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さようなら伸子さん:写真の部屋(無料記事)

2014年の山形ビエンナーレのとき、初めて伸子さんに会った。七日町になくてはならない『郁文堂』という歴史のある書店。その店は多くの文人に愛されてきたそうだ。七日町を撮影しに何度か足を運ぶうちに伸子さんが俺のことを気にかけてくれ、とてもよくしてもらった。何という理由もなく山形に行っては突然郁文堂のドアを開ける。

「あらあ、アニさん。来てくれたのね」

そしてお茶をいれてくれて、1時間くらい近況やお孫さんの自慢話を聞かせてくれる。じゃあ、また近いうちに、と言って帰る。そんなことが2014年から続いていた。山形ビエンナーレはもちろん、山形国際ドキュメンタリー映画祭のときもお邪魔した。山形の人にはずいぶんお世話になったし、仲良くなった人も増えた。

今になってみると、なぜ伸子さんが俺のことを気にかけてくれたのかがわからない。時々遊びに来るどこの豚の骨かわからないおっさんに。こんな状況だから高齢の伸子さんに会いに行くのは数年間控えていたんだけど、8月に会いに行った。一時体調を崩したと聞いていたのだがとても元気で再会を喜んでくれたのがうれしかった。でも昨日、訃報を聞いて、ついにこのときが来たかと思った。

今日、仕事を片付けて東京駅に向かったのが11時。葬儀は10時からだから山形に着いた頃にはもう終わっているだろう。遅れて行っても葬儀の後のドタバタでご家族とは会えないかもしれない。でも取りあえず山形に向かう。おかしな話だけど、なぜこの話を「写真の部屋」の投稿にしているかというと、こうして毎日、人と会ったり別れたりすることを全部記録するのが写真なんだと気づいたからだ。俺は葬儀には間に合わないけど、東京駅から山形新幹線に乗り、この日に郁文堂の店の前で写真を撮るだけでもいいと思った。

山形駅に着いたのは15時だった。ご家族と連絡が取れて、葬儀は終わったがこれから火葬場でお骨上げだという。あとから聞いたのだが会場の都合で30分遅れて火葬が始まったという。もし時間通りに行われていたら俺は伸子さんと対面することはできなかった。新幹線が山形に近づく頃、小雨が降り始めた。こういうときに「涙雨だ」なんていうのは非科学的で好きじゃないんだけど、そんなこともあるんだろうなと思った。駅でタクシーに乗り「山形市の火葬場へ」と言うとドライバーが静かにうなずく。あまり聞きたくない行き先かもしれない。

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火葬場についてご家族と挨拶をしていると数分でお骨上げになった。間に合った。骨になってはいたが、伸子さんだ。家族しかいない場所になぜ俺がいるのかわからなかったが、まだ暖かいステンレスの台の上から伸子さんの立派な上腕部の骨を取り上げて骨壺に入れた。「おばあちゃんは骨密度が自慢だったから」という誰かの声が聞こえる。この腕は店に遊びに行くたび、俺の腕と組まれていたものだ。涙がポタッと落ちないように斜め上を見続ける。

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写真の笑顔はいつも通り。誰が店に来てもお茶を出し、楽しそうに話していた。一度は閉店したのだが東北芸術工科大学の学生たちのサポートもあって復活することができた。「若い人が毎日遊びに来てくれるのが楽しい」といつも言っていた。お孫さんが骨の写真を撮っている。こういう場所でカメラを出すのは気が引けるものだが、「おばあちゃんとの思い出をたくさん残しておきたいから撮るのだ」と笑って言っていた。葬儀の席では俺が撮った写真も何枚か映像で流してくれたようだ。

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火葬場を出て、みんなで食事に行くのでと誘われたが今夜までにやらなくてはいけない仕事があるのですぐに帰ることにした。小雨の中を走り出したマイクロバスを見送る男性が「ばんざーい」と声をかけた。「ばんざいだよ。こんなのは」と言うのを聞いてまた涙が出そうになった。みんなに愛された伸子さんの86年の生涯は、おそらく普通の人の3倍くらい豊かだったんじゃないかと思う。少しだけだけど、その人と関わりを持てたことを幸福に思う。

『ロバート・ツルッパゲとの対話』にも、「人と知り合うことは、死んじゃったら悲しくなる人を増やすことでもあるんだよね」と書いた。でもさ、生きている間にたくさんいい瞬間があったからいいや。

帰りの新幹線で山形名物『牛肉どまんなか』の駅弁を食べながら、俺は生きてるからお腹が空くんだな、動物ってダサいな、とか思いながら窓から見える風景を撮った。どんな風景を見ても悲しくて仕方なかった。

2022年10月22日 さようなら伸子さん

「写真の部屋」
https://note.com/aniwatanabe/m/mafe39aeac0ea

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多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。