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回復室にて(頚椎腫瘍 7)

 回復室は看護師さんたちがすぐに来られるようにナースステーションの向いにあった。
 ベッドが2つ置ける広さで、夜になってカーテンで仕切られた隣のベッドに、午後に手術を受けた患者が運ばれてきた。
 Tさんという4〜50代の女性で、腰に腫瘍ができていたそうだ。顔は見えないが、娘さんが来ているらしく、話し声が聞こえてきた。
「こんな、芋虫みたいのだったよ」
 と言っているのは、母親の腰にできていた腫瘍のことだろう。

 Tさんにはずいぶんお世話になった。
 私はナースコールを手許に置いていたのだが、眠っているうちに何度となく落としてしまい、手探りで探してもわからなかった。
 その度に声を出して看護師さんを呼ぶと、Tさんが代わりに自分のナースコールを押して呼んでくれた。

 Tさんは私より軽症だったようで、手術の翌日には食事をとり、その次の日にはベッドから起きて、床で足踏みさせられていた。
 私より半日遅く手術して、私より1日早く病室に戻っていった。
 お互いに顔を知らないままだったが、私が病室に戻ってから会いに来てくれて、その後も何度も廊下で出会って立ち話をした。
 退院も私より2日も早かったが、わざわざ挨拶にきてくれて、娘さんからと言ってペットボトルの水をいただいた。

 手術の翌日にはご近所のNさんがお見舞いに来てくれたが、眠くてたまらず、起こされてひと言挨拶してまた眠ってしまった。
 Nさんは前年に亡くなったご主人が頚椎の腫瘍で手術していたので、私にも同情して自分のお洒落な杖を貸してくれたり、入院が決まるとタオルや浴衣を持ってきてくれた。
 鍵を預けて留守中のベランダと室内の鉢植えの水やりを頼んできたが、郵便物を届けてくれたり、食べ物の差し入れをもって何度もお見舞いに来てくれた。

 私は手術前に体調が悪かったので、なかなかベッドから起きられるようにならず、4日間も回復室にいた。その間に、約束通りYさんが洗濯に来てくれた。

 Yさんは中学1年のときのクラスメートで、他の友だち2人を加えて「4人組」と呼ばれるほど仲が良かった。学校の帰りに遠回りして彼女の家に寄っていくこともあったし、放課後の教室でエミリー・ディキンソンやクリスティナ・ロセッティの詩を暗唱したり、同じ男の子を好きになったり、クラスのお別れ会で二重唱を披露したり、「4人組」の中でもとりわけ気が合った。
 大学時代からしばらく疎遠になっていたが、いつ頃からか年賀状をやり取りする程度の付き合いが復活し、40代以降は折りに触れて連絡を取り合うようになっていた。

 この年(2004年)は、5月に私の気紛れから彼女を誘って千葉のローズガーデン・アルバに出かけ、8月には次大夫掘公園へ行って楽しい時を過ごした。
 おとなになってからじっくり話したことはなかったが、話してみると家庭環境がよく似ていたり、同じ作家に心酔していたりと、共通点がいくつもあることを発見した。

 10月に親しい友人たちにメールしたとき、ただちに中井先生を紹介してくれたのがYさんであることは「入院以前のこと」に書いたが、前年だったらまず私がYさんにはメールしなかっただろうと思うと、巡り合わせの妙を思わずにいられない。

 私は宗教はどれも信じないし、宗教というもの自体が好きではないが、ときに人知の及ばない大きな力で、自分の運命が動かされていると感じることがある。

誤解を招くといけないので書いておくが、宗教を信じないというのは、信仰がないということではない。
 宗教と信仰は違う。
 私は特定の宗教の神様ではなく、この宇宙を動かしている、人間には計り知れない大きな力の存在を信じている。
 そして、自分がこの世に生まれてくる元となった、過去に連なる人々に感謝している。
 これが、私の信仰だ。







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