見出し画像

中日ドラゴンズで学ぶ敬語の歴史―なぜ与田監督は「お前」を不適切と批判し、立浪監督は「稀代の名将・タツナミ」と呼ばれたのか?(2)―

[1][2] (※期間限定&無料公開記事)
2024/4/4 Riku(
@anima_solaris)
関連通常記事「
ラテン語と英語の敬語の話


第1話目次

1.「お前」という言葉の価値

2. キーポイント

3.「お前」から敬意が消えた日

4. 英語との対照分析

 (第1話より)


5. ヨーロッパの言語の敬語

 (急ぎの読者は第7~8章を先にお読みいただきたい)。

英語にも敬語はあるか

 英語にも敬語は存在するかという問いは多くの人が一度は関心を持つ話題だが、言語学的には複雑なテーマである(ネウストプニー1974: 8-40)。

 英語のようなヨーロッパの印欧語には普通、日本語の尊敬語・謙譲語・丁寧語ほどの体系化された敬語システムはあまりない(ibid.: 11)。
 だが種々の敬意表現の存在は認められている(ibid.: 13-14)。
 先験的に考えても敬意のような価値判断を表す手段がまったくない言語というものは容易には想像しがたい。

 go on「続く」のような句動詞よりcontinue「継続する」のようなラテン語起源の動詞(cf. Lat. continuō「結びつける, 継続する」)のほうがフォーマルな響きを持ちやすいことなどもよく指摘される。

 とはいえ日本語に比べれば敬語の種類が限定的常体と敬体の差が小さいことは一般に認められている(ibid.: 13)。
 そうした言語差もまた注目に値し、それを踏まえずに有無のみに単純化するのも躊躇われる話だろう。
 事実を正確に語ろうとすれば明快にならないことも多いのが学問の宿命だが、月並みな言い方をすれば「定義次第」ともいえようか。

 少なくとも二人称単数のyouが古くは敬意表現だったことは間違いない。


英語のthouとyou

 現代英語の人称代名詞は普通単複を問わずyouである。しかしこの語は本来二人称複数(の変化形)で、古くはthouという単数形があった。
 (主格thou「あなた」, 対格thee「あなたを」, 限定属格thy/thine「あなたの」, 独立属格thine「あなたのもの」, 再帰形thyself「あなた自身」)。

 古英語期(11世紀中葉以前)にはþū「あなた(が)」(> thou)が単数、ġē「あなたがた(が)」(> ye)が複数という純粋な数の関係で(堀田2009/10/24)、このġēの対格/与格ēow「あなたがたを/あなたがたに」がyouの祖形に当たる。

 中英語期(11世後半~15世紀後半頃)になるとthou/theeは親しい相手や目下の相手に使う親称(fam.)になり、複数形ye/you二人称単数の敬称(hon.)としても使う習慣が普及していった(堀田2009/10/252010/02/12)。
 背景には中世ラテン語や古フランス語からの影響も考えられる(cf. 現代フランス語: 2sg-fam. tu, 2sg-hon. vous, 2pl. vous)。

 だが近代英語期には敬称のyouが親称のthouを吸収していき、さらに変化形のyeの役割さえも兼ね、今では敬意の有無や単複の違いに関係なく使われるに至った(堀田2011/07/062012/05/28)。
 本来は敬意表現だった形式が安全策として選ばれ続けた結果、それがフラットな表現に落ち着いたのである。

 面白いことに現代ではyouの二次的な複数形としてyou allyou guysなどの俗語表現も生まれてきている。


二人称と敬語

 実は敬語が少ない言語の中にもそれが発生・体系化しやすい領域がある。
 それが人称代名詞(特に二人称)動詞の命令形で(ネウストプニー1974: 11)、私見として両者には相手への呼びかけという共通点がある。

 ヨーロッパには二人称複数(2pl.)、三人称単数(3sg.)、三人称複数(3pl.)の代名詞などを本来の二人称単数(2sg.)の代わりに敬称(honorific form, hon.)として使う言語が多い(T/V-distinction; 堀田2009/10/11)。
 逆に親しい相手などを指す本来の二人称単数代名詞は親称(familiar form, fam.)と呼ばれる。

フランス語 2pl.由来
2sg-fam. tu
2sg-hon. vous ← 2pl. vous
(堀田2009/10/11), T/V-distinctionという用語はこのtu/vousに由来。


イタリア語
 3sg-f.由来
2sg-fam. tu
2sg-hon. Lei ← 3sg. lei (女性形f.)
(坂本2009)

スペイン語(カスティーリャ地域) 2pl.所有形容詞+抽象名詞由来
2sg-fam. 
2sg-hon. usted < 2pl-poss. vuestra merced「あなたがたの恵み」
(山下1985: 149-158)

ドイツ語 3sg-f.と3pl.の混交形由来
2sg-fam. du
2sg-hon. Sie ← 3sg. sie (女性形f.), 3pl. sie
(高田2011: 143-162; 堀田2009/10/292015/02/02)

  このように二人称に常敬の区別を持つ言語は多数派ではないが、ユーラシアを中心とした広い地域に分布し、現代でも世界諸言語の1/4程度が該当するといわれる(WALS: chapter 45, "Politeness Distinctions in Pronouns")。
 もっとも両者の違いが日本語でいう常体と敬体の区分と常に一致するわけではない(ibid.)。


文化人類学から見た敬語

 文化人類学的には相手を呼ぶ行為は「声で相手に触れる」という意味を持ち、身体への接触に準じた文化的タブーが発生しやすいことが指摘されている(滝浦2008; 堀田2021/03/23)。
 二人称複数や三人称による代用はそれに根差した習慣だといえるだろう。


間接表現と敬意

 そして敬意表現というものは直接的表現の回避による間接性と特に関係が深い(後述)。二人称の代わりの三人称もその典型である。
 二人称が目の前の相手を直接指す概念なのに対し、三人称は直接的な会話の外の存在をピックアップする概念である(cf. 松本2010)。
 そのため三人称化が間接化と敬意に繋がっても不思議ではない。

 ドイツ語では三人称単数代名詞の女性形が二人称の敬称にもなるが、これは相手を直接「あなた」と呼ぶ代わりに使われた「あなたがたの威厳」などの抽象名詞の多くが女性名詞で、それを受ける代名詞が女性形だったことによるともいわれる(高田2011: 143-162; 堀田2015/02/02)。
 具体的にはEuer Majestät「あなたがたの威厳」、Euer Ehre「あなたがたの名誉」、Euer Gnaden「あなたがたの恩寵」などが該当し、通例それぞれ二人称複数の所有限定詞euer「あなたがたの」を伴っていた。
 加えて三人称の女性単数形sieが全性共通の複数形sieが同形だったことから三人称複数も敬称化を後押ししたようである。

 英語にも主に王に対して使われるYour Majesty「あなたがたの威厳」や王子を指すYour Highness「あなたがたの高貴さ」といった表現があるが、原理はそれとよく似ている。
 イタリア語の三人称女性単数の敬称化にも似たような事情がある。

 二人称複数形が敬意に結びつく理由は「増大性」のイメージ、特に権力と複数の写像性によって説明されることも多い(堀田2015/02/02)。
 だが私見として「間接性」の要素を加味することも可能だと思われる。
 相手が複数なら指示の直接性は弱まり、間接性と敬意は容易に結びつく。
 (cf. 日本語「あなた」→「あなたがた」)。


二人称代名詞の敬意逓減

 英語以外の印欧語にも代名詞の敬意逓減の例は多い。
 オランダ語はその典型で、古い親称thouはまず敬称jijに置き換えられ、このjijさえも漸次uに置き換えられていった(堀田2012/12/23)。

 現代ドイツ語では親称がduで敬称がSieという区別に落ち着いており、後者は三人称単数女性形または全性共通三人称複数のsieに由来する。
 しかしかつては二人称複数ihr由来のIhrや三人称単数男性形er由来のErが二人称単数の敬称だった時代もあり、それらは敬意逓減によってSieに置き換えられた(高田2011: 143-162; 堀田2015/02/02)。

 古期スペイン語ではラテン語のtū「あなた」(2sg.)に由来するが親称、vōs「あなたがた」(2pl.)に由来するvosが敬称として使われていた。
 しかし近世、中南米への拡大期になるとvosの敬意が弱まり始め、代わりに三人称単数の男性形él、女性形ella、二人称複数の所有形容詞と敬意の抽象名詞を組み合わせたvuestra merced「あなたがたの恩寵」やvuestra señoría「あなたがたの権威」などが誕生した(山下1985: 150-152)。
 結果、親称のtúとvosは同義語として混用され、スペイン本国ではtúが、中南米の一部地域ではvosが一般化され(tuteo圏 ⇔ voseo圏)、敬称としては全地域でvuestra mercedの縮約形ustedが一般化した(山下1985: 149-156)。

 このように二人称単数の親敬の区別が確立されている言語でも歴史的に敬意逓減と無縁だったとは限らず、敬称の由来も一様ではない。
 同じ言語に2種類以上が共存していた時期もあり、その実態や歴史には多様性が見られるのである。


6. 日本語の敬称

日本語に使いやすい二人称がない理由

 さらにこうした例に鑑みれば日本語に「使いやすい二人称」がない理由も見えてくる。
 呼びかけの間接性を求め続ければ「二人称代名詞の使用回避」自体が敬意表現になり得るからである。

 同様の例はフランス語のtu/vousのような通常のT/V-distinctionに比べても少数派だが、日本語が唯一というわけではなく、東南アジアに例が多い(WALS: chapter 45, "Politeness Distinctions in Pronouns")。
 この地図での該当例は日本語、韓国語、ビルマ語、タイ語、クメール語、ベトナム語、インドネシア語である。
 ただし使用回避の有無を調べるのは容易ではなく、これらの名前は調査環境が比較的充実し研究が行き届いているからこそ挙がっている面もある。
 今後の調査次第ではさらに例が増えることもあり得るだろう。

 日本語の二人称語は親しい相手にしか使えないことが多く、第二言語としての日本語教育の場面でも扱いに注意が求められている。
 しかしそのために日本語の第一話者自身も苦労しているのは周知の通りで、いずれこうした在り方に変革が起きる可能性もあるかもしれない。


空間や称号による呼びかけの意味

 日本語では特に場所や称号を表す語による二人称の代用が多く見られる。
 歴史的には「殿」「お館様」(主君)や「北の方」「御台所」(正妻)といった空間から称号に転じた敬称が有名だろう。
 敬意漂白を受けつつも存続する「お前」や「あなた」も空間語彙である。

 東アジア圏には二人称代名詞に限らず伝統的に「実名での呼びかけを避ける」習慣(実名敬避俗)もあったが、これもその延長といえよう。
 同様の例はヨーロッパでは限られる印象だが世界中に見られる。
 南アフリカのソト語(Sotho)圏では女性が義理の父(舅)の名を口にすることはタブーとされるが、文字に書くことはできるなど、間接的な文語では口語より容認度が上がる傾向も指摘される(堀田2013/06/12)。

 なお、日本でも戦国時代には「信長」や「家康」のように敬称さえつけずに実名だけを宛名にして手紙を出すことが「それだけでどこの誰かわかるほどの人物だと認識している」という最高の敬意を表した時期もあった。
 また明智光秀に仕えた武士が記した本城惣右衛門覚書では織田信長が「のぶながさま」、徳川家康が「いへやすさま/いゑやすさま」と呼ばれている。

 そして周知の通り、日本では明治以降に実名を使う習慣が大幅に増加しており、こうした例からもタブーは決して不変の慣習ではないことがわかる。


7. 尊称の意味はなぜ変わるのか?

稀代の名将・タツナミ

 しかし英語のyouは敬語ではなくなったにせよ汎用の二人称である。
 日本語の「お前」に起きた変化はさらに大きいが、その背景には何があったのだろうか?
 これについては別の角度からの分析も行ってみたい。

 時に竜送りのイサギという漫画をご存じだろうか。
 竜が棲む世界に生きる処刑人の少年・イサギの冒険の旅を描いた時代劇風ファンタジー漫画で、作者の星野真は前作『ノケモノたちの夜』でアニメ化も経験した実力者である。
 そんなこの作品だが、2つの理由で野球ファンからの注目度も高い。
 ひとつは純粋に作中の世界設定、ストーリー、心理描写、戦闘シーンの迫力などが高く、総合的な完成度が高い点にある。
 そしてもうひとつは

1. 稀代の名将・タツナミとの出会いから物語が始まる。
2. 作者の苗字がかつての中日監督と同じ星野。
3.「…タツナミの奴、なんで竜を殺したんだ?」, 「タツナミが壊した」, 「タツナミに世界を変えてもらった」などの台詞が中日ドラゴンズのチーム状況とオーバーラップして意味深に聞こえる。
4. イサギの名前もなんとなく中日主力選手の柳裕也(ヤナギ)を思わせる。

 ――と、偶然にも中日ドラゴンズを連想させる要素やフレーズが大集結してしまったことにある。
 その影響か立浪監督自体も時に「稀代の名将」と呼ばれることがある。
 (ただし作者は以前から星野真名義で活動を続けており、作中でも別に徹底して中日的要素を出し続けているわけではない)。

 そしてここからひとつの問いが生まれる。
 稀代の名将・タツナミというフレーズはなぜ多くの野球ファンの心を捉えたのだろうか?
 竜送りのイサギの須佐タツナミのごとく中日の立浪和義もまた稀代の名将と呼ばれるに相応しい存在だったからだろうか?――否である。

 公平を期して前置きするが、中日ドラゴンズの長きに渡る暗黒は監督ばかりの責任とは言い難い。
 監督は全権監督でもなければ畢竟現場責任者であり、中間管理録トネガワでいう利根川のような立場でしかなく、フロントの責任が最も大きいのは間違いない。
 立浪監督の選手育成方針を一部にせよ評価する人もいないわけではない。

 しかし球団史上初の2年連続最下位というのは動かしがたい結果で、好意的に見ても相当程度の批判が混在している。
 管見の限り、支持者も「監督だけの責任ではない」「評価できる部分もある」と理解を示すことはあっても、さすがに「屈指の名監督」とまでは言わない印象である。

 ゆえにそんな監督を「稀代の名将」と呼ぶとしたら、その言葉は必然的に皮肉の色を帯びてしまう。
 稀代の名将・タツナミというフレーズはそんな現状とのギャップが生み出す衝撃によって、作品の魅力に上乗せされて人の心を捉えたのである。
 (「素晴らしい監督」などもこうしたニュアンスで使われやすい)。
 これは敬意表現の意味変化を考える上でも示唆的な事実となる。

 もっとも2010年代に広島東洋カープの監督としてAクラス(3位以上)復帰を実現させた野村謙二郎への「メイショウノムケン」(名将-)のように、当初皮肉(cf. DH今村)で使われていたと思われる言葉が実際の賞賛の言葉に転じた例もないわけではない。
 できる相談であれば立浪監督には皮肉が本物の尊称となるほどの奮起を期待したいところである。


sillyの意味の歴史

 英語にsillyという形容詞がある。今でこそ「馬鹿な, 愚かな」を意味する語だが、驚くべきことにこの語は本来「幸せな, 祝福された, 敬虔な」といった肯定的な語義を持っていた(堀田2010/09/14)。
 そこから「幸せな, 祝福された, 敬虔な → 純粋な → 哀れな → 愚かな」または「幸せな → 恵まれた → 怠惰な → 愚かな」のような連想を経て現代の意味になっていったといわれているが(意味の悪化)、私見として、その過程には皮肉や建前も(広義の連想の一種として)含まれていたものと思われる。

 日本語でも「幸せな人」の「幸せな」などは悪い文脈で使われることも多く、「おめでたい野郎」の「おめでたい」に至ってはそれが顕著だが、原理としては似たようなものだろう。
 また「非常にありがたい話ですがご辞退申し上げます」といったフレーズは実際にはありがたいと思っていなくても使われることがあり、そうした建前は一種の消極的な皮肉にもなり得る。

 本来プラスの意味だった表現も遠回しに相手を忌避するために使われることは珍しくない。
 ゆえに日本語の「お前」や「貴様」の意味悪化の背景に皮肉や建前の要素を加味する余地は十分にあるだろう。


親称と敬称、それぞれの役割

 それでも「お前」はまだ親しい相手に対してであれば肯定的なニュアンスで使われることもないわけではない。
 興味深いことに、英語の古風な表現では神に対してはyouではなくthouが使われる(堀田2014/06/05)。他のヨーロッパの言語にも類例が多い。
 日本語でアニマが「アニマちゃん」と呼ばれるのも同様の現象である。
 そのため親称と敬称は「使う場面が違うだけで、共に相手を尊重するためにも使われ得る」と語られることもある(ibid.)。

 親しい相手にはむしろ親称を使うことが尊重を意味し得る、という文化は敬語が身近な現代日本人にとっても違和感のあるものではないだろう。
 私見として試合中の選手への「お前」にも本来的にはそうした「親しみ」のニュアンスがあったのではないだろうか(cf.『知識の泉(414)』)。

 もっとも親称の類が文脈次第で相手を軽んじる意味を持ち得るのも事実で、日頃のファンから選手への態度に尊大さがないかといえば疑問の余地なしではなく、その意味では与田監督の危機感もまったく理由のないこととは言い切れない。
 愛称と蔑称は紙一重、といえばわかりやすいだろうか。
 今であれば中日ドラゴンズに対する「チュニドラ」という呼び名の意味合いが愛称から蔑称まで相当に揺れていることなども参考になるだろう。

 ラテン語でも-(c)ulus, -(c)ula, -(c)ulumや-ellus, -ella, -ellumといった指小辞は純粋に「小さな~」を表す他、親愛(amīcus「友達」→ amīculus「親友」)と軽侮(homō「人」(*homon-) → homunculus「つまらない人」)という相反する意味を表し得る(水谷2011, 各項目)。

 親しみと馴れ馴れしさや軽侮のラインの見極めは簡単ではなく、「お前」の扱いにはどうしても難しさが残る。
 お前騒動はそうした言葉の在り方の複雑さと感覚の違いから生まれた言語の過渡期の衝突だったのかもしれない。

 奇しくも中日で一時代を築いた山本昌がかつて旧webサイトで「試合中に呼び捨てされるのは気にならないが、他の場面で出会ったときはやめてほしい」と語っていたのを見かけた記憶があるが、そうした「舞台の共有の有無」の要素も含めて興味深い話である。

 敬語自体もまた配慮や美、そして抑圧や冷たさという二面性を持ち得る要素で、多くの日本語話者にとっては複雑な思いの対象だろう。
 これらのコラムをきっかけにその実態や役割を考える機会を得てもらえれば幸いである。


8. 結びに代えて

あなたがドラゴンズで満たされる日々

バンテリンドームナゴヤ(フィールド全景) by thatlostdog--

 問題の中日ドラゴンズはチーム再建のために日々奮闘を重ねている。
 見たところ2024年も開幕からやや苦戦が続いている様子だが、立浪監督が名誉挽回と後に残すべき戦力のために、そしてそれぞれの思いを抱く選手たちも未来の歓喜のために、各自戦う顔をして奮闘しているのは間違いない。

 野球選手は体が資本である。
 白米を十分に食べるなどして、日々の戦いに備えてほしい。

 2024/4/4 Riku(@anima_solaris)


関連記事/参考文献リンク


著者

Riku(@anima_solaris)
専門はラテン語を中心とした古代印欧語比較言語学。
企業や個人からの依頼によるラテン語の翻訳・制作も担当。
他にラテン語Vtuberアニマ(@anima_divina)の言語知識を監修。
仕事依頼連絡先: goldensmile_and_silvertears☆yahoo.co.jp), ☆→@

 (ラテン語やその末裔に当たるロマンス諸語、そして英語やドイツ語の敬語の話はいずれアニマYoutubeのチャンネルでピックアップする予定)。

最近受けた仕事
『魔女大戦』(原作: 河本ほむら, 漫画: 塩塚誠)
イメージ曲ラテン語歌詞制作。


もしサポートをいただければさらに励みになります。人気が出たらいずれ本の企画なども行いたいです。より良い記事や言語研究のために頑張ります(≧∇≦*)