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フリースベスト

たまに実家に行くとおかちゃん(母)はとても喜んでくれた。
そして買い物に連れてってほしいと言う。
いつも自由に買い物も行けず、着るものや食べるものを選ぶことは おかちゃんにとって楽しみであった。

田舎には安いファッションセンターがあり、よくそこへ行った。
おかちゃんはすごく迷う人だ。
「あ〜  案が切れんわ、オマエが選ってくれ」
と言う。
案が切れないというのはたぶん方言なのかな、迷って決められないということ。
私が
「こっちがええんちゃう? 上がそれやったら下にこれ着たら合うやん」
などと言うと
「そうか、ほなそうするわ、ええのんやなぁ〜」
と納得する。

そして私にも
「好きなもんあったら買えや、払ろたるさかい」
といつも何か買ってくれようとした。
その日も以前からフリースベストが欲しくて探していたのだがなかなか見つからず、おかちゃんと行った店にそれがあり私が欲しそうに見ていると
「買えや、買えや!一緒に払ろたる」
そう言われた私は小さな子供のようになって
「ほな買うて、ありがと」
と遠慮せずに買ってもらっていた。

スーパーへ連れて行っても
「何か持たして帰ってもらわなアカン、好きなもん買えや」
といつも言う。
そんなに気を使わなくても良いのにと思うのだが、これは田舎の風習みたいなもので、実家に帰ってきた者には何かを持たせてやらねばならないという心なのだ。
それは決して高価なものでもなく、ただたまに来た娘に「何か」を与えたかったのだろう。
いざ好きなものを選べと言われても思い付かず、いつもは買えないちょっと高めのお菓子などを買ってもらっていたっけ。

おかちゃんは自分が死んだら私にも財産を分けてやってくれといつも兄に頼んでいた。
私としては仏様もおかちゃんの面倒も全部兄がやってくれてるので、貰う気は全く無かった。
おかちゃんは私が結婚する時も
「何もしてやってない」
とよくこぼしていた。
実際はそうではなく、着物も持たせてもらったし子供が産まれたら色々買ってくれた。
でもそれではまだまだ足りないという親心なのだろう。
自分自身もそうだが若かった頃は生活も苦しかっただろうし、自由になるお金も無かったはずだ。
子供から手が離れてやっと少し余裕ができてきたから、私や孫に色々買ってくれたのだと思う。

おかちゃんも歳を取り、私も同じだけ歳を取り、それでも会いに行くとお小遣いをくれたりした。
普通ならいい歳をした子供の私がおかちゃんにお小遣いを渡してもいいくらいなのに。
おかちゃんの気持ちが嬉しい反面、そんなんええのに…と思いつつ、こういう時は貰ってあげることが親孝行なのだとわかった。
おかちゃんのお財布事情がわからないから、あとで困るような事は避けたいので
「病院代と葬式代は残しといてな!」
と言いながらそっと受け取っていた。
そのうちにおかちゃんはお金の管理ができなくなり、カードも通帳も兄に渡ってしまった。
それでも私に小遣いがやりたいと言い続けていた。

おかちゃんはある冬の日に亡くなった。
私はおかちゃんとよく行った店でマフラーとストール、手袋、帽子などを買ってお棺に入れた。
おかちゃんの大好きだったお饅頭や羊羹もいっぱい入れた。
その後、おかちゃんの残したお金で新しくお墓が建ち、おとちゃんや御先祖様たちと眠る事ができた。
兄はおかちゃんの言い続けた事を覚えていたのか、少しだけど余ったお金を分けてくれた。

おかちゃんもおとちゃんも決して無駄遣いする人ではなく、私も幼い頃から欲しいものをねだってもなかなか買ってもらえなかった。
でも いざ!ここぞ!というときには惜しげもなくお金を出してくれる人たちだった。
そんな両親を見て「生き金」というものを学んだ。
逆に義父母からは「死に金」というものを学んだ。
正反対の親を見て私は死に金など絶対に出すものか、と決意している。


おかちゃんに買ってもらったフリースベストはまだここにある。
もう毛羽立って薄くなってるし、ファスナーは閉まりにくい。
今年新しいのを買ったけど、このベストがまだ捨てられない。
おかちゃんはまだまだずっと私の心にちゃんと生きているのだ。

捨てられないフリースベスト


おかちゃんの残してくれたお金は「生き金」となるように大事に使おう。
残しておこうかと思ったが自分の為に使わせてもらおう。

「好きなもんあったら買えや! 払ろたるさかい」
おかちゃんの声が空から聞こえる。
じゃあ そろそろ春の服でも買いに行こうか…
それとも何処かへ旅にでも出ようか…
(´꒳`❀)ウフフ♡👗👚👜✨



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