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ふしん道楽 vol.9 壁の色

玄関の壁にいつも鉛筆でシュッとこすったような黒い跡がついている。
見つけると消しゴムで消しているが、気が付くとまたついている。

今いる家の壁がいわゆる本当の真っ白なので非常に目立つし、ちょっと描き始めたものの手が止まった原稿用紙を思い浮かべてしまって精神に微妙なプレッシャーを与えてくるので気になって仕方ない。

今の家のリフォームで選んだ色はターナーの青みがかった病院のような白。
壁用のサラサラした質感の塗料なので見た目にもマットな印象。
単語カードのようなリングで留めてある色見本を何回もめくり、いくつもある白を壁に当てたりして悩んで悩んで決めたものだ。

もちろん自分の要望で決めたのではあるけどここまで紙っぽくしなくても良かったか?
という気持ちになった。
いや、すごい考えて決めたんだけどね。

壁って面積が大きいだけに思っていた以上に家全体に影響するから、決めるのが本当に大変だし度胸もいる。

毎回例に出してしまうけど、最初にリフォームした家は、まだ20代だったせいもあり女の子らしい夢が炸裂していた。
バスルームは珪藻土の壁にスモーキーピンクのタイル。
同じタイルを洗面所の壁にも貼っていた。
しかもオーダーしていないのに設計士さんの計らいで大きな洗面所の鏡のフレームには、薔薇の花が彫られていた。
ラブリーにもほどがある。

玄関ホールの壁も薄いアプリコットピンク。
玄関入ったらもうピンクなのだった。
産婦人科か!
と突っ込みたくもなるが、当時の私はヨーロッパ風への憧れが強く、イメージとしてはイタリアのコモ湖畔にある古いお城のホテルの壁を思い浮かべていた。
家具が全く追いついてないのだが取り急ぎ壁紙まで……というわけで、その壁紙を選んだときに学んだことがある。

選ぶときは何枚ものサンプルを並べて濃度を比べ、実際にその場所に持っていって当てたりして光の加減なども試す。
角度によっては全く違う色に見えることもあるので重要な作業だ。

仕事柄、色彩については細かい。
イメージ通り少し抑えめの色調でテラコッタを水で薄めていった途中にあるような透明感のあるアプリコットに決めた。
せっかく壁の色を変えられるのに白ではつまらない、と張り切っていたのもあり、結構な濃い色を選んだつもりだった。
思い切っちゃったな!エヘ!
と、嬉しさのあまり床を転げ回りながら完成をまった。

ちなみに寝室の壁は、卵色というかクリームイエローに少しだけピンクみがある色にした。
玄関ホールの色を黄色方面に変換したような雰囲気で濃度も同じくらい。
こちらも卵の中にいるような安心感を求めて決めたのだった。

ところがいよいよ家が完成して興奮しながら玄関に入ってみると…

ほぼ白……いや薄いベージュ??
あれ?もう日焼けして退色した????

はてなマークを顔の周りに大量に浮かべて千手観音みたいになっていた私に、設計士さんが親切に説明してくれた。

みなさん壁紙を選ぶときには小さいサンプルで見る。
面積が小さいときには色が濃く見える。
それを壁という広い面積に塗ると拡散するので色は薄くなる。

つまり一点を見ているときには集中してその色を目が拾えるのだが、面積が広くなると拾いづらいということなのか。
とにかく「広くなる=色が薄くなる」
という壁の色の原則をここで身をもって学んだのだった。

いや、学んだのはいいけど壁……あまり個性がないというか最初のイメージとは全くかけ離れてしまったよね?
なんでこんなうっすらピンクになってるの??

ガッカリしたあまり、もう一度サンプルを見たいと設計士さんにお願いした。
壁にあててみると当然だけど同じ色。
そもそもサンプルの時点で、思い切ったつもりがわりと薄めの色を選んでいたのに気が付いた。

そもそも漫画は画面が小さいのでいつも塗っている面積も小さい。
その細かな中での色彩感覚を空間に起こす場合は立体と空間の広さ、眼との距離も計算に入れるべきなのである。

そんなことがあったので次にリフォームした仕事場は壁の色を思い切りよく紫と赤紫、部屋によってはピンクにしてみた。
想像通りの仕上がりにするため一段階濃い色を選ぶようにしたので、全て濃厚な色味で、ドアや窓枠などポイントに黒が使われていた。
入った瞬間は洋服屋のようで楽しく、雑誌の撮影に貸したこともあったが長時間いるとなんだか辛くなってくる。
目から入る情報が多いとくたびれてしまうのだ。
考えてみりゃわかるようなことだが、一度やってみたかったのだ。
そしてやってみたら気が済んだのだった。
壁は落ち着いた色調の薄い色の方が良い。
店舗や特別な場所などポイントで濃い色を使うのは良いけれど、ずっといるような場所では安らぎの方が大切だ。

そんなわけで今の家もほとんどの壁を白に決めたのだが、寝室だけはちょっと冒険しようという気になって落ち着いた紫や濃い目のグレーが候補に上がった。
しかしやはり寝室はとりわけ落ち着きたい場所である。
迷った挙句に結局白を選んでしまった。

気がつけば家中が真っ白になっていた。
そして小さな汚れを見つけては消しゴムで消しているのだが、これは本当に何による汚れなの?
早急に解明したいところである。

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