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有名人を撮っていますね:写真の部屋

写真は自由だから、誰がどう撮ってもいい。

毎回同じことを書くのはなぜかというと、ネットの性質上、その瞬間だけを見て判断する人が多いからだ。この前もあることを比喩を使って書いたら、「それは間違っている」というリプライが来た。見出しの2行しか読んでいなくて、本文の書かれたリンクを開いてもいないのがわかった。定期購読マガジンなので、それを書いた人が「メンバーにしか読めない核心部分」を読んでいないことも俺にはわかる。

検索で引っかかったり、誰かからのシェアで回ってきた記事の見出しだけに反応する人はつねにいるから気にしない。

それと関係するかどうかはわからないけど、この前、ある人から「会って欲しい人がいる」と言われた。一番苦手なやつだ。向こうは会いたいかもしれないけど、俺は会いたくない。どちらが偉いとかじゃない。お互いに会いたいと思う同士でなければ、会いたいと思われる側は苦痛なのだ。

案の定その人はまったく興味が持てない人だったので、1時間もしないで解散した。俺は自分と専門分野や立場や意見が違う人のことも面白いと思う。むしろ知らないジャンルの方が友人は多いかもしれない。でも相手がこちらの喜びそうなことを一生懸命言ってきたり、付け焼き刃で調べてきたことを「あなたについて知っている」と見せられると、途端に心のシャッターが降りてしまう。

中でも一番つらかったのは、テレビで見る有名人を撮っていますね、という言葉だった。本当にそういう価値基準にはガッカリする。俺は芸能人を撮るために写真家になったわけじゃないし、他の人と比べれば俺は雑誌の仕事をまったくしないから、タレントみたいな人を撮る機会はむしろ少ない方だ。

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じゃあ、このフランス人はどうだろう。あの誰でも知ってる映画に出ている人ですよ。

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写真の部屋

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人類全員が写真を撮るような時代。「写真を撮ること」「見ること」についての話をします。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。