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TVアニメ「アイドルマスターシンデレラガールズ U149」第12話 感想と解題 これまでを振り返って

そつなくまとめた高品質の「アニメーション」

TVアニメ「アイドルマスターシンデレラガールズ U149」が12話を迎えました。
全体を通して総合的に観てみれば、それなりに好印象高評価の作品でありました。

確かに様々な問題も内包していますが、1つのまとまった作品として一区切りさせるには色々とトリッキーなこともしなければなりませんでしたでしょうし、それを含んでもリアリティを失わず、それでいて「アニメーションの自由」を謳歌する作りにもなっていました。

第12話の「無理」と「フィクション」

第12話で描かれた「20時からのライブ」と「直前の変更」は、さすがにフィクションであるとしか言い様がない「無理」である、という印象があります。

その一方で、突然の「仕様変更」や「トラブル」による予定変更は、大なり小なり、仕事や活動をしていればどうしても起こることでもあったりします。このときに頭を下げ、事態の収拾に奔走し、あたかも「何でもございませんでした」と取り繕ってみせるのは「大人」の役割、ということも描かれていました。

もちろん、子どもたちもただ守られているだけの存在ではなく、責任の一端を担うようにして「新曲」に挑み、本番でやりきってみせました。これを可能にしていたのは、特に「大人」への入り口に差しかかっているありすや桃華といった12歳組の存在があるのだと感じられます。

「子ども」とは「護られる者」か、「教わる者」か、「育てられる者」か

プロデューサーと老爺の会話に透けて見えていたことの1つとして、この疑問が浮かびます。「子ども」とは私たちが「護る者」なのか、「教える対象」なのか、「育てる対象」なのかということです。(ここにはまだ問題がありますが、それはこの次の節をお読み下さい)

「子ども」を語るとき、「大人」たちはこれら3つのことをだいたい念頭に置いているかと思います。弱く未熟なものとして「子ども」を見つめ、「護らなければならない」と感じることももっともですし、「育てて一人前にしなければ」と思い様々な物を与えて育てようとしたり、あるいは「教えて導くことで一人前にしなければ」と思って教え込もうとしたりします。

それらが間違っているわけではありませんが、例えば本作でのU149のプロデューサーはそれらの「大人が手を出そうとする営み」に対して「子ども扱いするな」という反骨心をみせることもありました。

「子ども」たちはただ護られるだけの存在でしょうか。ただ教えを授かるだけでしょうか。育てられるだけの存在でしょうか。

「子ども」は「学ぶ者」か「育つ者」か

確かに「子ども」は弱い存在である、ということはできるかと思います。そして、子どもを護るのは大人の役目ともいえるでしょう。そのような「安全安心な場所」に本拠地を置いてこそ、子どもはその本領を発揮していきます。つまり、「自ら」また「自ずから」、「学び」「育つ」のです。

ここに余計な手を入れようとすると、子どもの発達が歪むことも考えられます。適切に手を入れることも重要ですが、あえて手を入れないことも時には重要になります。

このあたりのバランスの取り方が上手かった、といえるのがこのプロデューサーかもしれません。

「大人」と「子ども」、「親」と「子」

ここまで「大人」と「子ども」の話をしてきましたが、もう一つの軸としてあげられるのが「親」と「子」の軸です。ここに「姉弟(兄妹)(姉妹)」を加えて考えることもできますが、ここでは特に「親子」の話を考えます。

「大人」と「子ども」の境界や役割については、それが存外曖昧であることが一貫して本作では描かれてきましたが、「親」と「子」の物語も含まれていました。
この「親子」という関係は、年齢にかかわらずずっと「親子」であり続けるが故に難しい部分もあり、完全に取り去ることもできない人間関係であるともいえるでしょう。

プロでユーサーの姉がよく登場しましたが、彼女は「子」である赤ちゃんの「母親」としてずっと描かれていました。まだまだ親の手がなければ育つこともままならない赤ちゃんですが、自らの足で立つところまでは育っている。ここにも1つの「親子」の姿がありました。

そして、ありすの両親が11話でそれなりにしっかりと登場し、親もまた迷う者でもあることが示されたように、親子の関係も一筋縄ではいかないものでもあります。

本作はアイドルである少女たちを描いてきましたが、その周辺にいる大人たちの物語もまた、一つ一つ欠かせない物語を構成する欠片でありました。そのことがこの作品のリアリティ、実在感を支えていました。

ただ子どもがかわいいだけの物語ではなかったのでした。

大人と子どもの違いって何?
親と子と、大人と子どもってどこかで関係ある?

そういった疑問を投げかけている作品として評価できるのではないか、そして1つの答えを指し示しているのが、伴走者として描かれる「成長する大人」としてのプロデューサーであるのかもしれません。

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