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あなたは誰ですか:写真の部屋(無料記事)

今回初めてパリに来る人と一緒に一日過ごしたので、自分が最初に行った日のことを思い出しました。その日は嵐のような大雨でしたが、それから仕事や遊びで30回以上訪れるうちに友人も増えて、今では「お帰りなさい」と言ってもらえるようになりました。「あなたは誰ですか」と聞かれるようではそこで何もすることができません。ただのカメラを持った観光客と同じです。

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敬愛するCRIMSONのLindaに2年半ぶりに会うことができ「I miss Paris.」と言うと、彼女は「Paris missed you too.」と言ってくれました。日本でも外国でも、訪れたところには何度も行きたくなります。お店の常連客のように「あの人いつもここに来るね」と知られ、たぶんここが好きなんだろう、というのが言葉にしなくてもわかってもらえることはとても大切です。

ギブアンドテイクと言ってしまうと利害のように聞こえますがそうではなく、自分がそこで受け取ると同時に、相手に何を返せるかも大事です。一方的に「観に来る」だけですから、観光客にはそれがありません。地元の人にはその人がいたことすら意識に残りません。芸能人を街で見かけたときに「会った」という人がいますが、相手はあなたに会ったとは思っていません。「あなたは誰ですか」ではなく、ひとりの人として相手に認知されている対等な関係がないと何も起こりません。

対等でない立場は、街で芸能人を見かけた人と同じように片方だけの自己満足に終わり、悲しいのです。

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Yohji Yamamotoのショーを見ていて、いかに彼がこの街で愛され、尊敬されているかがわかりました。ファッションと同じで写真はコミュニケーションですから、無視され、黙殺され、なかったことになるのは悲しいのです。

日本ではかなり名の知られたアーティストがパリで徹底的に黙殺される場面を見たことがあります。このときの恐怖は我がことのように今でも忘れることができません。そこにいた批評家が「自分で来るんじゃなくて、呼ばれてから来い」と言ったのです。忙しい彼らにはそんなものに使う時間は無駄だからでしょう。日本に戻ってからそのアーティストのインタビューを読む機会がありましたが、彼は「パリでの評価は上々だった」と語っていました。ここで二度目の恐怖を味わいました。

鈍感や無知はいかに恐ろしいかを感じ、自分はいつ「呼ばれる立場」になれるだろうかと途方に暮れています。

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多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。