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入間しゅか『馬鹿みたいにお天気』 批評

入間しゅか『馬鹿みたいにお天気』

山口静花 評

彼氏と別れてしまったことの虚無感、やり場のなさを、マッチングアプリで知り合った人が現れないことへのある種の絶望、なんとも言えない居心地の悪さに委託している物語だと読みました。
全体の雰囲気の中で関西弁が冴えており、よく文に馴染んでいて、非常にスムーズに物語に入り込むことができました。
また、やはり女性の主人公を書くのが上手いですね、思考が流れるように適切な言葉たちによって彩られ、論理ではなく感情を灯してくれるような巧みな文章をお書きになるな、と感じました。
厭世的でもあり、どこか怒りを抱えているような雰囲気のある主人公の女性は、自分の身の上に起こっている事柄を十分に理解し切れていないような、そういうさびしさを感じさせました。この感触は非常に共感できるもので、個人的にも覚えがあります。だからこそ多くの人の心をうつことのできるパワーのある物語だと感じました。
個人的にはスイッチの電源が入れられなくて、その時ようやく失恋したのだと気づいた、という箇所が狂おしいほどに好きです。こういう些細なことをきっかけに感情が発露してしまう場面は、入間節、とも言えそうなくらい、入間しゅかさん独特の持ち味であり強みであると感じます。
その中で物語をより良くする、という点で、いくつか感じたことを述べさせていただきます。
まず、気になったのは全くとして接続詞が使われていない、ということです。
「だから」、「そうすると」などの言葉があると、より深く、読者を物語に引き込むことができるのではと感じました。現在の文だと、一文一文が独立していて、ぶつ切りの印象を持ってしまう気がします。それが淡々としている雰囲気にもつながってきてはいるのですが、例えば主人公の目の動き、「ふと横を見ると」などの言葉があると、よりはっきりと読者に主人公の姿を想起させることができるのではないかと思います。
加えまして、序盤に書かれている「こいつ絶対ヤバイやつだからやめた方がいいって」という文章、この後、彼氏の話が挟まれてしまうことにより、ヤバさってなんだろう?という疑問に対する間のようなものができてしまっているように感じました。流れとしては、彼氏ではなくマッチングアプリの人、に思考が至るのが自然な気がします。
最後、全体的に心理的には仄暗く、それに対比するように、馬鹿みたいにお天気の今日、が描かれるわけですが、本を読む老人や自転車の練習をする子供だけでなく、空の描写、ひかりの描写など情景描写があるとより映えるかな、と感じました。今回の作品の弱点として、情景描写が薄い、主人公の目を通して語られることの強度は感じますが、その周りになにが起こっているのか、主人公を俯瞰で見渡せるような深みのようなものが欠如していると感じました。非常にもったいない点です。より細かく描写された、精度の高い世界をぜひ見てみたいとわたしは感じました。主人公ならではの世界の見え方が、入間しゅかさんなら描けるのではないかという期待を持ちました。
気になる点は以上になります。
物語を通して、本当にあるのかもしれない、リアリティを感じさせるワンシーン、瞬間を切り取った、誰の心の隙間にも入り込むことができるような、素敵な物語でした。
読ませていただきありがとうございました。
山口静花でした。

yo 評

私もそういう風にして公園で一人佇んでいたことがあったな、と思い返しながら読んでいました。私がそれをやったのは、日々暮らす中でやらなければならない一切のことが面倒になって、とりあえず何もしたくないと思った時でした。
いつも行く街のすぐ近くにある大きな公園で、その中心の大きな池の周りを、一周20分くらいかけてぶらぶらと歩くのです。楽しく笑いあいながら歩く学生や、走り回る子供、それをやや心配そうに眺める大人。そうした一つひとつが、自分にはない「幸せ」なものに見えて、また少し寂しくなりました。その寂しさに浸って、ああ、自分は今寂しいのだと、ひとしきり味わっていると、なんだかそろそろ帰ろうかと思えてくるものです。

この『馬鹿みたいにお天気』も、そうした主人公の寂しさが描かれているのかなと感じました。彼氏と別れた主人公は、少々悪態をつきながら、それでも彼との唯一の思い出となってしまったSwitchに手を伸ばします。ただやり方がわからないのですぐ投げ出すと、今度は有休を取得してマッチングアプリに登録します。この時の主人公は、「本当は彼氏にやっぱり傍にいてほしいが、それが叶わないと自覚した結果、その代替物を手っ取り早い方法で用意しようとした」という風にも読めます。かりそめでも良いから、彼がいなくなった心の穴を埋めてほしいのだろうと思います。

そして、てきとうに見繕った相手に指定された待ち合わせ場所に足を運ぶわけですが、今度はそこで繰り広げられる日常的な幸せを淡々と眺めることになります。ベンチで読書する老人や、自転車を練習する親子を眺めて、主人公は何を感じていたのでしょうか。
その時の感情というのは、タイトルにも書かれる「馬鹿みたい」に集約されていると理解するのが良いでしょうか。この日のとても良い天気を「馬鹿みたい」と表現し、また、そんな晴れの中にあってなぜか傘を指している噴水(傘のような形をしているに過ぎませんが)。なんとなくですが、〈晴れ、周囲の人々、幸せ〉の対比として、〈傘、自分、不幸せ〉とカテゴライズしたうえで、前者が前提、基本状態を表すのに対して、後者がそこから溢れたもの、はみ出し者のようにとらえられたのではないでしょうか。こうした対比構造として捉えてみると、やはり主人公は噴水を見ながら、晴れているのに傘をさすのか、というおかしさに親近感を覚えたのではないかと思われます。

私自身の経験に少し引き付けすぎた解釈かもしれませんが、こうした何かを失った時に、今時点では何も失っていなさそうな人たちを眺め、そしてそれを少しうらやむような、失ってしまった自分を悲しむような、そんな気持ちが伝わってくる作品だと感じます。

最後に、簡単に細かい点だけご指摘をさせていただきます。
一つ目は彼氏への記述について。少々感情的な文章を意識して書かれたのか、唐突に口語が混じったり、タイプミスが出たりしているように見受けられます。もしそうした感情の高ぶりを敢えて文章に起こすのであれば、だれかに向けた手紙形式にすると良さそうに思われます。また、形式を変えないのであれば、地の文では文法を乱さず、セリフを挿入して独り言として感情を表現した方が、読み手にとっては読みやすいのではないかと思います。

二つ目は、この批評ではあまり言及しなかったマッチング相手について。<もうちょっとなんとかならんかったんかって感じの無造作ヘアー>は、感情的にそのような突っ込みを入れる機会は(悲しい哉)頻繁にあるように思いますが、マッチング相手の絶妙な残念さを言葉で表現する上では、<床屋で「とりあえず短めに」とオーダーしてそうなお坊ちゃまヘアー>、<寝ぐせのままワックスを塗りたくったような、不自然な凸凹とぬめりを帯びた髪型>といったような具体的な描写があっても良いのではないかと感じました。

コメントは以上です。この素敵な作品が、私の懐かしい記憶と当時の少々苦い感情を思い出させてくれました。ありがとうございます。
(このコメントを書き終わってからTwitterを覗かせていただきましたが、男性の方なのですね。女性の実体験かと思いました。それくらい女性主観らしい文章になっていたのではないかと思います)


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批評は以上となります。
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