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アンブラの星

2018年4月 出雲『第1回出雲文芸の星』出品作品

*-*-*-*-*

 アンブラ。
 陰気だ、暗い、怖い。
 そう言ってこの街を嫌う人も多い。
 しかし、ステラはこの街のしっとりと湿気を含んだような静けさが好きだった。
 何よりこの街には星が輝いている。
 どういう仕組みなのかはわからないけれど。
 自分の名前に通じるその輝きがいつも自分を励ましてくれているような気がしていた。

「ふー。 あの口の悪さ……どうにかならないかしら……」

 おやつクエを終え、恐怖食堂へトボトボと歩く。
 毎日の仕事の終わりにおやつクエを請けるのを、この1ヶ月、ステラは日課にしていた。
 ヴェスパーからアンブラへ、小さなおやつを届けるだけで、練成スキルをあげるのにちょうどいい魔法のアイテムをもらえる。
 練成スキルを上げるのにも、上げた後小金を稼ぐのにもお得なクエストだ。

 ステラは冒険者。
 しかし、モンスターと戦うのは性に合わず、いろいろなアイテムを作って、それを売買することを生業にしている。
 武器や防具を作ることが多いが、最近はそれに練成を施さないと売り物にならない。
 そのためすでに練成も伝説級まで修行してあった。
 小金がほしいわけでもなく、おやつクエを続けているのは、別の理由からだった。

 恐怖食堂でマフィンを買っていつもと同じ席に着く。
 隣のスケルトンスウィルでミルクも買った。
 1時間くらいかけてゆっくり味わいながら仕事の疲れをとる。

「あ! シェダルさん出て来たわ……! 仕入れかしら? 配達かしら?」

 この席からはグレイブディガー雑貨店の様子が良くわかる。
 線の細い、少し猫背のその姿が目に入るだけで心臓がドクドクと鼓動を早める。
 彼は雑貨店に勤める細工師のシェダル。
 1ヶ月ほど前、仕事に使う道具が切れていたことを思い出して、買いに入ったその店で、彼に出会った。
 何か特別な出来事があったわけではない。
 だけど出会った瞬間彼が特別になった。
 彼の不健康に青白い顔が、筋張った手が、そしてやさしい声が、脳裏を離れず、また会いたくなってアンブラに来てしまう。
 最初は、その気持ちの赴くままに、アンブラを訪れては1日中遠くから彼を眺めていたが、1週間ほどで正気に戻った。
 これではストーカーだ! 変態だ!
 しかし会いたい気持ちは抑えられず、考え出したのが、おやつクエをやって、恐怖食堂で休憩しながらシェダルを眺めて、明日の仕事道具を彼から買うという流れ。
 シェダルの姿を見られる機会は格段に減ってしまったが、その分見られたときのレア感が増した、と思って自分を慰めている。

 ………。

 ステラにもわかっているのだ……。
 まだまだ充分変態的だということは。
 しかし、シェダルの姿を見ないと、どうしても気持ちがそわそわして落ち着かなくて、集中出来ず、何をしても失敗ばかり!
 朝、今日はアンブラには行かない、と決めたはいいものの、耐え切れなくなって、シェダルの勤務時間終了ギリギリにアンブラに駆け込んだこともあった。
 雑貨屋に入る前に、シェダルの低く良く響く声が外まで漏れ聞こえてきて、その場に崩れ落ちて、涙を流したこともあった。
 その涙を拭いながら思ったのだ。
 もう、変態でいいと。
 愛とは変態的なものなのだ。

 そう自分に言い聞かせながら、メガネのフレームをくいっと上げて、微調整する。
 知らず前のめりになっていて姿勢を戻したら、メガネがずり落ちた。
 小さい頃から視力の悪かったステラに、冒険者になる記念だと家族がプレゼントしてくれた記念のメガネ。
 見えにくいとモンスターと戦うとき不便でしょう?と言ってくれたけど、結局動物とかせいぜいモンバットとしか戦わないまま今まで来てしまった。
 しかし、こうしてシェダルを鮮明に見ることが出来る!
 とっても役に立ってるよ! ありがとう!

「シェダルさん、細いなぁ……。 ちゃんとご飯食べてるのかなぁ……」

 どこかへ行って、再びシェダルが帰って来た。
 さっきは持っていなかった大きな箱を抱えているということは仕入れに行って来たのだろう。
 何を仕入れてきたのだろう。
 シェダルが抱えているあの箱ごと全部買い占めたい!
 今ならまだ箱にシェダルの温もりが残っているかもしれない……!
 と考えたとき、まるで正気に戻れ、とでも言ってるかのようにメガネがずり落ちた。
 もう結構な年月このメガネをかけている。
 途中修理したこともないし、最近しょっちゅうずり落ちるのは、壊れかけているのかもしれない。
 新しく買いたいと思うこともあるが、メガネは高価だ。
 せっかく新しくするなら、あのプロパがついたあのメガネ……いや、やっぱりこのメガネの方がいいかもしれない……などと欲が出て来て、結局決められない。

「でももっとシェダルさんが良く見えるならどんなメガネでもいいかも……」

 何の変哲もないミルクが、練乳直飲みしてるみたいに甘く感じる。
 シェダルはおそらく中年と言われるような年代だろう。
 目尻や口元に皺が多いし、肌に張りがなくて、やさしく緩んでいる。
 手を伸ばして、その皺を伸ばすように触れてみたくなる。
 青白いその肌は、きっとちょっとひんやりして、でもだんだんと温かみを帯びるだろう。
 シェダルは最初驚いた顔をして、そのあとは照れたような微笑を浮かべて……。
 妄想が炸裂して、マフィンを食べこぼし、あろうことかよだれが口の端から流れていた。
 さぞや情けない、にやけた顔をしていたことだろうと反省する。

 さて、仕事の疲れも癒えた。
 そろそろシェダルの元へ向かおうとマフィンを頬張るスピードをあげる。
 仕事に疲れてげっそりした顔ではシェダルに会えないので、恐怖食堂でのひとときは必須である。
 恋愛面では変態のステラだが、仕事には真面目で、知らず体力の限界まで働いてしまうのだ。

「こんばんわ~」
「ステラさん、いらっしゃい」

 シェダルがかすかな、ホント~にかすかな微笑みを浮かべて名前を呼んでくれる。
 毎回大量買いしては銀行引き落としにして、サインを書きまくった甲斐があった。
 まだ名前を呼ぶのは慣れないのか、そこだけ、普段の小さな声よりさらに小声になるのが愛おしい。
 小声のまま、もっと、もっと、耳元で……!とまた妄想と欲望の世界に沈んでいきそうになるのを辛うじて堪える。

「今日は、えっと……裁縫道具とスレッジハンマーとスミスハンマーと……あれとこれとそれとついでにあれもあるだけください」

 ステラが思いつく限り、買える限りの注文を出し終わると、シェダルがくすっと笑う。

「ステラさん、今日も大量だ。 お仕事お忙しいんですね」

 今のは本気の笑顔だ……!
 シェダルは店員だというのに物静かで声も小さく、表情もあまり変わることがない。
 それはアンブラに住む人に共通する特徴なのかもしれないが。

 思わず動揺してしまいながら何とか返事の言葉を探す。
 毎日大量に生産道具を買っていくが、もちろん全部を使いきれるはずもなく。
 いつかは使う、いらないものじゃないし……と言い訳しつつセキュアに仕舞いこんでいる。
 そんなセキュアが1ヶ月あまりでもう3つ目に入った。

「お、おかげさまで……! どどっ、道具はいくつあっても足りないくらいで……!」

 動揺して、どもって、挙動不審なステラに気づいてないかのように、シェダルは自然に荷物を詰め込んで行く。
 見れば少し前にシェダルが抱えていた、シェダルの温もり着き、匂い着きの箱に入れていて、再び動揺が走る。

「今日は他にもお客さんが多くて、さっき仕入れに行ってきたんです。 ステラさんが来る前に間に合ってよかった」
「そそそ、そそ、そうだったんですね! あの! インゴットもください! 入るだけ!」

 狼狽は浪費を生んだ。
 毎日大量買いのステラだが、この日は特に大荷物になった。
 シェダルも心配する重量だ。

「重いですけど大丈夫ですか? 良ければ私が配達しますが……」

 シェダルが家に来てくれる……!と一瞬妄想モードに入りそうになったステラだが、すぐに家の惨状を思い出して頭を振る。
 それでなくても生産活動は散らかるのに、このところずっと、ギリギリまで仕事をしては、片付けもそこそこにアンブラに飛んで来ている。
 整理できないいろいろをセキュアに突っ込んではそのままになるので、セキュアの数ばかりが増え、床が見えないくらい並んでいる。

「い、いえ、大丈夫です! わたし、冒険者ですから、こう見えて力持ちなんです!」

 そう言って箱を持ち上げた瞬間、思っていた箱の重さとの違いに、バランスを崩した。
 その箱は思っていた何倍も重くて、何とか持ち上がったけど、持ち上げられたのがかえって悪かった。
 すぐに箱の重みに引っ張られて、ぐらっと身体が大きく揺れる。
 危ない!と思ってすかさず箱を投げ出す。
 しかし失ったバランスを取り戻すことは出来ず、背中から床へと倒れこむ。
 その上に投げ出した箱の中身が降り注ぎ、身体中が衝撃と痛みに包まれた。
 メガネも吹き飛び、焦点の合わないぼやけた世界の中、シェダルの驚いた顔と差し出された手が見えた気がした。

 そしてブラックアウト……。

 星も光らない真っ暗闇の中、最初に届いたのは声だった。
 やさしくて、あたたかくて。
 震える低い声が何度も何度もステラの名前を呼んでいた。
 震えてるのは心配しているからだ、そう気づいた瞬間、いろんな情報が一気に押し寄せてきた。
 ステラを抱き寄せる逞しい腕の感触。
 ひんやりと硬い床の感触。
 そしてロウソクの仄かな灯りの中、心配そうなシェダルの顔。

「良かった! 気がついたんですね……」

 ステラの身体を抱くシェダルの腕に力がこもる。
 ドクドクドクと早いテンポで打つシェダルの心臓の音が聞こえて、ステラの心臓も早いリズムを刻みだす。

「わたし……倒れて、気を失って……?」
「えぇ、でも気がついて良かった。 そんなに長い時間じゃなかったけど、気が気じゃなかったですよ」

 あまりにシェダルと近すぎて、また気を失いそうなので、ゆっくりとさりげなく身体を起こして辺りを見回す。
 散らばったはずの荷物は拾い集められ、箱に入れなおされている。

「ご心配おかけしてしまったようで……ごめんなさい……」

 謝りながら顔を下げ、癖でメガネを直そうとして、それがないことに気づく。
 そういえば世界がぼやけている。

「あぁ…… 荷物と一緒に飛んでしまったみたいで……」

 そう言って差し出されたメガネは悲惨な状態になっていた。
 ガラスは割れ、半分も残っていない。
 フレームも折れて、分解されたようになっている。

「大事な物……だったんですよね……」

 ショックを受け、気落ちしているのが伝わったのだろう。
 シェダルが壊したわけでもないのに、申し訳なさそうにそう呟く。
 ステラが勝手に無茶をして、勝手に転んで、勝手に壊したのに。

 毎日のちょっとした会話だけでもそれは伝わってきていた。
 シェダルはとてもとてもやさしい人なんだ。

「はい、これがないと不便というのもありますけど……。 思い出があるものなので……」

 買い換えようと何度も思ってたのに、それでも本当にもうかけられなくなってしまうと、胸が詰まった。
 折れたフレームを指でなぞる。

「もし良かったら、私にそのメガネ、直させていただけませんか? なるべく元の材料を使って、元に近い形に直してみたいのですが」

 シェダルの申し出にキョトンとしてしまう。
 が、そうだった。
 彼はただのすてきな男性ではなく、細工師だった。

「いいんですか……?」
「はい、もちろん。 初めてなので、少しお時間をいただくことになってしまいますけど」

 床に打ち付けた背中とお尻の痛みも、シェダルに迷惑と心配をかけたことも忘れて、シェダルともっと頻繁に会うチャンス!と思ってしまったステラを誰が責められるだろう。

「あ、ああ、あのっ! だったらお願いがあるんですけどっ」
「はい、何でも言ってください。 出来るだけのことはさせていただきます」

 真面目に答えてくれるシェダルに、それを言い出すのは少し躊躇させられたが、欲望が背中を押した。

「メガネを直すところ、見させていただけませんか……?」
「えっ……ちゃんと直すとお約束しますよ……?」

 欲望に支配されたステラは、シェダルの表情が曇って初めて誤解を与えたことに気づいた。

「あっ……! ちがっ……違うんですっ……! わたし、細工できないんで、どういう風にするか興味があるだけで……! もちろん、ちゃんと直してもらえると思ってます! むしろ、どんなにステキになっちゃうのかなって楽しみなくらいで……!」

 懸命に言葉を連ねていると、シェダルがふっと破顔して、その初めて見る笑顔に思わず黙ってみつめてしまう。

「すみません、あんまり一生懸命言ってくださるので、うれしくなってしまいました」

 照れくさそうに口元にこぶしを当て、視線を落とすのもかわいらしくて、もう、大好き!と叫びたいのを我慢するのがつらかった。

「そういうことでしたら、ぜひご覧になってください。 仕事の後に店で作業しますので、いつでも見にいらしてください」
「よろしくおねがいします!」

 こうして、ステラはメガネと身体の痛みと引換に、シェダルとの時間を手に入れた。

「あ、でも、ステラさん。 数日は安静にして身体を労わってくださいね? 今日は家まで送らせてください」

 放り出してしまった荷物は、ステラの身体の上に降り注いだらしく、身体のあちこちが痛くて歩くのも大変だったが、荷物を持ったシェダルに心配されつつの道行は幸せだった。

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