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アンブラの星 2

 その日の夜、熱が出た。
 手足や背中、腰も痛くて、生きた心地がしない。
 いつもはブリタニア中を飛び回っている同居人たちが代わる代わる看病してくれなかったらどうなっていただろう。
 同居人の存在のありがたさを感じたが、身体が良くなるとすぐに、そんな気持ちは吹き飛ばされた。
 元気になったステラに同居人たちが詰め寄ったのだ。
 シェダルが心配して、毎日様子を見に来ていたらしい。
 あれは誰なのだと、洗いざらい吐かされて、引かれたり、にやにやされたりして、これはこれで生きた心地がしなかった。

 しかし、それが功を奏して、みんながシェダルと交渉して、メガネづくりをわが家でやってもらえることになった。
 材料費も同居人たちが出すということで決着したらしい。
 ステラがお金を払うと言ったら、シェダルはきっと断りそうで気になっていたのだ。
 同居人たちは作業場の掃除も手伝ってくれ、その後蜘蛛の子を散らすように出かけていった。
 ステラとシェダルをふたりきりにしようという配慮なのだろう。
 うれしいけれど照れくさい。

「こんばんわ、お身体の具合はいかがですか?」

 夕刻、思ったよりも少し早めにシェダルはやってきた。
 ステラのところへ来るために、勤務時間をずらしてもらったのだという。
 昨日のうちに明日からメガネの修理作業を始めたいと言われていたので、掃除は万全だ。

「店長も心配してましてね。 出来る限りのことをして差し上げるようにと言われてきました」

 床が見えるようになった作業場に案内すると、早速作業を始めようとするシェダル。
 メガネがないので、目尻のやさしい皺が確認できないのが残念だが、自分の家にシェダルがいるということが感無量で胸の高鳴りを抑えられない。
 作業テーブルの上に壊れたメガネが出され、それを大事そうにシェダルが見ている。

「この数日で直し方の計画を立てさせていただきました。 なるべく元のメガネの特徴を残して直していきたいと思いますが、何か他にご希望はありますか? 使ってて不便な点はございましたか?」

 メガネの修理は丁寧なリスニングから始まった。
 アンブラのお店より狭い作業場では、シェダルのささやくような声も心なし大きく、近くに聞こえる。
 質問にステラが答えるのを、シェダルはうなづきながら、さらに質問を挟みながら、じっくりと聞いてくれる。
 しゃべるのが得意でないステラだが、非常に話しやすくて、聞かれるままに、聞かれる以上のことをしゃべりたおしていた。
 いつも聞き役のことが多いステラが、話すことが楽しいと思えたのは初めてのことかもしれない。

「そうですね……。 お話を伺った感じだと、今までの大きさでは少しステラさんには大きかったかもしれませんね。 今回は、壊れたことを逆手に取って、少し小さめで、フレームも華奢にしてみましょう。 その方がステラさんの顔に映えるかと。 かわいらしい顔をフレームで隠してしまうのはもったいないですからね」

 かわいらしい。
 かわいらしいと言われた気がする。
 というか言われた……!
 認識した途端顔が真っ赤になってあつい暑い熱い!

「壊れやすくはなりますので戦闘をなさる方には向きませんが、職人のステラさんなら問題ないでしょう。 それよりも少しでも軽くした方がずれにくいし、疲れにくくなります」

 シェダルの説明が右の耳から左へと抜けていく。
 かわいらしい!
 その言葉だけでメガネが壊れて、怪我をして、熱を出した、そのすべての甲斐があった気がした。

「それじゃ、作り始めますね」

 シェダルの手が道具を握り、ときに大胆に、ときに繊細に動き始める。
 じーっと見ているステラに気を遣って、いろいろな説明をしながら、しかし手が動きを止めることはない。
 シェダルの手は大きくて、筋張っていて、指が長くて……。
 顔も見たかったけど、何だか照れくさくて、近くに座っているときは器用に動く手ばかりを見ていた。

 怪我はまだ痛み、自由に歩き回ることは出来ない。
 作業テーブルの近くに椅子を置いて、そこからずっとシェダルを眺めていた。
 毎日夕刻に来て、1時間から2時間作業をして、帰っていく。
 日が経つに連れて交わす言葉も少なくなったが、それと反比例して、シェダルをより近くに感じられるようになった。
 ステラの勘違いなのかもしれないが、言葉じゃない何かでずっと会話しているような親しさと温かさがそこにあった。

 シェダルの仕事は丁寧で、繊細で、それだけに時間がかかった。

「なかなか完成しなくてすみません。 メガネがなくて不便ですよね」

 そう言って謝られるたび、心の中で、ずっと完成しない方がいいです、そう呟いていた。
 だけど、ゆっくりでもメガネは完成に近づいていく。
 ステラの怪我もだいぶ癒えて、家の中を動き回るのには支障がなくなっていた。
 台所と行き来してシェダルにお茶を出したり、同じ作業場の中で仕事をしたりした。
 しばらく仕事をしなくても生活できるだけの貯えはあったが、何もしないでシェダルを見ていると、彼が恐縮し、気を遣うのがわかったから。
 今では見ていなくても、彼の存在をそこに感じるだけで幸せだったし、どんな真剣な表情で、どんな繊細な指使いで作業をしているか目に浮かんだから。

「シェダルさん、休憩しませんか? ココアを淹れました」

 トレイに2人分のココアとお菓子を載せて、作業場のシェダルに声をかける。
 ココアの甘い匂いが作業場に広がって、シェダルが顔を上げる。

「あぁ、ありがとう。 見てごらん、もうほとんど完成だ」

 うれしそうにシェダルは言うが、ステラの気持ちは落ち込んでしまう。
 シェダルは真面目で、毎日着々と仕事をこなしていく。
 近い将来終わりの日が来ることはわかっていた。
 それでも、それが間もないことを知らされるとショックがあった。

「わぁ、すごい! 折れてたなんて嘘みたい!」

 シェダルに落ち込んでることが伝わらないように、元気を装う。
 しかし言ってることは本心だ。
 折れたフレームは新しい木と組み合わされて、どこからどこまでが元のフレームで新しい木なのかわからないくらいキレイになっている。
 軽くなるように、なのか、フレームには細かい彫刻が施され、世界にひとつだけの芸術品だ。
 シェダルの愛情がこもってる気がして目頭が熱くなった。

「ホントに…… すてき…… すてきです」

 言葉が胸でつかえて出て来ない。
 でも、シェダルは満足そうに、そんなステラを見ている。

「まだ最後の仕上げが残ってるけど、かけてみて。 かけ心地はこれでだいたい大丈夫だと思うよ」

 そう言いながら、シェダルの指がステラの髪を寄せて、メガネをかけてくれる。
 メガネのかけ心地どころではなく、全神経がシェダルの指に集中してしまう。

「良かった。 よく似合ってる」

 おそらく真っ赤になってるであろうステラの顔については何も言わずに、シェダルが近くに遠くにメガネとステラを観察している。
 最高だけど最低だ。
 どんな拷問だ。
 こんなのまだ全然気持ちの準備が出来ていなかった。

「痛いところとか、気持ち悪いところとか、ないね?」

 言おう。
 伝えよう。
 気持ちを。
 シェダルへの想いを。
 メガネが出来て、前の店員と客という距離に戻るなんて、もう無理だ。

「良さそうだから、このまま仕上げに入るよ。 今ともちょっと印象変わると思うから、楽しみにしていて」

 シェダルの言葉にうなづいて、微笑みを返しながら、ステラは決意した。
 このところ、ずっと考えていたこと、迷っていたことを決行する。

 タイミングはメガネの完成の日。

 想いを胸に、今のところは平和的に2人ココアを飲みながら他愛もない話を交わす。

「私も昔は冒険者だったんだよ。 でも今の仕事の方が性に合ってる気がする。 いろいろと細々としたものを作るのが好きなんだ。 メガネはいちど作ってみたいと思ってたんだ。 でも材料が貴重で高価だろう? 今回はいい機会をもらえたよ」
「わたしも似てますね。 戦うことより、いろんなものを作って、戦う人をサポートするのが楽しいです」

 いつのころからか、シェダルの口調は打ち解けたものに変わり、プライベートな話もしてくれるようになっていた。
 子供の頃の話が多かった。
 やんちゃでいたずらっ子で、でも正義感が強くて仲間が何より大事。
 そんな少年シェダルの話は新鮮で、でも今のシェダルにも通じるようで、聞いていて楽しかった。

 ステラもたくさんの話をした。
 子供の頃の話、冒険者になってからの話、今の同居人たちとの出会いと毎日の話。
 ステラとシェダルには共通点が多くて、そんなのがみつかるたびに2人で顔を見合わせて笑った。

 シェダルにステラの気持ちを伝えたら、どうなるか自信はなかった。
 嫌われてはいないと思う。
 むしろ好かれていると思う。

 だけど、『好き』には種類があることを、ステラは知っていた。
 この静かな、よろこびの多い時間を失いたくなかった。
 だけど、いちばん伝えたいことを伝えられずにいるのがつらかった。

「ステラさん。 完成したよ」

 ついにその日が来た。
 前と同じように、壊れ物を触るようなやさしいタッチでシェダルの指がステラの髪を寄せて、メガネをそっとかけてくれる。
 軽く、それでいて顔にフィットして、うつむいても、顔を左右に振っても、ずれることがない。
 シェダルのやさしい笑い皺も良く見える。

「軽いし、ずれないし、とても良く見えます」

 シェダルが満足そうにうなづく。
 これでもうシェダルがこの家で作業をすることはないのだと、この幸せな時間も失われるのだと思うと、胸が詰まって次の言葉が出て来ない。
 シェダルも何を思っているのか、黙って、何も言わない。

 このまま、何も言わずに別れたら、ただの店員と客。

 言ったら……。

 店員と客にすら戻れなくなるかも、と弱気の虫が騒ぎ立てる。
 だけど、少なくとも、ステラの大切な思いは伝わり、結果がどうであれ昇華される。
 伝えよう。

 メガネをそっと外す。
 寄木細工の手法で古いフレームに新しい木が継ぎ足され、だけどどこにもつなぎ目が見えないくらい丁寧に仕上げがされている。
 細かい彫刻が施され、透明でキラキラ光る石がはめ込まれている。

「キレイな石……宝石……?」

 うっとりと眺めながら尋ねると、シェダルは首を振った。

「ガラスだよ。 前のメガネのレンズを磨いて、細かいカットを入れたんだ。 レンズをそのままでは使えなかったけれど、何かに使いたかったんだ」

 その言葉に、行為に、ステラは愛を感じた。
 愛にもいろいろあるのは知っているが、愛は愛。
 勇気をもらった気がした。

「ありがとう……シェダルさん。 とてもキレイ……」

 何て言い出していいかわからなくて、ただのガラスとは思えないくらいキレイな輝きを眺める。
 何を思っているのか、シェダルも何も言わず、ステラのことを見つめている。
 ここに来なくなることを、少しはさみしく思ってくれているのだろうか。
 聞いてみたくなって、口を開く。

「シェダルさんがここに来てくれるようになって…… わたし、とてもうれしくて、楽しかったんです……」

 ホントはちゃんとシェダルを見つめて、熱く見つめてささやきたいが、恥ずかしくて顔が上げられない。

「うん、私も、ここでの毎日は楽しいものだったよ」

 シェダルもやさしくそう言ってくれる。

「わたし、初めてお会いしたときから、シェダルさんのことが好きです。 長い時間、一緒に過ごせて、ますます特別な存在になりました。 これからもずっと……わたしと一緒にいて……もらえませんか……?」

 最後は、ちゃんとシェダルの顔を見て言えた。
 しかし、見えない方が良かった、そう思ってしまった。
 シェダルは、とても悲しそうな、さみしそうな顔をしていたから。

 あぁ、断られるんだな。
 何も聞かなくてもそれがわかった。

 なーんてね、冗談です!
 そう言ったらホッとして、また笑ってくれるのだろうか。

 でも、冗談になんて出来なかった。

「知っていました。 気づいていましたよ、ステラさんの気持ち。 でも、私には、それをお受けする資格がないのです」

 しぼり出すようなシェダルの言葉。
 しかし、意味がわからない。

「資格って何ですか? わたしは、ただ、一緒にいたいだけです。 資格もなにもないです。 わたしのことが嫌いならそう言ってください、大丈夫です」

 大丈夫なはずがなかった。
 きっと海の底に沈むがごとく落ち込む。
 でも、資格とか言われて、わけのわからない理由で断られるのはもっとイヤだ。

「嫌いではないです。 それなら私も気が楽だった」

 シェダルの次の言葉をじっと待つ。
 嫌いではない。
 前だったら飛び上がって喜んだであろうその言葉が、今は全く心に響かない。

「ここで、ステラさんと一緒に作業する毎日。 私は幸せでした。 だけど、私は幸せになってはいけないんです。 だからずっと人と関わらないようにして生きてきました」

 シェダルは沈痛な面持ちで語った。
 好きとか嫌いとか、そういうレベルで断られたんじゃないということがわかって、ステラは少し落ち着きを取り戻す。

「幸せになってはいけない人なんていないと思います! 人と関わらないなんて悲しすぎる……」
「ありがとう、ステラさん。 こんな私のことを好きだと言ってくれて…… あなたには、ちゃんと説明したいと思います。 アンブラまで、一緒に行ってもらえますか?」

 一も二もなくうなづいた。
 アンブラ。
 あの静かで美しい街にシェダルの秘密が眠っている。

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