もしホームスクーリングをするなら、何を学ばせればよいのか

もしもホームスクーリングで進めると決めたのであれば、何を学ばせればよいのでしょうか。

学校に行かなければ当然、授業を受けることができません。宿題やプリントをやるだけで授業の代わりになるものではないでしょう(一時的な欠席ならともかく)。そもそも宿題やプリントをするだけで授業を受けるとの同じ効果があるというのなら、学校での授業の必要がないということになります。不登校が始まった当初、学校の先生(担任・支援担当)と話した際には、授業と同じ内容を教科書で進めてもらえれば、とのことでした。教科書の進行に準拠したプリントや市販の教材も手には入ります。ただ、本当にそれだけで十分なのだろうかとの疑問はありました。逆に言えば、小1レベルの内容であれば後からなんとでもなる、ということなのかもしれません。

もしこれからずっと、学校に行かない代わりに家で勉強をするとなると、親が学習させる内容を決めなければなりません。小学校の学習内容なら(まだ詳しく調べていませんがおそらく)親が理解できないレベルということはないと思います。その具体的な内容や教材などのツールを調べ、方法を模索し、親が一緒に勉強をすることで対応することは可能でしょう。しかし、そのような用意されたツール、例えば「家でもできる教科学習(学校に行けない事情の人のために)」といった教材でも市販されてればいいのですが、そのようなものはありません。文部科学省の刊行する「学習指導要領(告示)」を読めばできる、というものでもないでしょう。もし誰でもそんなことができるというのであれば、それこそ学校や先生の存在意義が問われるでしょう。


教科書という教材は揃っています。実際に手に取って、例えば学校の授業の進捗を先生から聞いて「ここをやりなさい」ではなく、親が内容を理解し学ぶ内容を考えたうえで、「一緒にここをやろう」と声かけていくしかないのでしょう。いつか、さらにその先のことに興味を示して、自分から学びを始めてくれれば(特に教科書でなくても)いいのですが。

また、教科学習以外、例えば体育、音楽、図工などは学校の授業とまったく同じことをするのは無理です。体育なら体力づくり、音楽や図工なら作品を鑑賞することや表現することの面白さを学ぶ、といった本質を考えて、子供のためにできることを考える必要があるでしょう。現実問題として、例えば体育であれば徒競走や球技、音楽であれば鍵盤ハーモニカやリコーダーを学ばせることはできません(習い事としてさせることは可能かもしれませんが)。ここは正直なところ学ばなくても困ることはないだろう、と割り切るしかないでしょう。

なお「そんなもの役に立たない」と、学校教育を批判したいわけではありません。むしろそういう論調は「役に立たないものは教える必要はない」との発想であり、それはそれで間違っていると考えます。
(ただ個人的にはひとつ、ドッジボールだけは全く不要だと思います。相手にボールをぶつけることを目的とする、苦手な子供にとっては恐怖以外のなにものでもない、あんなゲームを教育として行なうことにはまったく意義を感じません。子供の頃にそれこそ担任の先生になぜやるのかを聞いたことがあり、一説によると自動車社会のアメリカで交通事故に遭わないように、つまり車にはねられないようにする反射神経を身に付けるため、と説明された記憶があります。真偽のほどは調べていませんが、それにしても子供心に納得できなかったことは覚えています。)


勉強面について、小学校は何とかなるとしても、中学・高校の勉強は親が教えるのは無理ではないか、との不安があります。現実問題として、本職の教師や塾講師でも教科ごとに教える専門家がいる内容を、親が教科書や参考書をすべて理解して教えることは不可能でしょう。

ただしそれは、もしも親が本当に1から10まで教える先生になろうとすれば、です。今、小学生低学年の子供を目の前にしていると「自分が教えないと」と思いますが、小学校もどこかの段階から、まして中学生・高校生になる頃には(感覚的には10歳を過ぎるとくらいでしょうか?)、本人が学びたいと思わない勉強を「やりなさい」というだけでさせるのは無理だと思います。

そもそも「勉強をさせる」という発想自体が間違っているのでしょう。「学ぶこと」、つまり新しい知識を知ったり経験したりすることは楽しい(だからもっと学びたい)と思えるようになり、その先は自分で学んでいく、となるように導いてあげることが親の役割なのかもしれません。もっと学びたい、と子供が思ったときに、相談に乗り、手助けをすることが、人生で学んだ経験の長い親の役割なのでしょう。当然ながら学びのための環境を整えてあげるのは親の責務です。

もちろん、例えば受験のためであれば「試験に合格する」ための勉強が必要で、好きなことだけを学べばよいわけではありません。しかし、そもそも受験の目的は、ある希望する学校に行くことであり、大事なことはその学校で何を学びたいのか、自分の学びたいことを学べるのかであり、そのための必要な学力を身に付けているのかを問われているのであれば、勉強するしかありません。未知のことを知る学びであることには変わりないのですからそこに楽しさを感じることもできるかもしれません。(「一発勝負」の試験で判定されることの是非はここではとりあえずは置いておきます。)


まずは勉強すべき内容についてのみですが、ホームスクーリングの漠然とした不安の正体は、このような親に問われる覚悟なのかもしれません。


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