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写真の民間療法:写真の部屋

写真についての本を書いているので、写真に関する色々なものを読んでいます。それらを読んで考えを整理しながらメモとしてここで書いていることも、必要なら本の中に入れようと思っています。あまりネガティブな話になると鬱陶しいのですが、理解して欲しいポイントがいくつかあります。

それは大きく分けて三つの意識にあり、
ひとつは自分の好きな世界をただひたすら趣味で撮りたい人、
それとは逆に写真を仕事にしたい人、
これがややこしいんですが、もうひとつの領域があるとすれば、
「今のところは趣味だけど、ワンチャン仕事にしたいかも」
みたいな人です。

この三番目の人は割と厄介で、現実にはほとんどそのルートはないと言ってしまってもいいくらいです。写真家のように免許も資格も要らない仕事の場合、自分が言い張ればプロフェッショナルのカメラマンだと名乗ることはできます。だからこそ「通らばリーチ」みたいな優柔不断なスタンスでは多くの人に埋もれてしまいます。麻雀を知らないくせに書いてますけど。

この三つの世界、三番目はほぼないので、二つの世界に絞りましょう。趣味と仕事です。趣味は本当に何をやってもいい。評価も批評も無縁の世界です。あなたが自分で撮って、観て、自由に楽しむことに他人がとやかく言うことはできません。そして「仕事」ですけど、本当にこの教育分野は玉石混淆だということがわかりました。たとえば医療の世界では「民間療法」「偽医学」などという言葉がありますが、写真にもそういった教育の不幸があるのです。

というより、実際に第一線でいい仕事をしている人はYouTubeでカメラの解説をしたり、構図の作り方などを教えたりしません。ですからそこにある情報のほとんどは、「ネットで何かを教える仕事の人が言っていること」だけに限られ、偏っていると知ってください。さらにわかりにくいのは、本来カメラマンという仕事は裏方なので表には出てきません。自分が目指すべき世界も、そこで活躍している優秀なカメラマンのことも知らない場合が多いのです。

変な喩えですが、「プロ野球選手になりたいのにプロ野球選手を一人も知らないような状況」です。そして、野球の技術を解説してくれるコーチはプロ野球の試合に出たことがない人か、近所の野球好きのおじさんだったりするのです。ちょっと極端ですが、そこまで言ってしまっても過言ではないと思います。彼らは医師免許も持たずに民間療法を教えていて、これが不幸にも写真の世界の停滞、病状の悪化を生んでいます。

世界中のプロフェッショナル・カメラマンがどんなカメラを使っているかと言えば、キヤノン、ニコン、SONYです。僅かにハッセルブラッド、Leicaなどの人もいるでしょうが、大多数の人が日本製のカメラを使っているわけです。いい機械は作れるのにいい作品は生み出せない。クルマにしても同じです。トヨタやホンダは作れてもいまだにF-1で優勝したドライバーはいません。その原因は単に「メカ好きのオタク」の感情が市場を支配しているからだと思います。

キヤノンもニコンも素晴らしい技術の蓄積がありますし、ミラーレスカメラを牽引したSONYの功績も圧倒的です。でもその機械がどんな写真を生み出すかよりも、前の機種と比べて何万画素アップしたとか、連写が5コマ増えたとか、そんなスペックの話ばかりが好きなのです。

これだけは誤解のないように言っておきますが、実際の仕事の現場では撮影機材の決定権はすべてカメラマンにあります。「まっとうな仕事なら」というエクスキューズは必要でしょうが、クライアントがカメラマンが使う機材に口を出すことなどは絶対にあり得ません。仕事にアサインされたフォトグラファーやD.P.は、その写真がどんな表現とトーンにするかをアートディレクターと一緒に決めるので、これは昔のポラロイドで撮ろう、とか、16mmフィルムを使おう、最新の1億画素のデジタルバックで撮ろう、などと決めるわけです。それはアマチュアが使う言葉の「フラッグシップ機」みたいな理由で決まることはあり得ません。

もしもクライアントに撮影機材を指定されるような仕事しかしていないのだとしたら、それはとても誇れる話ではないのでしない方がいいと思います。ここからもう一段階具体的なところに踏み込みますので、定期購読メンバーの皆様、よろしくお願いいたします。

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多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。