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アバンティの本屋が亡くなった

アバンティの本屋が亡くなった

「アバンティ行ってくる」といえば自分にとってはアバンティの六階にある本屋のことだった。小学校のころに母親に連れてきてもらっていらい何度も何度も通った本屋。イオンモールの大垣書店ができるまではおれが住んでいる東九条地域には大きな本屋は無かった。アバンティの本屋には専門書がたくさんずらっと並んでいて、中学生の頃、背伸びして分かりもしない本を買って読んでいたけど、背伸びするためには背伸びできる環境が必要で、アバンティの本屋はおれにたくさん背伸びさせてくれていた。高校生になると四条にジュンク堂というでかい本屋があるということを知って自転車漕いでジュンク堂に行くようになったけど、だからこそ地元にアバンティの本屋があることが少し誇らしかった。四条のジュンク堂も好きだけど、おれにとって九条にあるアバンティの本屋はジュンク堂にも負けていなかったからだ。二十歳の頃家庭でいろいろあり、心身がクラッシュしてやばかった頃もアバンティの本屋に通った。その時立ち読みした本が、その時買った本が、何も読まずに店内を一周しただけの時間が、今の平山の身体になっている。おれはアバンティの本屋に救われ続けた。

 アバンティの本屋がなければおれは背伸びもしなかったし、救われもしなかった。おれにとって本を読むことは知的な行為ではなく呪いを解く行為だった。あるいは呪いを生ききってやるための実践だった。本はおれにとって現実そのものだし、身体そのものだ。だから呪いそのものであるようなこの東九条という地域にアバンティの本屋があったことは僥倖以外のなにものでもない。

ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう以外のことばがない。

ずっとそこにあると思っていたから最近はとんと行かなくなっていたからあなたが亡くなることも、亡くなったことも今日まで知らなかったけど、おれもそれだけ成熟することができたのでしょう。あなたは親にも等しい存在だった。

ありがとう、アバンティの本屋さん。

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