心理的虐待 我が家の場合 HSS型HSP+ACスナックママの人生ブログ
ブログの順番としては時代が戻ることになるが、今回は子供時代の我が家の虐待について。
先に言うが、
父は一部上場のゼネコンの部長。
母は専業主婦。
美人で評判だった。
母は毎週のように洋服を買い、部屋に入りきれない服の中で寝ていた。
習いごとはほぼ毎日だった。
表向きはそこそこちゃんとした家庭に見えていたと思う。
我が家の虐待について
うちの両親は、虐待の種類でいうと日常的に“心理的虐待”、たまに暴力 だった。
両親は私が「嬉しい」「楽しい」「幸せ」「好き」と感じる事が許せなかったんだと思う。
笑った顔、喜んだ顔、楽しそうな様子を見ると、憎悪が湧いてきたんだと思う。
私が嫌がる事、苦しがる事を見るのが快感だったんだろう。
嘲る 見下す 見くびる 侮る 見下げる 卑しめる 蔑む 貶める
「ブス」「ごみ」「バカ」は当たり前。
「お前は息をするだけで迷惑」だから息をするな。も、よく言われた。
上履き袋とか下敷きとか、みんなキティちゃんとかだったけど、私は全て無地。
中学の時、母が、可愛くない服のつもりで真っ黒のトレーナーを買ってきた。
その頃は黒が流行っていて、私は密かに嬉しくてその黒いトレーナーを毎日のように着た。
すると、母に、私がそれを気に入っている事がバレてしまい、捨てられてしまった。
笑顔を見せると「何、ニヤニヤしとんねん?」と顎をつかまれ、
嬉しそうにすると「調子に乗るな」
と叩かれ、
好きなのがバレると捨てられる。
テレビを見て笑顔になろうものなら、「ニヤニヤしやがって」と消される。
鏡を見ているところを見られたら、「お前、どの顔で鏡なんか見とんねん?やめてくれ、鏡が割れるわ。」
前回も書いたが、
好きな男の子のことを書いて友達同士で回したお手紙がバレた時は、テーブルの上に立たされてそれを大声で読め!と言われ、「〇〇君が好きです。ごめんなさい」と何度も大声で言わされ、「その顔で??(笑)その顔でwww もう一回言ってみ(笑)」と嘲笑われた。
自家用車で出かける時は、後部座席では、少しも動いてはいけなかった。もちろん話してもいけなかった。
風邪をひくと「迷惑かけやがって」と怒られたが、咳がうるさい!咳をするな、止めろと怒鳴られるのが辛かった。
咳を止めて苦しんでる姿が面白かったんだろう。
多分、いい子にしていたと思うが、何かしら悪いことをしたという理由で、水風呂に頭から入れられたり、板の間に何時間も正座させられたり、張り倒されたり、外に立たされたり。
私が遊んだり休憩したり楽しんだりすることがダメだったので、休みの日に寝ていると蹴られ怒鳴られるし、
修学旅行や林間学校は“遊び”と見なされ、「お前、まさか当然のように行けると思ってるんか?」と。
山のような家事をこなし、土下座して、「行かせてください。お願いします。」と言わされ、帰ってきたら「行かせていただいてありがとうございました。」とまた土下座しろと。
当然、遠足も修学旅行もお小遣いやお菓子は持たせてもらえない。
中学の卒業遠足で富士急ハイランドに行った時、チケットが買えずアトラクションに乗れないで、班から離れて一日ベンチに座っている私に、先生が千円くれたっけ。
超頭良かったのに大学に行かせてもらえなかった理由も、
「勉強したいやと??なんや?お前、大学行って、好きな事して、エエ就職して幸せになろうとでも、思っとるんか?」
「お前に幸せになられてたまるか」
という理由だったし。
弟がいるんだけど、
弟も似たような扱いだったと思う。
でもあまりわからない。
弟を気にしてる余裕はなかった。
弟は「蛇」と呼ばれてた。
気持ち悪がられていたことだけは覚えてる。
手をつなぐとかしたことない。
親に触ることもしたことない。
食器棚とかを触ることも汚いと嫌味を言われた。
話しかける時は敬語。
親の機嫌が悪い時は、話すの禁止だった。
どうしても伝えなくてはならない時は、紙に書いて渡すように言われた。
運動会や参観日なんかもあまり来なかった。
幼稚園も病院や歯医者さんも、散髪も、一人で行っていた。
小2ではもう、バスを乗り継いで出かけられるようになっていた。
自転車のカギをなくした日は、日が沈んでも探させられ、何時間も外に立たされた。
お風呂は3日に一回だったが、それを人に言うとダメだった。
他にも人に言ってはいけないことがたくさんあったが、私にとってはそれが日常なので、うっかり人前で「今日はお風呂に入る日?」なんて聞いてしまったら、強くつねられた。
お父さんとお母さんどっちが好き?
という質問が嫌だった。
父の知り合いなどが来た時、「お父さん優しい?」なんて世間話みたいに聞かれて「優しい」と答えなくてはいけないのが嫌だった。
親に太っていると言われ(正直、まったく太ってない)、食事抜き。がしょっちゅうあった。
書いたらキリがないからこのぐらいにするけど、子供のころに受けた虐待の一部を書いてみた。
こうやって文字にして伝えようとするが、なかなかその時の気持ちまでは伝えられないものだなと思った。
なぜなら、「まだ子供」だったから。
書きながら、その時の自分の気持ちになれるんだけど、
受けた悲しみ、受けた辱め、辛さを、子供って、処理しきれないんだ。
「お前はブスなんだから」
「迷惑なんだから」
は、もう、それが当然なんだと刷り込まれ、
「わかってるのにまた指摘されちゃった」
「またグズだから怒られちゃった」と思うしかないし、
お仕置きとかは、「早く終わってほしい、早く許してほしい、お小遣いないこと友達に気づかれずに過ごしたい。」そういう目の前のことを回避したいと思うだけで、
虐待されてるなんて思ってなかった。
つづく
ブス、バカ、ゴミと言われるのは普通だし、暴力もあったし、
“三つ子の魂百まで”というように、誰でもそうだろうけど、自分の思考や行動の原点は自分を生育してきた両親との関わりにあるよね。
「ブス」「ゴミ」「バカ」は普通。
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