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Anizine

写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。
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記事一覧

批評しなくていい:Anizine

今日はたまたま豪雨にあたることもなくタイミングよく行動できました。明日の撮影に必要なものも揃いましたし、気分がいいです。昨日も友人とずっとそんな話をしていましたが「何かを作る」という作業には何物にも代えがたい楽しい手応えがあります。 そこにさっきまで存在しなかったものを生む。 それは「ここにあるこれってセンスいいよな」と解説してみせるのとはまったく違うのです。よく映画などのレビューを読むと「つまらなかった。俺が監督したほうが面白いのできそう」などという言葉を見かけますが、

姿勢は言葉に出る:Anizine

「どれだけニュートラルに生きていけるか」だけを考えています。周囲の友人は誰もみな自分より偉くて立派に見えがちなのですが、他人との相対的な比較はせず、自分は自分だと思って、競走馬が遮眼帯をつけるように前だけを見て過ごすしかありません。 最近ソーシャルメディアを辞める知人が増えてきて、その理由が「どうしても他人と比べてしまうからだ」と言います。他人の芝生がギンギンに青く見えるのでしょう。疲弊するのもわかります。またそこで「自分を盛る」方向に行く人もいます。ある人のプロフィールに

家具を作っている男:Anizine

俺は家具を作っているんだ。たいした稼ぎにはならないよ。来年は息子も大学に行くし贅沢はできない。でもね、俺の家具が好きだと言ってくれる人がいる。お前は日本で何をしているんだ。そうか、立派なカメラを持ってるもんな。それで写真を撮りながら旅をしているのか、それもいいなあ。俺はマレーシアから一度も出たことがないけど、いつか外国には行ってみたい。 俺はひとりで家具を作っている。最初から最後までひとりだ。家のガレージにあるちいさい作業場で朝から晩までやっているよ。奥さんに服を買ってあげ

くだらない結論:Anizine

「ゴールデンウィークが終わったらグランピングに行かないか」  「また、おかしなことを言い出すなあ」 「だって連休中は混雑するだろう。『この時期は混みますよ』って言われている時期に行くってどういうことなんだ」  「そこしか休めない人がいるってことだよ。口の利き方に気をつけろ」 「というわけで、グランピング行くか」  「行かないよ。グランピングなんて概念に納得いかないから」 「何がだよ」  「野外のテントで寝るんだろう。それをグランにしてみたって変わらないだろうが。ホームレスが高

等身大であること:Anizine(無料記事)

自分が自分のチカラでできることをする。「等身大であること」をいつも考えています。私は南仏に別荘も買えないですしロールスロイスも買えませんが、毎日生活していく上で特に困っていません。しかし誰かが持っている南仏の別荘に遊びに行ったりロールスロイスに乗せてもらったときに、ほんのちょっと自分が『そちら側に近づいた』と思ってしまう人がいます。ここなんです。等身大の自分に天麩羅のコロモがまとわりついてしまうのは。 誰でも多かれ少なかれ他人に何かを自慢したい感覚があると思うのですが、他人

22歳の社長:Anizine

「カレーショップ『ココイチ』のフランチャイズを25店舗経営する群馬県の会社の新社長に22歳のアルバイトが就任」というニュースを見ました。15歳の高校生の時からアルバイトを始め、その能力が認められたということですが、とてもいいことだと思います。 接客業は個人の能力の差が大きく、時々、突出した才能を見せる人がいます。以前もあるコーヒーチェーンで働く女性店員の話を聞いて驚いたことがあります。店に来る常連客数百人がいつも注文する物を、あの人はコーヒーとバタートーストとジャム、のよう

かたくなであること:Anizine

年齢を重ねるとできなくなるのが「変化すること」だと思っています。中年にさしかかると、若いときに思っていた「これでいいのだろうか」という不安がなくなっていき、今までこうしてきたのだから正しいのだろうという硬直を生みます。そのときに考えるべきことは、それで何が成し遂げられたのか、です。中年が若者に疎まれるのは結果を伴っていないからで、あなたは偉そうなことを言うけどYoutuberよりも収入が少ないじゃないか、とか、結局たいした功績を残していないじゃないか、という反論に答えられなく

チンダン化現象:Anizine

人生の中で、飛行機に乗り遅れた経験が二度あります。一度目はもう30年も前のことですが、九州でのロケハンに行くときでした。その頃は遠くにロケに行った経験があまりなく、緊張していました。それほど早い便ではなかった気がしますが、遅刻人間だった私は慎重を期して羽田空港のホテルに前泊することにしました。ベッドサイドにあるアラームをセットして寝ましたが目が覚めて腕時計を見ると飛行機が出発する時間を過ぎています。ベッドのデジタル時計は昨日とまったく同じ時間を表示していました。壊れていたので

ロジックとエモーション:Anizine(無料記事)

昨夜は高円寺のスタジオで恒例の生配信でした。いつも思うのですが、みんな様々なことで悩み、それは他人からしたら取るに足りないことなのかもしれませんが、本人にとっては命をも揺るがすほどの切実な問題なのだと感じます。それについて私のようにルーズな人間が無責任に発言してもいいのかと毎回考え込んでしまいます。 世界はすべてが相対的で「作用と反作用」が釣り合っているものだと思います。自分がマイナスだと思っている部分があるからこそ生まれている別のプラス面があるんじゃないかということです。

家と幼稚園:Anizine

子どもって世界が小さいですよね。「家族と幼稚園」くらいが社会です。 そんなの当たり前だろう、と言ってしまってもいいのでしょうか。我々大人だって家とスポーツジムと、勤めている会社だけが「社会」であることは珍しくないはずです。何度も書いたことがありますが、30年前にロンドンで言われた言葉があります。「日本には、プライベートとオフィシャルはあるけど『ソーシャル』がないよね」と。彼は確か日本支社に勤めていた経験があって、日本文化にとても詳しいイギリス人でした。 正直に言えばまだ一

説教は奢ってから言え:Anizine(無料記事)

私はご覧の通り、60歳なのですが、壮年の条件をクリアしているのは頭髪の過疎化だけです。地位、収入、人望、たたずまい、すべてにおいて年齢相応ではないと感じています。 若くあろうとは思っていません。アンチアンチエイジング派であり、何も気にしていません。年齢というのは抽象的なモノで、6歳のキリンと8歳のキリンが見分けられないように、大差ないと思っています。何か間違っているでしょうか。 年齢で人を区切ることにあまり意味はありませんし、年長者を敬うのは若い人が気まぐれにするべきこと

真空の場所:Anizine

「私は社交的ではなく、友だちが少ないんです」という人がいましたが、彼は「私は友だちが少ないんですよね」と、ソーシャルメディアに投稿しました。思い切ったなと感心したのですが、そこにつけられた親切なアドバイスや激励の言葉に彼はひとつも返信しませんでした。「友だちができないのはそういうところじゃねえかな」と納得したできごとです。 言いたいことを言うことと自己主張はちょっと違っていて、自分が信じていることをただ垂れ流すのは、繁華街の交差点で大声で独り言を言う人と同じ行為です。「私は

ハリウッドでなくても:Anizine(無料記事)

平林監督のnoteを読んだところです。私は今まで何十年も平林監督と話してきましたから、会っていないときにも話しかけられたような気がして、つい反応してしまいます。 平林監督の話は私もいつも思っていることですが「誰でも自分のことを他人に読んでもらうために書けばいいのに」ということです。みんな誰かの投稿を読んでいるのですが、「あの人は芸能人だから読む価値があるので、自分には何もないっすから」と、自分では書かないのです。これはコンテンツ価値の自己判断と言えましょう。あなたのコンテン

簡単な結論:Anizine

何かについて、手っ取り早く簡単な結論を提示されると納得する。広範囲にわたるトピックへの対処としてそれはいいのですが、単純化された結論を持って専門分野などに言及してしまうと問題が起こります。 つまらない例ですが、「何を食べたかより、誰と食べたかのほうが大事」という言葉を聞いたことがないでしょうか。言っていることは正しいのですが、ここには落とし穴があります。