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2割のズレ:写真の部屋(無料記事)

誰もが常識だと思っていることには、2割のズレがあると思っています。私がネットで見ていて苦手なのは「普通、あり得ないだろ」のようなコメントで、あなたが思っている普通だけが真理ではないと思ってしまいます。普通や常識は『正解』のような印象を与えますが、そんなものはどこにもなく、気の合う人でさえ、8割の共通認識で生きているだけです。

性格の不一致、などと言いますが、完全に一致する人などいるはずもありません。生まれてからずっと一緒にいる蕎麦屋の家族の中でさえ十割の一致はあり得ないのです。欲を言えばズレた2割が新鮮な驚きだと幸運です。私には思いつかなかった、とポジティブに受け取れるのだとしたら、2割は価値になります。

『カメラは、撮る人を写しているんだ。』の編集者である今野さんとは、その2割を楽しむことができました。私がすでに知っている情報を矢継ぎ早に原稿にしていくと「その展開は初心者には速すぎる」と教えてくれました。「わかっている自分の知識を説明するときはスピードに気をつける」と古賀史健さんと話したこともとても参考になりましたが。

『カメラは、撮る人を写しているんだ。』


滑らかに広告に移行しますが、この本はカメラを買って写真を撮り始めた若者と偏屈なおじさんの話で、尊敬する友人たちである、田中孝幸さんの『13歳からの地政学』、田内学さんの『きみのお金は誰のため』、田中泰延さんと直塚大成さんの『「書く力」の教室』などとスタイルは似ています。似るのは当然で、どんなジャンルであっても学ぶ方法はただひとつ。知らない人が知っている人に教えてもらう、それだけです。

その過程では、ある程度できるようになった(と錯覚している)井の中の蛙が師匠に反発するシーンが出てくるはずです。これも必ず起きることで、お笑いの世界では「尖っていた時期」などと言われたりします。その反発心の必要も理解しつつ、ある程度年齢がいってみると若い頃の自分を、恥ずかしかったなあと思い出すわけです。いまだに反省は止まりません。あのとき素直に言われたことを聞いておけばよかった、とジクジたる思いが初老まで続くのです。

学ぶことは素直であることと切り離せません。この本でも「そんなの、間違ってる」という反論があるでしょう。しかし、もし自分に欠けていた知識や考えを一言でも見つけたら、それを何食わぬ顔で吸収して欲しいのです。270ページの中の1ページの、たった1行でもいい。知らなかったことがあればいいというのが本来の「読書」で、内容は全部忘れても、トンネルを抜けるとそこが雪国だったんだよね、だけでもおぼえていればいいんです。現代の感覚では役に立つことがてんこ盛りでなければコスパが悪いと糾弾されることも知っています。もちろん反論はあるでしょうが、紳士的な糾弾、いわゆる読売巨人軍のようなスタイルでお願いします。


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写真の部屋

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人類全員が写真を撮るような時代。「写真を撮ること」「見ること」についての話をします。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。