私の唯識論

この世界はこの意識を通してのみ存在する。
そしてこの意識が自身の存在を証明する唯一の現象的実在である。

この意識は、その中に必ず意志を持って生じる。即ち、予測が先にある。

この予測と認識される世界に統一があるとき、
その意識は私の情動を通して、もとい、内臓感覚を通して、
心地良さを生じる。

一方で、この予測と認識される世界に不統一があるとき、
その意識は私の情動を通して、もとい、内臓感覚を通して、
心地悪さを生じる。

であるならば、この、予測と現実が統一されている状態が長く続くほど、
私は心地よい感覚に浸っていられる。

この心地よさ/心地悪さという力が、すなわち意識の統一力である。

ここで、この予測は、その欲望の深さという属性を持つ。

こうして指を走らせているとき、
その個別の行為は一文字ずつを記すことを予測し、
その実現を為している訳だが、
一方でこの一文字を記すことは、より深なる欲望から分化発展された予測と統一力により為されており、
また他方で、一文字を記すという意識から分化発展された細やかな筋肉の動きが為される。

すなわち、いま生じているこの意識は私の最深なる欲望より生ずるものなのだが、
それが何を予測しているのかということは、注意を以てせねば知ることはできない。

注意を以て、より深なる欲望を知り、また並行してその欲望の実現を為す。

これが、私にとっての幸福である。

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