20190121note徳之島の秋後編

徳之島の秋 後編

 夕餉の準備をしているのだろう。
 村に入るとあちこちから良い匂いが漂ってくる。
 ばあちゃんの待つ自宅からは魚を焼く匂い。
 今日は何の魚かな、と思いながら扉を開く。

「ばあちゃんただいまー」
「おかえり。 そろそろ夕飯だよ。 支度を手伝っておくれ」

 魚は我が家では贅沢品だ。
 ばあちゃんは言葉にはしないけれど、お社参りにわたしが行くことを喜んでくれていて、魚を準備することで労わってくれているのだろう。
 普段の夕飯は、味噌汁とご飯と漬物、良くて卵焼きだ。
 もっとも、村のだいたいの家庭がそんなものだろう。

 うちの村は貧しい。
 徳之島の中でも魔物が多い地域にあるし、人同士の、いろんな争いの舞台にされることも多かったらしい。
 お参りの行きに良くばあちゃんが話してくれた昔話で聞いた。

「そうだ、ばあちゃん、この模様、見たことある気がするんだけど、わかる?」

 空っぽになった手桶を片付けようとして、中に入れていた兜に気づいて取り出す。
 振り向いたばあちゃんに、模様を見せると、サァーっと血の気が引いてばあちゃんの顔色が変わるのがわかった。
 たぶん数秒だったと思う。
 沈黙の後、ばあちゃんが顔色を取り戻し、小さく呟いた。

「……夕飯の後だ」

 その言葉と、小さくなった背中で、正解を持ち帰ったことを悟った。
 何かの目的があって、お社をお参りしているのかもって言うのは、ずっと前からうすうす感じていたことだ。
 その目的っていうのはきっとおとうちゃんとおかあちゃん、そしてじいちゃんに関することだってことも。

 ずっと小さい頃からわたしはばあちゃんと二人きり。
 いるはずなのにいない家族の話は子供心にしてはいけないって感じていた。

 その日は味のしない夕飯だった。

「さて……話をしようか」

 無言で夕飯を済ませ、片付けを終えて、ばあちゃんと向かい合って座る。
 ばあちゃんは兜を手に物思いに耽っている。

「何から話したもんかねぇ……」

 そう呟きながら、ばあちゃんはひとつの文箱を取り出してきた。
 いつもは押し入れの中に仕舞ってあるけど、夜中や明け方、ふと目が覚めると、ばあちゃんが文箱を前に涙ぐんでいることが良くあった。

「おまえが見たのは、この文箱の蓋の内側、この模様だろう?」

 そこにはばあちゃんの言う通り、兜と同じ模様がついていた。

「これは、うちの家の印、家紋って言うんだよ。 いろんな小間物についていたけど、大抵のものは売っ払っちまったから、今はこの文箱だけだ。 おまえが小さい頃は、まだもうちょっとあったから、それで目にしたことがあるのかもねぇ」

 兜の模様は半ば消えかけていたからわからなかったが、文箱の模様を見て、ハッとした。

「これ……彼岸花……?」
「そう。 今となっちゃ、どういう謂われの紋だったのかわからないけど、私の人生の折々を象徴してるようでね……。 大嫌いな花だよ」

 ばあちゃんは、文箱の中から一通の文を取り出して、わたしに見せた。

「戦死……通知……? これ、おとうちゃんとおかあちゃん……?」
「そう、二人は優秀な忍びだった」

 そして、ばあちゃんは二人の思い出を初めてわたしに話してくれた。
 ばあちゃんはおかあちゃんのおかあちゃん。
 おかあちゃんが生まれた時のこと、小さい頃のこと、大きくなって忍びになって、おとうちゃんと出会って、わたしが生まれて、そして、二人が戦に行ったこと。
 戦に行って、それきり帰って来なかった。

「二人とも優秀な忍びだった。 私もじいちゃんも二人が死んだなんて信じられなくて、じいちゃんは二人を探しに旅に出た。 そして、じいちゃんもそれきり戻って来ない。 二人が戦に出たときも、じいちゃんが旅に出たときも、彼岸花が盛りに咲いていた……」

 気づいたら、わたしの顔は涙でぐしゃぐしゃで、ばあちゃんも瞳に涙を湛えていた。
 何で自分が泣いてるのかわからなかった。
 ばあちゃんがいたから、わたしは一度も寂しいって思ったことなかったのに。

「お社にお参りしながら、ずっと二人を探していたんだ。 お社は戦場跡に置かれることが多いからね。 足が悪くなって、あんたに何も教えずにお参りだけを代わってもらって、もう、二人の痕跡を見つけることは出来ないって思ってたんだ。 話せばよかっただけなんだけどねぇ……」

 ばあちゃんが兜を持ち上げ、兜を被った人と目を合わせるようにして、にっこり笑った。

「この兜はうちに代々伝わる兜でね。 うちは女系だったから女用の兜なんだよ。 あんたのおかあちゃんが最後の日にかぶって行ったんだ」

 沈黙の中、わたしのすすり上げる音だけが響いていた。
 言葉にできない気持ちが込み上げてきて、胸が熱くて仕方なかった。

「やっと、帰って来た……。 あんたが来るのを、あんたに見つけてもらうのを待っていたのかもねぇ……」

 ばあちゃんを優しく抱きしめるおかあちゃんの姿が見えた気がした。
 それを見守るおとうちゃんとじいちゃんの姿も。

「その兜、直したら、またかぶれるかな?」
「そうだねぇ……。 だいぶ錆び付いてはいるけど……」

 がしがしと着物の袖で涙を拭って深呼吸をして言う。

「わたし、それ直す。 そんで、わたしも強い忍びになって、秋に戦に行って、でもわたしは絶対帰ってくる!」

 立ち上がり、ばあちゃんを、そしておかあちゃんの兜を見据えて宣言する。
 涙があふれそうになるけどぐっと我慢する。
 今は、今だけは泣いちゃダメだ。

「わたし、わかったんだ。 ばあちゃんがわたしのこと、いつもあんたって言って、名前で呼んでくれないの。 わたしの名前が秋だから、秋にイヤなことがいっぱいあったからなんだね」

 また涙がこぼれ、声が震えそうになるのをぐっと我慢する。
 気づかない振りをして、何でもないと思い込んで、でもずっと不思議で、そしてさみしかった。
 わたしは秋だよ、秋って呼んでよって思ってた。

「わたし、がんばるよ。 がんばって、ばあちゃんにいい秋の思い出、いっぱい作ってもらうよ。 おかあちゃんの分もいっぱい!」

 ふわっとした感触がして、ぎゅっと抱きしめられていた。
 ばあちゃんにぎゅってされるの、いつ以来だろう。
 ばあちゃん、ガリガリで骨ばってる。
 まずは美味しいものいっぱい食べさせてあげなきゃ……。

「あき……秋……秋、ごめんよ、そういうつもりじゃなかったんだよ。 秋がいてくれて、ばあちゃん、どんなに救われてるか……」

 今までの分を取り返そうとするように、何度もばあちゃんが秋って呼ぶ。
 秋、秋って繰り返すばあちゃんをわたしもぎゅっと抱きしめる。
 おかあちゃんの分も。
 ぎゅっと……ぎゅうっと……。

 その夜、久しぶりにばあちゃんと一緒の布団で寝た。
 今よりずっと小さい頃、夜中に良く泣いて目が覚めた。
 そんなとき、ばあちゃんは自分の布団にわたしを入れてくれて、背中をとんとんしてくれた。
 そうすると安心して、朝までぐっすりに眠ることが出来た。
 あれは何歳くらいのときだったんだろう。
 ばあちゃんはまだふっくらしていた。

 明日、ばあちゃんにおにぎりを握ってもらおう。
 河童の兄妹の分と、ばあちゃんとわたしの分。
 そうしてみんなで一緒にあの沈んだ船のところに行こう。
 河童に頼んでもっといっぱい引き上げてきてもらおう。
 もっとおかあちゃんやおとうちゃんのものがあるかもしれない。
 お社もキレイにして、飾るのはたくさんの秋の花。
 摘んではいけない花だけど、いつか、いつのまにか、きっとあの花も咲くだろう。
 あれはそういう花だから。
 気づくとそこにそっと咲いている。

 わたしと
 おかあちゃんと
 ばあちゃんの花

 彼岸花

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