見出し画像

トランス

このFacebookのリール動画を見て、思わず書き始めたら、長くなってしまったので、こちらにまとめておくことにします。特にトランスについて感じたことですね。

https://www.facebook.com/share/r/A5ejt5VD8EyxQnuW/?mibextid=UalRPS

どこの国かはわからないけれど、きっとバリ島のチャロナランと同じようなメカニズムかなと思われます。民族を問わず、時代を超えて、世界中の全ての地域にこのようなガス抜き装置と言えるような儀式はあったのでしょう。ある種のセラピーとしての役割とも言えるけれど、しかし雑な波動なものは危険も伴うと思われ、見ていてハラハラします。

要はオーバーエネルギーで神経を焼き切らないように注意しておく必要はあるということでしょうか。たしかにこのような儀式では、どこの民族であっても、かならず世話役がいて、グルがいて、ある程度の安全は担保しているのだと思います。

ちゃんと方向性を示す地図が必要ということから、生まれてきたのが宗教、哲学、科学ということなんだろうけれど、なかなか迷路から抜けられないのが人間のサガという感じでしょうか。その迷妄といってもいいようカオスの上に築かれているのが今の文明でもあるわけだから、社会的に「まとも」ということもじゅうぶん疑わしいということを知っている必要はあると思います。

思えば、大きなエネルギーに出会ってしまった時に、このようなカオスに陥らないために、ヨガや呼吸法はあり、瞑想をするのでしょう。エネルギーに振り回されるのではなく、エネルギーを扱えるだけ、人としての容量を高めていくということかも知れません。

しかし、トランスして叫び、気を失うというのもプロセスだし、そこを通り過ぎることで、器として大きくなり、容量を増すことで、エネルギーを使えるようになっていくということはあるのかも知れません。そういう意味ではこれも必要あって生まれたシステムと言えるのかも知れません。

そして、きっと踊りもそうなのだろうと思います。だんだんと、より大きなエネルギーに接していっても、取り乱すことなく、対処できる領域に行くために、稽古はあるのでしょう。

そう考えると、踊りで仮面を使うということには大きな意味があると思います。仮面だけでなく、あらゆる呪物と言えるものは、エネルギーを増幅させる力があり、だからこそより一層普通ではない体験をすることになるわけです。それだけ大きなエネルギーに出会うことでそれまでには得られなかった貴重な経験を積むことができるのでしょう。

もっとも、これは仮面とは何なのかということの答えにはなっていないけれど、少なくともなぜ稽古で仮面を使うことに意味があるのかということには答えているように思います。

人はさまざまな経験を通してなんらかの無意識的な挑戦をしていくのでしょう。そして、何が必要なのかはその人自身が知っています。みな別々の道を歩いているので、だから、自分の経験が全ての人に通じるとは限らないことを知っていないといけません。

他者には他者の選択があり、それぞれの道筋があります。だからこの動画のような場面に遭遇したとしても、それを尊重し、もし居心地が悪ければ、そっとその場を離れれば良いだけなのでしょう。

しかしながら、何が起こっているのか、構造的に意味がわかっていれば、安心感はありますね。たとえカスタネダのように崖から飛び降りるとしても、プロセスを経て準備が整ってから飛ぶのと、なんの準備もせずに飛ぶのとでは、結果も違うでしょう。

そしてその先に、意味のあることが待っているという予感があるからこそ、そこに挑戦したくなるのだろうと思います。

ちょっとだけ書くつもりが、思いがけず、長文になってしまいました。でも、なぜ仮面の稽古をするのかということの、ひとつの答えを得たような気もします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?