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偶には大真面目に。

思えば、私は昔から非常に「愛される」ことに振り回されてきた。
自分の意思すらフワフワとしているような3歳児の頃には、すでに割合しっかりと恋をしていたし、その恋は5年も続いた。隣の席に座っているだけだというのに、うっかりと好意を伝えたくなる衝動に涙が出る思いをしたこともある。その恋も5年続いた。長すぎて、22歳の私は自分で自分に驚くばかりである。

思い返せば、というほどのことではない。
ではないのだが、感動したり涙したり、感情が一層大きく動く瞬間には常に恋だの愛だのというものが存在していたなと思わざるを得ない。

私は本や映画や音楽が好きなのだけど、運命の出会いのようなものをして、その作品を手に取るたびに涙が出るようなのは、やはり恋だの愛だのに近いものだと言わざるを得ない。つまるところ、私と同じような人種は、感動したり思い出を作ったり、とにかく生きているなぁと思うためには愛に振り回されていないといけない。所謂、エモいという瞬間。

ただ何が困ったことかと言えば、そういう一番動物っぽくて、かつ人間として一番難しい部分でもある愛情は、大概返ってこない。

いいのか悪いのか、私はバナナの絵を描くと周りの大人全員が手放しで褒め称えて人間的価値を認めてくれるような幼少期からそこそこ好き嫌い大事だとかそういう感情が身近にあった。
好きだ大切だ大事だなんて愛情を人に向けるばかりで、「おや?一向に返ってくる気配がないなぁ」なんて思いをかれこれ20年前から感じているのである。まぁ、女の子は結構こういう人がいると思う。

見返りを求めるのは愛ではない、みたいな記事をよく見るけれど、別に見返りを求める愛もあると思う。人間誰しも、そんな大放出系の愛情を振り撒き続けることはできない。そんな無限の愛は一体どこから出てくるというのか。チャージをさせてくれ。
返ってこないなぁという気持ちを抱き続けていれば、人は寂しくも悲しくもなる。誰だってそう。

ただ、返ってこないものだということと、自分に愛情を向けることもできる、ということに気づいてくると、そこそこ人は強くなってくるように思う。今まで何も知らずに鍛錬していたけど、「体術の基礎③」を読んだ瞬間一段階上がる感じだ。
知ってる人には当たり前すぎることだけど、知るまでは全く思いもつかないような、そういうことかなと思う。

私はついに愛情の基礎③を宝箱から取り出し、レベルが2くらいアップした。
と、同時に22歳になった。
今年は少し、返ってこない愛情、愛されることの難易度の高さを知る人間として、自分のことを大切にしていきたいと思う。


Pexels の Plush Design Studio による写真




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