ピアニストのように:写真の部屋
「僕は運動神経がいいのでアスリートになりました」と聞いても、当たり前すぎて何とも思いませんよね。でも、写真はなぜかそこが違います。アートを観せられたときに「いや、アートはまるでわかりませんので」と言って発言を避ける人がたくさんいます。しかしその人が、ある日突然カメラを買って写真を撮り始めたりします。そして「いい写真が撮れないなあ」と言うのです。
これって「運動神経が悪い私はアスリートを目指しましたが、まったく記録が伸びません」と言っているのと同じくらい不思議に聞こえないでしょうか。素質や遺伝の問題ももちろんありますが、もっと手前に『表現する衝動』を持たない人が、表現する道具を買うのはどうしてでしょう。
それはスポーツや音楽のように、彼は才能があるから始めて、結果を出したのだ、という厳しさを知らないからだと感じます。私たちは、グランドピアノの前に座ってもピアニストと同じくらいのレベルで弾くことは絶対にできませんし、160km/hの球を投げられるはずがない、ということだけははっきり知っていますよね。
しかし、カメラのシャッターを押せば写真は写りますから、モニタに映し出された写真を見て「あれ、これって意外とプロみたいだよね」という勘違いが起きるのです。「アートはまるでわかりませんの人」は、ピアニストやプロ野球のピッチャーならわかるのに、自分と優秀な写真家との差がわかりません。ここなんです、問題は。さらに凶悪なことを言ってしまうとこの厳しさへの鈍感さは、アマチュアや趣味の人だけでなく『プロの写真家』の中にも存在するのです。
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