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広告を作る人の広告。

広告を作る仕事を30年やってきたけど、一度は自分が「クライアント」の立場になってみるのを強くお勧めする。病気になった医師は患者の気持ちがわかるのと似ているかもしれないし、似ていないかもしれないし、よく知らない。

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あるとき、自分がデザインしたTシャツをBEAMSのメンズで扱ってもらうことになった。年に二回、デザインをバイヤーにプレゼンに行って数種類の製品ができあがって店頭に並ぶ。そこで初めて経験したことがあった。

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撮影だったかロケハンだったかで地方の都市に行った。そこで数日前に発売になったばかりの俺のTシャツを着た高校生みたいな男の子を見たのだ。その街にBEAMSの店舗はなさそうだったから、おそらくネットで買ってくれたんだろう。バス停みたいなところに立っていたその少年は、デートの待ち合わせをしていたのかもしれない。買ったばかりのTシャツを着てデートに臨んだのかと思うと胸が熱くなった。

「俺は役に立つ仕事をした」と思った。自分が高校生の時、Tシャツを一枚買うのにどれほど悩んだことか。俺のTシャツを選んでくれた彼と握手したい気持ちになったと同時に、俺はこういう気持ちで今まで広告を作っていただろうかと過去を振り返った。

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クルマとか、食品とか、システムキッチンとか、自分が広告してきた製品を「誰かひとりがひとつ買うこと」、にリアリティはあっただろうか。売り上げが10%あがりました、なんて事務的な報告を営業担当者から受けたときに、あの少年のようなひとりの消費者の気持ちを思い描いていただろうか。

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Tシャツは10年近く作ったが、それから時間が経って今度は自分の本が商品になった。『ロバート・ツルッパゲとの対話』は、広告を本業としてきた自分なのに「売れなかった」ではお話にならないと思っていた。自分の商品が売れなかったら今までのクライアントに顔向けできなくなってしまう。本の中身という根本的な問題は置いといて、製品を知らしめ、販売することにおいて失敗はできない。

まず、本の内容がきわめてアクロバティックでわかりにくいので、前書きや後書きをネットで無料公開し、興味を持ってもらうようにした。表紙はできるだけインパクトを持たせるようにマーティのご尊顔を使わせてもらった。商品は売り場で「引っ込んで」はいけない。出っ張り思案でなければいけないのだ。

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さて、書店で「なんだ、この本」と善良な市民が手に取ると、帯には「君たちに足りないのは哲学だよ。知らんけど」と書かれている。これは編集の吉満さんと話して決めた。本の帯には宣伝として重要な意味があるから、有名な誰かが推薦しているなどの情報が欲しいはずだ。でも吉満さんはそれはいらないと言った。そして「君たちに足りないのは哲学だよ」という、本の内容をクリアに説明するコピーを考えてくれたんだけど、俺は哲学者じゃないし、それはいくらなんでも傲慢かつ言い過ぎだろうと思ったので、「知らんけど」を足した。

この「知らんけど」という一言が、この本の性格を言い表していると思う。

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パラパラと前書きを立ち読みすると、無関係の人が前書きを頼まれている、といういい加減な書き出し。このあたりで真面目な公務員なら棚に戻すだろう。でもそこに面白さを感じてくれたら、アホみたいに並んだ次の目次の意味不明さも許容してくれるはずだ。

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というわけで無事に四刷りまでなっているんだけど、出版してからすぐに予定していたトークイベントなどが「あの理由」で開催できなくなった。これはかなりの打撃だったけど、それはみんな条件が同じで言ってもしょうがない。

ソーシャルメディアで毎日、本の宣伝をした。宣伝というのはたくさんすればいいというものではなく、効果的なところに鍼を打つような作業が必要になる。ここを間違えるのが広告の素人。広告は「しつこい」と思われたら逆効果なので書名デザインだけを残すように、背景になる写真は毎回変えた。これは出版では誰もやっていない掟破りの方法だと思う。書影を印象に残すなら他のモノを出さない方がいいに決まっているからだ。

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こういうときにマーケティング的な「刷り込み効果」や「リコグニション理論」なんかに囚われていたらいけない。製品名さえ連呼すればモノが売れるなんて時代はとっくに終わっているのだ。このマーティの表紙には恐るべき効果があって、まったく知らない人に話をしても「ああ、あの外国人の顔が表紙の」と言ってもらえることが多かった。その強さはピンポイントで出せばよく、だから日常的にランニングさせる部分は、新しい情報に見えて飽きが来ない、本とはまったく関係がない別のビジュアルを使うという前例のない方法が使えたのだ。

次に、これは自分の手柄じゃないから感謝しかないんだけど、今までソーシャルメディアで俺の文章を読んでくれていた人や、友人や、まったく知らない人がバンバン宣伝してくれた。この本が面白かったというメッセージをくれたことから知り合いになった人も数多くいる。ありがたいことだ。

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本を出すというのとはちょっと違うけど、写真家は個展をする場合も広告主になる気がする。でも宣伝がヘタなんだよな。情報が整理されていなくて行く気が起こらない、とか、やっていたことすらわからないものもある。

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大金をもらって誰かの商品を宣伝する仕事をしていながら、自分の商品が売れないって、マズイよね。そのためには普段から数万人のフォロワーは作っておくべきだし、告知ではない投稿を通じていつも見てもらえるベースは用意しておかなくちゃいけない。それをせずに「私の展覧会があります」という都合のいいときだけネットに書いても誰も来ないよ。

『ロバート・ツルッパゲとの対話』
amazon.co.jp/dp/4908586071/




多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。