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知ったこっちゃない

大学生の頃、地元のビジネスホテルでフロントのアルバイトをしていた事がある。

実家が個人経営の料理屋だった事もあり、飲食店の裏側を物心つく前から見てきた私にはアルバイトでレストランや居酒屋で働くという事は極力したくなかった。しかも実家から大学に通っていたため一人暮らしをしている同級生が賄いで食費が浮くからという理由で激務のチェーン店を辞めるに辞めれないという事を聞くたびに、家に帰れば夕食と翌朝の朝食の2食が食べれるアドバンテージを捨てる意味がますます分からなくなり、選択肢として避けるどころか絶対に働きたくない業種の一位に君臨していた。

ただ、遊ぶ金やら何やらに使う分のお金は欲しかったので、シフトに融通か効くという理由で地元の市営のスポーツジムでアルバイトを始めた。もちろん、融通が効く理由はフルタイムで働く人がいるからであって、私のシフトはみるみる削られていき、しまいには大学までの定期代にも満たない月給にまでなっていた。ちなみに時給は県の最低賃金だった。

ジムのアルバイトを辞めるにしても、さすがに他のアルバイトを見つけてから辞めたい。ただ、飲食店は嫌だ。あと肉体労働系とかパチンコ屋みたいな柄が悪そうな職種も嫌だ(偏見)。パン工場のアルバイトは高校卒業直後に派遣で入ったが気が狂うかと思ったので制服を返しそびれたままシフトを入れずに数年経っていたので嫌だ。

「ホテルフロント募集!週2日からOK!高時給!」
一瞬ラブホテルの求人かと思ったが、意外にも駅前のビジネスホテルの求人をインディードでたまたま見つけたのはジムのシフトが月に2度になっていたギリギリのタイミングだった。

ホテルのアルバイトも激務なイメージがあったが、そのホテルは駅の近くにあるもう一つの大手系列と違い、規模で言えば1/5とかもっと小さいホテルだった。なんなら外観もやや古臭く、なんとなく「仕事の内容もチョロそう」と思ってしまった。

すぐに電話を掛けてアルバイト希望の旨を伝えた。2日後に履歴書を持って面接に向かった。支配人は痩せっぽちのメガネをかけた30代の男性だった。のちに分かるが本当にチョロいバイト先だったのだが、その大半がこの男性の仕事のテキトーさから来るものだった。ありがとうY住さん。

あっさりと面接も通り、フロント業務もそれなりに分かってきたある日に大学の授業の事情でシフトに間に合うかギリギリの日があった。
事前に支配人には伝えていたものの、その日は出勤予定はなく引き継ぎでもう一人のフロントスタッフに直接伝えて欲しいと言われた。

女性スタッフのT内さんは公務員志望のフリーターで、私よりも半年先にアルバイトとして入社した。大学在学中に就活に失敗し、卒業後は地元に帰ってきて公務員を目指してフリーターをしていたがもう2回試験に落ちていた。
悪い人ではないものの、「試験に受からなかったら彼氏と結婚して養ってもらうんだー」と私にちょくちょく言っていて、でも2回目の試験に落ちてから結婚するという報告は聞いていなかった。

T内さんと入れ替わりのシフトだったので、事前にLINEで引き継ぎに遅れるかもというメッセージは入れておいた。雨がそこそこ降っていた事もあり「気をつけてね!」という返信を頂戴していたが、私がホテルに着いたのはシフト開始の2分前だった。
なんとか間に合った!タイムカードも押した!あとは引き継ぎだけどとりあえず制服に着替えないと、と思い「すみません、濡れちゃったんで着替えてから引き継ぎします!」とT内さんに伝えると

「いや、そっちの事情なんて知ったこっちゃないから。」

と残りのチェックインの人数と細かい業務連絡が書かれたメモを私の鞄の上に置き「じゃあ上がるねー」と言いながらタイムカードを押して帰ってしまった。

T内さん、その数ヶ月後にアルバイト辞めちゃったけど彼氏と結婚できたのかな。そう言えばLINEのプロフィール画像がツーショットから犬の写真に変わってたけどどういう意味なのかな。

あれから「知ったこっちゃない」というセリフを聞くたびに、T内さんが幸せに暮らしていることを心から願わずにはいられない体になってしまった。どうかお幸せに。

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