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すねかじりの中年:PDLB

サブカル的なものには年齢制限があると思っています。大人になるというのはサブカルチャー、カウンターカルチャーではなく、メインカルチャーを作り出すことが義務になってくるからです。「大人が決めたことになんか従わないぜ」「Don't trust anyone over thirty.」と言っていられないのです。

年齢を重ねてはいるものの、いつ自分がメインストリームやオーセンティック側に行けばいいのかわかりかねている人々を見かけます。まともな大企業の大きな会議の席に、短パンにサンダルで来る50代がカウンターカルチャーだと言えるのは本人の生き方ですから構わないのですが、その反逆精神は誰の得にもなっていないことが多いのです。

20代の頃、「今は世の中に何も影響力がないことに焦るかもしれないが、そんなのは当たり前で、まだお前は誰からも大きなビジネスをする相手とは思われていないからだ」と言われたことがあります。私が勤めていたのは広告プロダクションで、営業部以外のデザイナーやカメラマンはTシャツのような自由でカジュアルな服装でした。その言葉を聞いてから私はスーツを着て出勤することにしました。逆のようですが、服装は自由なのでスーツを選んだのです。

会社と取引があったクライアントは誰もが知っている大きな企業ばかりだったのですが、20代前半の私たちが会議の席でプレゼンテーションをするとき、グレイトフルデッドのTシャツを着ていくことが相手の信頼を得ることにプラスになるだろうかと考えたのです。それは別に相手の習慣に合わせたというのではなく、彼らの選択に不安を持たせたくなかっただけです。自分はスーツを着て出勤している人とは違って、Tシャツで働いているから自由なのだと思っている人々の方に疑問を持っていたのかもしれません。

反逆は確固とした権威が前提で、そこを突き崩すための効能が発揮されるためには強固な権威を理解しないといけません。今の時代はメインストリームそのものが崩壊し、なくなってしまいましたから、サブもカウンターも機能していません。常識に風穴を開ける質のいいカウンター以外のものは『親のすねかじり』だと思っています。誰かが丁寧に作り上げた基盤に保護され扶養されている若者が「ぶち壊してやる」というのです。自分も若者だった経験がある親の世代はそれを仕方なく見守っているのですが、当人にはそれがわかりません。親からもらったお小遣いでパンクバンドのコンサートに行くのです。

自分がいつの間にか「ぶち壊される体制側」になっていく過程に自覚的であることは、認識しづらく辛いものです。不満を言って反抗していればいい子どもではなくなるわけですから。この意識の切り替わりは社会的な立場や経済力とも関連してきます。

数年前、自分でそれに気づいて驚いたことがあります。

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多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。