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身体の中で発酵しているもの

今日も3時に目が覚めた。ここ数日、ずっとこんな感じで、まだ暗い闇の中で目を覚ましている。

身体の中では相変わらず発酵したかのような、シュワシュワした微細動が続いていて、その振動の元を辿っていくと、どうやらオーム斉唱で立ち上がってくる洞窟のような空間に繋がっているようだと思った。

この感覚は今までにも何度かあったと感じていて、なつかしくもある。まさに「この洞窟はいつかきた洞窟」という感じ。インドで起こったことも然り、あのお面に初めて出会った時のことも然り、今回のことも、僕にとって決定的なインパクトを与えるものとなったのだと思う。

その、身体内の振動に、シュワシュワした微細動に、洞窟から響くオームの音に、耳を澄ませていると、必ずこの前の新年会での踊りのことが浮かんでくる。

なぜそう思うのかわからないけれど、あの踊りには続きがあるという思いがずっとあって、続きのイメージまで朧気ながら出てくるのだけれど、それを見るためには、まずこの前の踊りを完成させなければいけないと思っているらしい。

この前の踊りは長い長い円環ストーリーの一部を切り取ったようなもので、しかもそれを15分に圧縮したダイジェスト版というようなものだったという感じがしていて、だからせめて30分くらいはかけて、ちゃんと成就させてあげて、初めてその続きを見ることができるというような感覚がある。

そんな風に思った途端に、身体内の振動が高まってこみ上がってくるものがあり、やはりこれは何かとても大事なことなんだろうと思ったんだよね。そんなわけで、まだまだ暗い寝床の中でこんなことを悶々と書いているというわけだ。

踊りを続けるためには、なんらかの仕事をしないといけないと思っていたけれど、むしろ踊りを続けるためなら、喜んで幅の世界にも舞い戻ってやるという感覚も出てきていて、おもしろいなと思う。

昨日はYouTubeの中を徘徊していろんな音を聞いたり、踊りを見たりしていたんだけど、僕にとって響くものとは、同じ洞窟の深みが感じられるものであって、そうでないものはどんなに技術的に優れたものであっても、有名な踊り手のものであってもまるで響かない。

そういう意味では、原初舞踏の新年会はすごかったなとあらためて思うんだよ。それぞれに個性際立つ舞台だったし、それらすべてをまとめ上げて、あの場を完結させた、最後の最上さんの踊りは鳥肌ものだった。

ものすごいエネルギーで身体が反応して、僕は途中咳き込んでしまったんだけど、最上さんがおろしたエネルギーが僕の喉にアタックして、「吐き出せ、思いの丈を吐き出せ」と言われたような気がしたんだよね。「何を躊躇してるか!?」というような気迫があった。

舞台上の最上さんはランダのようであり、鬼子母神のようであり、不動明王のようでもあった。とにかくとてつもなくすごいものを見てしまったということが、いまだにシュワシュワが続いていることにもつながっているんだろうと思うのだ。

外はまだ暗いけれど、とりあえず今書きたいことは書ききれたと思うので、今日はこのくらいにしておこう。空が白み始めるまで、何か音を聞いて頭の中で踊ってみようと思う。

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