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「死が近い人の周りには、死が近い奴が集まると信じてる」

半年前、自分はTwitterとDiscordを始めた

通院を終えて、薬もやめてからこの界隈に潜り込んだ

ここで繋がれた人々の中には、すでにこの世を去ったり、姿を消した人がいたけれど

みんな死にたがりで、ヤク中で、病気で、障害で、弱者で、社会不適合で、そんな彼らがいるこの掃き溜めが居心地いいと思った。

そうかも


僕がいる界隈では、死に方の悩みや、迷惑をかけずに逝く方法、薬についての情報交換が日常的に行われている。覗けばいつも誰かが死にたいと願い、オーバードーズや自傷行為が目に付く。

以前、自分は一人で調べた方法で自殺を試み、二度失敗した。その時、ネット上の誰かと交わした記憶はない。
しかし、今僕がTwitterで見ているのは、人々が他者と関わりながら、自らの死に方を模索する様子だ。その行動に何か矛盾を感じる。

この界隈の多くは、死にたがりの人々で溢れている。彼らは自嘲しながらOD,自傷を繰り返したり、それをファッションやエンタメに昇華させコンテンツ化し承認欲求を満たしたり、創作の題材にしている。そんな彼らを嘲笑いながらも酒や薬物を乱用し、自殺未遂を繰り返す者もいる。

こんな環境にいれば、一線を超えることは案外簡単かもしれない。
実際に死んだ人もいる。でも、本当に遂げる者は少ない。死にたがりでも死ぬのは難しい。

死ねないであろう種類と量の薬物OD、頼りない場所と紐で首吊り、ビニール袋による窒息、リスカで失血…
大抵は不確かな方法で未遂を繰り返し、死なない。
これらは、自力救済をしない社不の前借りと先送りの毎日の現れだ。
しょうがない、、


社会は案外厳しくない、けれど怠け者が生きていくのは難しい

この界隈の人間の大半は何もできないカスで、変なプライド持ってて、ヤク中でまともにコミュニケーションが取れない社会のはみ出し者。
せいぜい内輪で傷を舐め合うのが限界だ。そんな自分達に手を差し伸べる者はほとんどいない、何かしら乗り越えようと努力でもしていれば、まだ誰か同情してくれたかもしれない
死んだほうがマシなのかもしれない

でも、そんな集まりだけど居心地が良かった
だってみんな自分のこと全然できないのに人には優しかったから、お互いが傷つかない距離感で助け合える仮想のこの環境が優しくて抜けられない
たぶん、死ぬまでずっとそうだ

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