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拒食症(頚椎腫瘍 26)

 T子ちゃんは拒食症で入院していた。
 拒食症の人は病名を聞かなくても見ただけですぐにわかるが、T子ちゃんも骨に皮が張り付いているといった感じでガリガリにやせていた。
 点滴をぶら下げたスタンド(正式名称を知らないのだが)を持って立っているのを、レントゲン室のある2階の廊下や売店でたまに見かけることがあったが、話しかけたことはなく、名前も知らなかった。

 あるとき、どこかへ行って戻ってくると、T子ちゃんが私たちの病室にいた。
 売店で茅ヶ崎夫人に声をかけられ、遊びにおいでと誘われたのだと言う。

 拒食症は精神的な病だから下手なことは口にできない。
 肝心の茅ヶ崎夫人が不在だったので、三崎口夫人と私が応対したが、病気には触れずに当たり障りのないことを話していた。

 国分寺のお姉様はさっさとどこかへ行ってしまったが、後で聞いたら、かかわり合いになるのが怖いからということだった。
 中途半端な接し方が病状の悪化を招くこともある。
 国分寺のお姉様は以前入院したときにも心の病を抱えている人を見て、なまじ変な同情心を起こすのは無責任だと思っているのだった。

 ちょうど錦糸町のおばあちゃんの孫のMちゃんが来ていたときで、T子ちゃんは私たちより年の近いMちゃんに親近感を抱いたらしかった。
 Mちゃんは優しく相手をしていたが、時間が来たので帰っていった。
 その後もT子ちゃんは私たちの病室にいて、なかなか立ち去ろうとしなかった。

 私たちでは年も違い過ぎるし、共通の話題もない。
 たった今知り合ったばかりで立ち入ったことは聞きにくい。
 何を話したらいいのか困ってしまったが、T子ちゃんは話さなくても、みんなといることを楽しんでいるように見えた。

「そろそろお部屋に帰ったほうがいいわよ」
「そうよ。また遊びにくればいいから」
 そう水を向けると、T子ちゃんは、
「はい。じゃあ、また来ます」
 と言うが、一向に病室を出ていかない。
「じゃあ、またね」
「はい。茅ヶ崎さんにもよろしく言ってください」
「言っておくわ。じゃあね」
「はい」
「気をつけて帰ってね」
「はい。じゃあ、また」
「じゃあね。またね」
「はい」
 しかし、T子ちゃんは帰らない。

「きっと話し相手が欲しいのよ」
「個室じゃ寂しいわよね」
 後で三崎口夫人とそう言い合ったが、T子ちゃんは翌日もやってきて、自分からこれといった話をするわけでもないのに、なかなか帰ろうとしなかった。

 私たちはT子ちゃんが嫌いではなかったし、少しでも力になれたら嬉しいと思って、T子ちゃんの興味を引きそうな話題を考えては話しかけた。

 T子ちゃんは毎日やって来た。
 少しずつ口数が増えてきて、自分のことや家族のこと、入院生活のことや、他の患者さんに言われて傷ついたことなどを話すようになった。(第三者にはその患者さんが悪気で言ったのではないことがわかるのだが、T子ちゃんは被害妄想になっていた)

 こうして何日かたったとき、たまたまT子ちゃんがいるところへ師長さんが現われた。
「あなたは別の階でしょう? 別の病棟の病室に来てはいけないのよ」
 師長さんは毅然と注意した。

 私たちはT子ちゃんが可哀想になって、なんとか執り成して私たちの病室にいさせてあげようとした。
 師長さんには責任があり、私たちの病室に来ることで、T子ちゃんの症状が悪化するかもしれないとの懸念から厳しい態度になったのだろう。
 後で考えたら師長さんが正しいとわかったが、そのときは冷たい感じがした。

 結局、その場は師長さんの言う通りT子ちゃんを帰したが、T子ちゃんも考えたもので、師長さんが勤務を終えた後の時間帯(消灯の少し前)を狙ってやって来るようになった。

 まもなくT子ちゃんは、今いる心療内科の個室を出て、私たちの病棟の個室に移ることにしたと言い出した。
「でも、この階は整形外科の患者しか来れないんじゃないの?」
 そうたずねると、T子ちゃんは明るい顔で、
「先生に聞いたら、個室が空いたら移れますって」
 と言う。何の疑いも持っていないらしい。
 奇妙な気がしたが、病院のシステムに確信がなかったので、それ以上疑問を口にしなかった。

 だれもが少しばかり困ったことになったと思い始めていた。
「そうやって期待していて、だめだとわかったときが怖いよねぇ」
 T子ちゃんのような子は精神的にデリケートだから病気になってしまうのだ。
 事実を告げて症状が悪くなったら困るし、かと言って、このまま期待をふくらませるのを放っておいていいものだろうか。
 師長さんが厳しいことを言った理由がようやくわかった。

 T子ちゃんは毎晩欠かさずやって来ては、個室がもうじき空くらしいと言ったり、もう空いたらしいと言ったりして、移っても良いと主治医の許可が出るのを待っているようだった。

「でも、私たちもそのうち退院しちゃうわけだから、この病棟に移って来ても、近いうちにみんないなくなっちゃうのよね」
 そうなれば病室を移った意味がなくなってしまう。

 私はT子ちゃんに、まもなくそうなることを覚悟させるように、何かにつけて退院を話題にした。
 自分も年内に退院するつもりだし、他の人たちも年末年始にかけて退院することになっている、と。

 T子ちゃんは少しずつ現実を飲み込んでいったらしく、ある日、主治医から病棟を移ることはできないと言われたと告げにきたが、予想外にしっかりしていた。

 拒食症の人の生活は、物を食べることとの戦いだ。
 術後の私が拒否した離乳食のような食事(ミキサー食)を、何時間もかけて食べる。
 毎日ほとんどの時間を食べることと向き合って過ごしている。
 そういうことを、私はT子ちゃんと知り合うまではまったく知らなかった。

 私たちの病室で話している間中、T子ちゃんは点滴を吊るしたスタンドを持って立っていて、椅子を勧めても決して座らなかった。
 座ると体の重みで血管が破れると話してくれたのは、ずいぶんたってからだった。

 拒食症はただやせるだけではない。
 栄養が足りなくなって体中に機能障害が出てしまい、血管も弱く破れやすくなるそうだ。
 そのこともT子ちゃんから学んだ。

 T子ちゃんは私たちの病室に遊びにきて、自分のことを話すようになって、前より病気を治そうという意欲が湧いたのかもしれない。
 今日はバナナを食べたなどと食事の報告をしたり、卵焼きが好きだとか料理が好きだとか、退院したら一緒においしいものを食べに行こうとか、前向きな発言が多くなった。

 私たちが1人ずつ退院してしまってから、T子ちゃんはどうしただろう? 
 病気は治っただろうか? 
 T子ちゃんもとっくに退院して、元気に暮らしていることを願っている。

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