浮いてる。上條さん的にこの服どう?」
「そう、ね。ドレスのデザインの割に布が薄い感じに見えるかな。一番上は織り模様っぽい生地で描かれてるから、布地を意識してもう少し陰影を立体的に描いたほうが収まりが良く見えると思う。でもこの辺のジャンルって服がメインじゃないし、そういうイラストは多いんじゃないの?」
「まあそーですけど。それにこの人だって下手って訳じゃないですよ。全体の帳尻を考えて綺麗にまとめてはきてる。けどなんていうか、一つ一つのちぐはぐな部分が妙に引っ掛かる感じ。おれの偏見ですけどこれ描いた人ね、見たいものと見てるものが多分、噛み合ってない。だから窮屈」
 『真黎さんは大人なんだもん』『あんまりコスプレみたいな格好だとその『痛く』ないかなって』
 少し困ったように笑う村松の言葉の上に、アンズさんの高く上擦った声が、頭の中で重なった。
「村松、美大出ただけはあるな」
「だけってなんすか、やだなあ。あとはあります?」
 白猫の真意が知りたい、とは言いづらい気分だった。衣装が暗い色だから白い色を選んだだけなのかもしれない。けれどそういう理由だけではないような気も確かにしていて同時に、深掘りするのは危険だと何かが告げていた。
 これ以上村松に詮索されても困るので、仕事の話で撒くことにした。
「そうねあとは、締め切り延ばしてる書類あったでしょ?今日中に出してね。途中で詰まったらすぐ聞きにきていいから」
 チャラいようでいて、感覚的なことに関して村松は聡いのだ。
「はいはい。わかりましたよー」
 とりあえずイラストの画面を閉じ、そのまま仕事を始めた。
 先月のワークショップイベントの人気を集計し、報告書を作っている。最近はこういう参加型のイベントに人が集まりやすい。クリエイターたちも作るだけではなく、教える需要に対応しようとしている。ただこの場合、複雑な工程や長い時間を要するものは分が悪い。一日、二日のイベント内で完結するワークショップでできることには限りがあるからだ。うちのようにイベントの企画や開催を行うような会社、登録しているクリエイター、それぞれの利害がある。だからこうして社員は、うまいこと行くように日々あくせく働いている。
 あー。私の鞄作ってくれたレザー職人さん、この間初めてワークショップやったけどやっぱり集客あまり良くなかったな。隣のブース派手だったから配置良くなかったかな。いい作品作るからまた続けて欲しいな。そんなふうに、社員のわたしはあくせく考えてみたりする。
 昼休みも終わり、仕事がひと段落して小休止をとっていた夕方、眠くなってきたから珈琲を淹れて、またアンズさんのイラストを画面に出してみる。
「他所の家の飼い犬に首輪つけるような真似、するんじゃないわよ?」
 わたしは少しびっくりしてマグカップを持ったまま声の方に振り向いて、しばしまばたきを繰り返した。それは、隣に座っているさゆりさんの声だった。さゆりさんの口調それ自体は穏やかで、目以外は笑っていたけれど。
「それ、この前わざわざ上條を探して会社までやってきた女の子が送ってきたんでしょう?」
 さゆりさんは、浅く静かなため息をつく。
「そうですけど」
 答えながらわたしは画面を最小化して珈琲を一口飲んで少し落ち着きながら、他所の犬に首輪?いやたしかになんか的確なような気もしなくはないけれど、さゆりさんもすごい表現してくるな。
「そうですけど。なんというか、向こうから『首輪つけてくれ』って頼んできた感じ、ですかね」
 さゆりさんは一瞬眉を顰め、それはすぐに元の、眉尻をなだらかに細く整えた綺麗な平行眉に戻った。さゆりさんは言葉を選んでいるようだった。
「逆にあんたが首輪つけられてました、なんてことにはならないようにね」
「さゆりさんそれ、上司として言ってます?」
 多分そこでわたしは、少し自嘲気味に笑っていた。
「まさか」
 さゆりさんは優しく笑った。
 結局村松の書類が遅れて、最終チェックをしないといけないわたしの残業が確定した。村松は愛想よく謝りながら定時に帰り、わたしはさゆりさんに、残業すると光熱費の件で総務がうるさいからなるべく早くねと言われ、わたしはわたしで、一番居残りしてるのは総務じゃないですかと文句を垂れていた。
 わたしのいる部署はイベントで稼ぐ分、外回りや何やら出費も多い。だから普段の残業を最小限にして会社の金をおさえて、イベントの分ボーナスで給料を上げていく仕組みだ。本当、世の中うまく回っている。
 わたし一人しか残業しないから天井の電気も消して、デスクライトとパソコンの明かりが浮島にぷかり。
 やることはなんとか終わったし、八時を過ぎるからそろそろ帰らないと。と、思いつつも、疲れたのかなかなか席を立つ気にもなれずにぼんやりとしていた。

「やっほー☆お絵描きチューバーのアンズだよ☆今日はこの前の続き、ハロウィンの魔女さんを描いてくからね!」
――ハロウィン?お菓子をくれないとイタズラしちゃうやつ!?

 コインの流れ星。
「あははっ☆お菓子とか魔女アイテムとか描くの大変なのが多いけど、期待してくれるの嬉しいな。ありがとー☆」
――アンズちゃんも今描いてるやつみたいな魔女っぽいの着ないの?ハロウィンコスでライブ配信とかー
――ハロウィンコスイベントとかパーティーにアンズちゃんいたら絶対カワイイでしょ

――魔女っ子のアンズちゃんなんてイベント会場にいたらお持ち帰りされちゃいそうだね
――え、これイベントコスの予告的な配信?
――マジ?どこのイベント?絶対行くんだけど
――リア凸の価値あり?いいねそれ
――むしろ凸待ちだったりしてwwwww

 コインの流れ星。
「もーぅ。みんな想像力たくましいんだからっ。えっとね、この魔女さんは白猫がマスコットでね……―――」
 耳から思い出しているのは、ちょっと恥ずかしそうなアンズさんの声音。高くて上擦ったその声が応えるたびに、コインの星屑がばらばらと降る。実際に音がするわけではないけれど。
 それは、わたしが途中で回線を切った配信だった。
――こんなチラ見せコスでイベントなんて旦那さんに怒られちゃうよねwww
――悪い子のアンズちゃんもカワイイでしょ
――え?アンズちゃん人妻なの?

 流れ星が、投げつけられる。
「だーかーらーっ背後詮索はなしなーし。あとーアンズはフツウのオンナノコなんだからハロウィンパーティなんて行かない行かない♪乙女はハグとキスで充分なんだぞ☆さーて次の色はね―――」
 
 確かこのあたりで聞くのをやめたような、気がする。取引のような切り売りのような配信。期待されて、当てはめられて、「可愛いね」って言われる。知ってる知ってる。嫌だけどこれがなくなるのも嫌だっていう、そういう気持ちよさ。
 めんどうくさい。
 フツウのオンナノコはコスプレしたりハロウィンパーティーに行ったりはしないんだ。そうなのか?フツウのオンナノコって名乗ったことがないからきっと余計にわからないんだわたしは。きっと多分。
 違うだろ。
 ひしゃげた鉄骨の内側に存在する空間みたいな、それ以外の場所とは密度の違うものがあって、それがわたしの肺胞や血管を軋ませる。
 明かりの落ちた浮島にぼんやり光るラップトップ。顔をあげてわたしは、黒と紫のドレスを着た、フラットな微笑の少女を指でなぞってみる。静電気のせいで、ごく薄く付着した埃を液晶パネルに感じる。
 わたしはあまりゲームとかアニメとか、特にソーシャルゲームに使われる描画の傾向というか、流行りのオタコンテンツが用いる表現技法を、どちらかといえば遠ざけがちな部類の人間だと思う。それにわたしが感じるアニメっぽさにしたって、中から見たらさまざまな差異があるんだろうし。だから余計に、アンズさんがなぜわたしにわざわざイラストを送ってくるのかがわからない。
 なんだろう、最初に見た時から感じている、この絡まるものは。これの名前がわからない。縋るような侵すような懇願するような踏みつけるような。
『真黎さんみたいに大人っぽい人、わたしの周りにあんまりいないから憧れちゃうなー、なんて』
 甘い匂いがして喉の奥に苦酸っぱいようで舐めたらしょっぱそうなもの。
「もしかして、くるしいの?」
 静電気の埃をなぞりながら、女の子に話しかけてみる。
 わざとフラットに描かれた笑顔。どこかちぐはぐな服と躯。黒、紫。
『これ描いた人ね、見たいものと見てるものが多分、噛み合ってない』
 だから窮屈な絵。
 わたしと行ったイタリアンレストランでアンズさんは、お洒落もイラストも大人っぽくなりたい、変わりたいと言っていた。
 お洒落とイラスト、それだけ?
「アンズさんが欲しい大人ってなに?」
 わたしの薬指で塗りつけられたベルベットローズに頬を赤らめて。
『強い赤系の口紅って憧れちゃうけど、わたしには難しくて』
 ああそうか。
 アンズさんはフツウのオンナノコだから、キスとハグだけで充分幸せな乙女だから、だから殻を破りたいなんて言ったんだ。だから首輪つけて欲しいだなんて。
『だって真黎さんはわたしと違っておとななんだもん』
 だから紅い口紅は、他人の指で塗られる必要があったわけで。
 困ったな。まさかこんなところにまでわたしを正気に戻す種が混じっていたなんて。だいたい男も女も結局……いやまた考えが飛ぶからそう、イラストに関する返事は適当にはぐらかして流して、きっとその方が。
 そう思って当たり障りのない文章をタイプし始める。
 ぱちぱちとタイプの最中、ぴょこん、と画面に吹き出しが出る。明かりの落ちた浮島に、わたしの心臓が鳴った。
「―――アンズです。今って、すこしお電話とかできますか?」

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