文章をお金にする:Anizine
文章を書いてお金をもらうのがプロの作家なのだとしたら、俺はどうなんだろう、と考えることがある。
俺の仕事は写真やデザインなんだけど、いや、もうすでに変なことになってしまっている。この業界では写真かデザインしかやらないのが「普通」なのだ。まあどっちにしても、その専門分野で超一流ってことじゃないから聞き流してもらえばいい。
俺は会社に勤めていたときにはデザインをしていた。CMの演出もやっていたからこれもまたややこしい。面白そうでやりたいことは職種の垣根など無視してやればいいと思っているし、そうやって30年以上も生きてこられたから別に何の不満もない。
写真もデザインもテレビもCMも、大きく分けると同じカテゴリー。しかし文章を書くことだけは自分にとって「聖域」だった。若い頃に雑誌でいくつか連載をしたりもしていたけど、それは余技のようなもので、文章なんて呼べる代物じゃなかった。
子どもの頃から小説家や哲学者や詩人には圧倒的な敬意を持っていたし、自分にそんなことができるとは思ってもみなかった。だからこそ、もしそこに足を突っ込むとしたら本物のプロにならなければいけないと思っていた。
「こんな企画があるんで、あなたの専門職の経験とビジネスを絡めて、ちゃちゃっと本を書いてくださいよ」みたいな話をもらったことはあるが、すべて断ってきた。
俺はそれで飯を食っているんじゃないから、いやなことをする必要はない。むしろそんな本を書いたら子どもの頃の俺に顔向けができないと思っていた。100%自分が書きたいことを、自分のペースで、締め切りなんかなく書けるのなら本を出したい、というわがままにセンジュ出版の吉満さんがつきあってくれたから『ロバート・ツルッパゲとの対話』は出版することができた。だから、あれがいい本かどうかなんて評価はまったく気にならない。
こうしてnoteに書いているのも同じで、誰かに何かを頼まれては書かない。書きたいときに書きたいことだけ書いている。そして、それに対してお金を払ってもらっているんだけど、さてここからが(生々しい)本題だ。
多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。