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撮影の常識と非常識:写真の部屋

緊急事態宣言が出ていた時期に、ある医師がウィルスに対するコメントを求められたときの答えに共感しました。彼は「私はそもそも感染症の専門ではないし、さらに新型のウィルスに関する意見を言う立場にない」と言っていました。これなんですよね。たとえ医師という職業であっても自分の専門外のことについては無責任に意見を言わないこと。

写真の話題では、ここが大きな問題になることがあります。趣味で写真を撮り始めた人が駅のポスターを見て「これくらいなら俺でも撮れそう」と言うのを実際に聞いたことがありますが、まずは落ち着いて領域を分割しましょう。精神科医という医師の国家資格を持った人でさえ、「あの外科手術は僕にもできそう」とは言わないですから、写真を撮るという趣味(仕事)をあまり狭い世界だと捉えない方がいいと思います。

自分が仕事で撮っている写真の範囲はそれほど専門的ではありません。人物も撮るし、風景もブツ撮りもしますが、人によっては料理だけ、建築だけ、宝飾品だけしか撮らないという専門職もいます。その世界の奥の深さは計り知れず、撮影現場に立ち会うと知らないことだらけ、驚きの連続です。

こうなると何が起きるかというと、私とその人が同じ「写真を撮る人」とまとめて語ることができないということです。ここ大事です。ですから、自分にとっての常識は相手にとっての非常識という状況が生まれ、正しさの押し売りのようになると、狭い世界の無知だけを晒すことになってしまいます。

大切なのは学ぶことで、それには素直さが必要です。こういうときにはこうしますよ、と聞いた方法が自分と違っていたとき、素直に受け入れて理解できるかという態度の問題です。それがないと「あの人の言うことは間違っている」と反論ばかりすることになってしまいますし、そのヒントを自分がやっていることにフィードバックできなくなってしまいます。

この、どうでもいい写真を見てください。この一枚は昆虫の写真を専門にしている人から聞いたことを応用しています。私は黒バックにクルマのテールランプを配置した写真を撮りためているのですが、その素材写真です。写真の技術がある人は「昆虫写真」という一言だけでわかったかもしれませんが、くわしく説明します。

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写真の部屋

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人類全員が写真を撮るような時代。「写真を撮ること」「見ること」についての話をします。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。