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ブルーのハートマーク:博士の普通の愛情(無料記事)

『愛してる。いつまでも私の娘』

ある女優から聞いた話で一番心に残った言葉です。もちろん状況や具体的な部分はアレンジしていますから、ここからの話はフィクションだと思って読んでもらえればよく、間違っても「あの人のことですか」などと聞く人はいないと信じているので本人の許可をもらって書いています。

「私は日常的に大勢の人から、綺麗ですね、素敵ですねと言われていました。若い頃からです。それらの言葉がいつの間にか心の奥底に沈殿していってしまい、誰とも個人的な付き合いができなくなってしまいました。恋人になりそうな人から好きだと言われても、イベントで会うファンの言葉と何も違わないように感じました。簡単に言うと誰からの愛情も信じられなくなっていったのです。数年前に母親が亡くなり、私に真実の愛の言葉をくれる人はこの世にひとりもいなくなってしまいました。

私が20代後半の頃、実家のそばで撮影があり、家に泊まったことがありました。忙しくてほとんど帰っていなかった私からの電話に母はとても喜んで、料理をたくさん準備しておいてくれました。『やっぱりママのご飯は美味しい』と言ったときに微笑んでくれた顔をいまだに忘れません。その晩、寝ている私の隣に母の気配がありました。すぐに目が覚めたのですが寝たふりを続けます。ベッドの横に正座をした母が私の寝顔を見ているのがわかりました。

『愛してる。いつまでも私の娘』

真っ暗な部屋の中、はっきりと母の声が聞こえました。翌日は朝食のあと、何か気恥ずかしくてあまり話もせずに実家をあとにしました。母の葬儀で思い出したのがその日のことでした。私も『愛してる。ずっと私のママ』と言っておけばよかった。葬儀場の煙突から流れていく煙を見上げながらそう思うと涙が止まらなくなりました。

あの夜の母を上回る愛の言葉を、他人から聞くことはこれからもないでしょう。だから私は何千人、何万人から美しいとか素敵だと言われても心が動かないのです。

この人は私のことが好きなのではない。私と一緒にパーティにいるところを他人に見て欲しいだけなんだ、と思ってしまいます。友人とそういう話をすると、『そうそう。そういう田舎臭い人に利用されたらダメだよ』と言われました。わかりすぎるほどわかっているのです。しかし私の中にもちいさな虚栄心はあります。立派なパーティの会場の中心にいて、周囲からチヤホヤされることを心のどこかでうれしく思っている自分がいることも知っています。綺麗ですね、素敵ですね、と言われることで傷つくこともあると言ってはみたものの、自己肯定感を維持する『微量の麻薬』のような効果を感じている自分も否定できないのです。このドーピングに気づくとき、あの夜の母の言葉を思い出して、気分は最悪になります。

実際にそう指摘されたこともあります。『あなたは他人から何を言われても、役所の苦情受付窓口みたいに何も感じていないんだよね』そう言われたとき、あまりに痛いところを突かれて黙り込んでしまいました。その人は私のことを好きだと言ってくれていたのですが、自分の言葉が地域住民のクレーム処理と同じように冷酷に扱われるのに我慢ができなくなったと言い、離れていきました。そんなことばかりが起こります。インタビューなどでよく言われるのが『それほど美しければ、恋愛のお相手なんて選び放題でしょうね』という無神経な言葉です。あなたは朝から晩まで美しいと言われる苦悩をわかっていない、と腹立たしく思いますが、またそれも『強者の論理』だと言われるのはわかりきっていますから、うやむやな答えしかできません」

彼女はここまでのことを一気に話しました。僕は彼女とある撮影の仕事をして、それからたまに個人的にお茶や食事に行くようになったのですが、確かにその区役所の窓口的な雰囲気も、逆の苦悩も理解していました。

あるとき何気ない言葉を彼女のスマホに送ったのですが、受け取り方によっては我々の友人関係から恋愛への一歩と感じられる表現になっていました。送ってしばらくしてからやめておけばよかったと感じましたが、その返信は「ブルーのハートマーク」がひとつでした。ハートマークは心臓をあらわしていますから、赤いことで意味を持ちます。あなたの気持ちはうれしいが、これ以上先には一歩も踏み込まないで、という明確な意志が伝わりました。

私は彼女を一人の友人として尊敬していて恋愛感情はまったくないのですが、自分を守るために絶対に誤解される行動をとらないという、人前に出る人の意識の高さに感心したものです。


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恋愛に関する、ごく普通の読み物です。

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多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。