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含み益ゼロ:Anizine(無料記事)

ダメな自分がダメさを肯定して生きていかれるんだから、今の時代はまあまあ幸せなんだと思う。だからといって「もっと不幸な国もある」とか「豊かな国に比べたら全然」などと言う気もない。今の自分がいない場所と比べても仕方がないのだ。仕方がないことを口だけで言いたがるのは『娯楽』だ。

自分は美男にも天才にも生まれつかなかったから、今持っているちいさな工具箱にあるだけの、どうしようもない道具でなんとかしなくてはいけない。ホームセンターで売っている980円(税別)のカラフルなドライバーセットでできることなんて限られている。それで原発は作れないし、フェラーリも組み立てられない。

歳を取るといいことがある。それは経済用語でいうところの「含み益」をもう主張できなくなるという点だ。若者には可能性や選択肢がたくさん残っているから選ぶ道によっては形勢が逆転することがある。大人になるとそのアミダクジの下の方に行ってしまっているから、もはや選択肢には限りがある。いや、ほぼない。アミダクジの一番下に当たりと書かれた場所からどんどん離れていくのがわかる。

もう遅いのだ。だからといって嘆くことはない。その道は自分が決めてきたわけで、誰のせいでもない。誰もがそれらの結果をパネルに書いて首からぶら下げて生きていると思った方がいい。どれほど立派なことを言おうとそのパネルに書かれた数値と矛盾していたら説得力はない。カラフルな980円のドライバーを振り回しながらフェラーリのエンジンについて語る意味はない。

反対に、それよりちいさく言う必要もない。長く生きていることは一度も死ななかった証拠であり、それだけで奇跡だ。大きくもちいさくも言わない。上や下を見て文句を言ったり蔑んでみても自分の位置は何も変わらないから、与えられたスケールの中でシンプルに生きていくだけだ。

俺が好きなフンコロガシの話は何度も書いたことがあるけど、何度も書くのは好きだからだ。

フンコロガシの息子は言う。
パパ、友だちはフルーツやナッツを食べているのに、なぜ僕らは動物の糞を転がして暮らしているの。父親は言う。
「生まれたときの境遇は選択できない。それが国家だ」

国家とは国だけではない、時代や環境を指している。

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多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。