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朝の待合室

 おはようございます😌 理生(りお)です。

 昨日、通っている心療内科の病院に行ってきました。
とても忙しい病院でしたので、待っている間にスマホで適当に物書きをしていました。

 画像がかわいい!!
 ki_nyaさんから拝借させていただきました。

 今朝は、昨日の書いていたそんなお話です。
 2本仕立てとなっております。

 1つめ「本当は生きたかったんだろうな」は、身の回りに起きた最近の出来事です。
 2つめは、三国志で私の好きな人物のことを書いています。



本当は生きたかったんだろうな


 病院の待合室で、かれこれ1時間以上待っても、一向に呼ばれる気配がないので、スマホで記事を書いてみようと思います。

 (*´σー`)エヘヘ ただの暇つぶしです😆

 医者の不養生とはよく言ったものだな、と。
 私よりも、こんなに多忙なお医者さんのほうが
病気になってしまうのではないかと、いつも思っています。

 診てくれる人がいるからこそ、健康で今日も過ごせることができること
感謝したいと思います😌✨

 健康から話は変わるのですが
私の住んでいるアパートの近くに電車が走っていまして、そこに踏切があります。
 その踏切は、とても人身事故が多い場所なのです。

 特にここ最近、物価高が押し寄せてきてから
自ら命を絶つ人が増えているのではと思います。

 花が手向けられておりましたが、それも2,3日すれば無くなってしまう…
その後に、花が手向けられるのは、次に命を絶った人が現れた時。

 だからと言って、私には何もできない。
 ただ、手を合わせるぐらいしか。
 その時に、思うのです。
 どんなに辛くて、飛び込んでしまったのだろう、と。

 そのことを書きたかったわけではないのですが
なぜだろう、書かなくてはいけない気がしたのです。
 苦しみを分かって欲しいのかもしれません。
 ただ、私には分かりません。

 1つ思うのは、今日も生きていることに、感謝したいと思うのです。
 おそらく、その方達も生きていたいと、感謝したかった、と思うのです。

 不思議です。
とても不思議な気分なのです。

 引き寄せられないように、感謝して生きることが大切だよと
言われてる
ような気がするのです。

実際は分かりません。
 ただ、今日の線路の清掃?修理?をしている方たちを見て、そう感じたのでした。

 ちなみに、まだ呼ばれません!
 お医者様は大変だー🙇

 生きてるってだけで、とても素晴らしいことだと思いました✨


呉下の阿蒙

 三国志は、とても人気のある歴史物語です。

 私は、三国志が大好きです!!
 とても詳しい訳ではないのですが、三国志は色々な人間模様があり、人間ドラマとして、とても興味深い作品です。

 魏の曹操孟徳、蜀の劉備玄徳、呉の孫権仲謀。
 三つ巴というバランスが、とても好きなのです。

 お互いが生きるために必死なので、くっついたり、離れたりを繰り返して、最終的に、晋の司馬炎が中国を統一するというお話です。

 三国志演義は歴史を元にした創作物ですが、そのおかげで人物に深みを与えることと、正史と演義の違いを楽しむことができるという、沢山の楽しみ方を生み出していると思います。

 今日は、呉の武将であった呂蒙 子明(りょもう しめい)について
私の感想文を書きたいと思います。
 まだ、待合室から呼ばれないので、暇つぶしにお付き合いください。

 呂蒙は、孫権のお兄ちゃんである孫策の配下(の配下)でした。
彼は、とても貧しい暮らしをしていて、貧乏から成りあがるには武功を立てるしかないという青年だったようです。

 若い時は血気盛んで、自分のことを馬鹿にされたことに腹を立て、切り殺してしまうぐらいのヤンチャな子でした。
 たぶん、イケイケだったと思います!
 「危険を冒さないと貧乏から這い上がれないんだー」と言って、お母さんを困らせることが多々あったのだと思います。

 そんなヤンチャな子は、軍の統率において比類なき才能を発揮するのでした。
 たくさんの戦場で、功績を上げて、どんどん役職が上がってきます。
 しかし、勉強をしてこなかったので、字を読むことができませんでした。

 ある日、呉の君主である孫権は、呂蒙に勉強したほうがいいということを言います。
 勉強なんかしたことない呂蒙は、「忙しいので、無理っすよ!」と、いったん断りました。
 しかし、孫権は引き下がりません。

「忙しいのはみんな同じだ。私も忙しいけれど、昔の書物を読んで勉強することに時間を割いている。私ができたんだから、君なら絶対にできる
 別に君に博士になってもらおうと思ってるわけではないんだ。
 ただ、昔のことを知ってもらうことは多くの良いことがあるんだよ」
と、熱心に呂蒙を説くのでした。

 さすがに、呂蒙も会社の社長から、勉強するように言われたら、やるしかありませんが、軍卒(仕事)をしながら、文字を覚えて、読んで、何を書いているのか理解するところから始めないといけない。
 途方もないほどの遠い遠い道のりです。
 私なら、やったふりをして誤魔化すだろうなと思います。
 しかし、呂蒙は違った。

どうせやるなら、とことんやってやろう!
 おそらく、そんな気概だったと思います。
 元々、馬鹿にされたことで斬り殺すほどの気質があるので、負けん気は強かったと思いますし、過去の書物を読んで理解することに、どんどんと楽しさも覚えてきたのでしょう。

 そして、少しだけ時が過ぎ。
 曹操軍100万といわれる大軍勢を、たった5万の兵士で打ち破った呉の英雄である周瑜 公瑾(しゅうゆ こうきん)が若くして病に倒れた後、その後任である魯粛 子敬(ろしゅく しけい)が、呂蒙の陣営を訪れました。

「(呂)蒙ちゃん。元気でっか~??」と、魯粛は呂蒙に声をかけたと思います。
「これは、魯粛殿。見回りご苦労様です」
 魯粛は、呂蒙が昔のような「うっす!元気っす!」のような返答ではなかったため、少し驚きました。
「どないしたんや、蒙ちゃん。なんや、勉強したんかいな?」
 そう聞くと、呂蒙は勉強したことをすらすらと話をしました。

 驚いた魯粛は、目の上のたんこぶである敵方の関羽雲長(劉備玄徳の義理の弟)の対策を尋ねることにしました。
 そこで、呂蒙は5つの策を魯粛に伝えます。そのことに、魯粛はもっと驚いてしまいました。

「すごいでんがな!もう、昔、呉の暴れん坊といわれた蒙ちゃんとちゃうがな。驚いたで」
「魯粛殿。いつまでも子ども扱いされては困りますよ。毎日、鍛錬を欠かさない人に3日会わなかったら、その人はもう成長してしまって3日前の人とは違うんですよ」
「おお、せやな。蒙ちゃんは、成長しとるもんな。こちらこそ、昔の蒙ちゃんと思って話しとったらあかんな。日々、変わっていくから、先入観ちゅうもんを捨てなあかんな」
 そう言って、魯粛は呂蒙に詫びを入れたのではと思います。

 その後、魯粛は呂蒙の母親に会いに行って、「あの子の成長は目を見張るものがありますわ」と報告しに行ったようです。

 この話から「呉下の阿蒙」とは、進歩の無い人のことを意味します。
そして、「士別れて三日すれば、即ち更に刮目して相待すべし」とは、頑張ってる人は成長しているのだから、3日会わなければ、昔とは違います。だから、先入観を持って見てはいけません。と呂蒙が魯粛に言った言葉です。

 私は、このお話がとても大好きです。

 どこの部分って?
 そりゃあ、もちろん、魯粛が呂蒙の母に、このことをわざわざ話をしに行ったところです。
 お母さんを安心させてあげようという気遣いができるからこそ、偉大な周瑜がいなくなった後の呉をまとめ上げることができたのだと思います。

 ちなみに、孫権からみて、周瑜はお兄さんの義兄弟となり、孫権のお兄さん的な存在でした。
 周瑜のお嫁さん(小橋)のお姉さん(大喬)が孫権のお兄さんである孫策のお嫁さんです。

 このお話から、私は、魯粛 子敬が大好きなのです。
 とても素晴らしい人だと思います✨

 魯粛が呉にいたからこそ、孫権は帝位につくことができたと言っても過言ではないと、私は思います。
 魯粛のような人になりたいと思い続けています。


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