見出し画像

#習慣にしていること × #私のごみ拾い ×アイデンティティ

2023年4月、まさか40代になって自分のアイデンティティを見失うとは思ってもみませんでした。「今の『いま』」で自己紹介をするとしたら、

  • 4月1日から無職です。

  • 同居する家族はいません。

これがいまの自分。ある意味では、人生の折り返し地点で何の縛りもないオールフリーな状態。改めて作り直す『アイデンティティ≒自分らしさ』が、noteでのテーマです。

こんな状況ですから、自分の「存在意義」を相当に疑っています。誰の何のためにもなっていない、これまでもそうだったのではないか? とグルグルと考え出すこともしばしば。

そんな自分の習慣になりつつある「ゴミ拾い」。SDGs、マイクロプラスチック問題、心身の健康の在り方も通して、自分のアイデンティティについて一考してみます。



1.自然観察すれば、そこにゴミ

人間関係や仕事のことで心身ともに摩耗していた去年の暮れ。そんな状況までもAIは察知するのか、YouTubeで「養老孟司」さんの講演の切り取りがおススメ動画があがってきました。

養老孟司さんと言えば、2003年に一世を風靡した著書「バカの壁」です。恥ずかしながら自分は未読だったので、講演動画を見てから20年越しに読ませていただきました。

養老さんのご教示の中で印象的だったことは、「自然の中に還る場所を作ったほうがいい」ということ。叶わないことのほうが多い人間社会にすべてを求めようとすると行き詰ってしまう、そんな時に自然と繋がる方法を持っていると逃げ場になるというお話だったと理解しています。

行き詰っていた自分にはまさに「それだ!」と思ったのですが、はて「自然と繋がる」にはどうしたらよいものか? 

山にも登った、ソロキャンプもした、海も見た、川にも入った、やってないことはスカイダイビングくらいで、一通りのアウトドアレジャーはしてきたつもり。それなりには楽しかったけれど、ハマるほどでもない。というか、養老さんが仰る「自然と繋がる」とは少し違うような気もする。

並行して「朝の散歩が幸福ホルモンの『セロトニン』を増やす効果がある」と聞き、早朝散歩をしながら今まで気にも留めなかった路傍の草花を観察し始めてみました。

しかし観察といっても今までさほど関心もなかったので、何をどうすれば自然観察になるのかもよく分からない。とりあえず足元の草花に目を凝らしてみたり、何か生き物がいないかと探ってみたりしていると、、、

目につくのは意外なほど多い「ゴミ」でした。



2.海を撮影すれば、そこにもゴミ

去年の秋、コロナ流行の隙間を縫って趣味の一つである「写真撮影」のために日本海へ出かけました。

到着したのは夕暮れ時。海に沈む太陽、釣り人、広がる雲、自分なりに良い写真が撮れました。

写真撮影の基本は「引き算」。欲張っていろいろなものを写しこむのではなく、伝えたい「主題」と「副題」以外は極力削り取ることが大事です。

この時、自分が削り取ったのは「足元の砂浜」です。もっと正確に言うと、「砂浜に打ち捨てられているゴミ」です。

写真撮影としては何も間違っていない。けれど別の観点では自分は何かを見落としている。そんな違和感が残った写真旅行でもありました。



3.生き物が食べようとすれば、そこにもゴミ

写真旅行から帰り、田島木綿子さん著の「海獣学者、クジラを解剖する。」を読みました。ストランディング(浅瀬で座礁したり、海岸に打ち上げられる現象)したクジラなど海洋生物を、国立科学博物館の研究員でもある著者が解剖することで明らかになったことや、それにまつわるエピソードなどを綴ったノンフィクションです。エッセイのような読みやすさもあり、おススメです。

作中、死亡したクジラなどを解剖すると胃の中からプラスチックが検出され死因に関係しているのではないかというエピソードがあります。いわゆる「海洋プラスチック問題」です。

これまで自分が住んできた地域では「燃えるゴミ」と「プラスチック」は分別こそ推奨されていましたが、絶対条件ではありません。面倒くさいということもありましたが、分別したプラスチックはペットボトルや空き缶のように再資源化されるイメージがなかったので自分は一緒くたに捨てていました。

しかし先日読んだ新聞記事にはこうもありました。

「プラスチックを可燃処理する場合、ダイオキシン発生を防ぐために高温で焼却する必要があり、プラスチック以外のものだけを焼却するのならばもっと低温でも処理ができる。つまりプラスチックを分けて処理すれば温暖化減衰の一助にも成り得る」とのことです(流し読みだったので理解不足と勘違いもあるかもしれません)。

再資源化できなければ分別の意味がないと思い込んでいた自分の浅知恵が恥ずかしくなります。



4.自分が食事をしても、そこにゴミ

少しだけ昔話を聞いてください。

昭和五十年代生まれの自分はおそらく「中の中」から「中の下」くらいの家で育ちました。オモチャも着る服も年の離れた兄のお下がりばかり。今になれば親の愛も分かりますが、兄が乗り古して傷だらけの自転車を父が黄色いペンキで塗りなおして自分にあてがってくれたけど、恥ずかしくて友だちの前では乗りたくなかったのが思い出されたりします。

そんな我が家にある年のお歳暮で「高級ハム」を頂きました。当時のCMで「ハムの人」でお馴染みだった高級ハムです。母が自ら買うこともない高級ハムはすぐには手を付けず、何かの〝特別〟があるまでのお預けのはずでした。

しかし〝特別〟は思ったより早くやってきました。母が何かの用事で出かけてしまい、父が自分と兄の夕食を用意しなくてはならなくなったのです。「男子厨房に立つべからず」とまでは言いませんが、普段は仕事ばかりの父は料理などできようもない。そこで父は頂いた高級ハムを切っておかずに出してくれたのです。

いつも食べている薄いハムとは見た目の厚さから違う。初めて口にした高級ハムの印象は…。

「固い。」

とにかく固い。噛んでも噛んでも噛み切れない。力いっぱいに噛むのだから味は染み出してくるので、食べたことのない旨さでした。しかし噛み切れない。どれほど噛んだが分からないが、やっとの思いで飲み込みました。高級ハムとはこれほど皮が固いのだと初めて知りました。

二切れ目を箸に取ろうとしたとき、唐突に兄が言いました。

「これ、ビニールがついてんじゃないの?」

そう、料理をしない父は高級ハムを包んであったビニールを剥がさずそのまま切って皿に並べたのです。自分がやっとの思いで噛み切って飲み込んだのは高級ハムの皮ではなくビニール。自分は生まれて初めて高級ハムとビニールを食べたのでした。



5.生き続けていも、そこにゴミ 

クジラなどの動物が食べるものにプラスチックが混じってしまっていることを知り、自分も高級ハムと一緒に食べたビニールのことを思い出します。生きるために、幸せになるためにする食事が、健康を害することはやりきれない。

健康増進と心の安寧のために始めた早朝散歩と自然観察でしたが、合わせてゴミ拾いも習慣になり始めました。

ゴミ拾いを続けていると見えてくる世相もあります。

  • よく見かけるタバコの吸い殻。吸い切ったフィルター部分が多いけれど、ほとんど吸わずに捨てられた吸い殻もある。

  • 吸いきってポイ捨てされた一本の吸い殻が多いけれど、おそらく車の灰皿に溜まったものをドバっとまとめて捨てられた吸い殻もある。

  • 空き缶、空きペットボトルは多い。ランダムに捨てられていることが多いが、同じ場所に同じ銘柄のポイ捨てが定期的にあり、同じ人物が捨てていると予想されることがある。

  • 散歩コースは農作地がほとんどだけれど、肥料の空き袋、マルチングで使い終わったビニールも多い。

  • 一見なにもない小さな川の土手だが、よく見るとハウス栽培で使っただろう廃棄ビニールが埋められている。

勝手な先入観で、農業は自然とともにある産業だから自然にも優しいと思っていましたが、生産性をあげるために使い捨てされるビニールゴミが多いことにも発見がありました。拾っても拾ってもポイ捨ては続きます。ただ、意図をもって捨てられているゴミと、気づかないうちに落としただろうゴミもあるようです。

自分の散歩コースのそばに打ち捨てられているビニールハウスの残骸。少しずつは拾っているのですが、とても個人で拾いきれる量ではありません。今すぐに川と海に流出することはないけれど、少しずつ劣化して砕けて流れ出してしまうことでしょう。

少し前からビニール袋の有料化、紙ストローへの移行が進んでいますが、すでに潜在化しているビニールゴミの処分対策が講じられないと、海洋プラスチックは2030年以降も流出し続けると個人的には予想しています。


土手から出てくるビニールごみ、5~8メートルくらい続きます。


黒いビニールはマルチングで使ったものかな?
ビニールをほじくるとこんな形。劣化が始まり固くなっている上に超重いです。

子どもの頃、雪の多い地方に自分は住んでいたのですが、雪かきが手伝えるようになった年齢になった時、掻いた雪を農業用水路に捨てて遊んでいました。たくさんある雪が流れる水に入れると溶けて流れていく様子が面白かったのです。そうしたら、祖母にこっぴどく怒られました。

「川かみに住む人は、川しもに住む人のことを思え!」

川かみの住人がすべて雪を流していたら、川しもの住人は増水して困ってしまう。現在の海洋プラスチック問題にも通じることだと思い出しました。

養老さんが仰る「自然と繋がること」。”繋がる”と聞くと一対一、つまりは「自然」と「自分」の二者関係で捉えていました。でも”繋がる”とは、「円環」の中にいる自分を捉えることではないか? とも思いました。

残念なことだけど、捨てた人がいる。そして捨てたものを拾う自分がいる。けれど川しもの方たちがきれいな環境で過ごせる。海の生物が健康でいられる。未来の世代たちが美味しい魚が食べられる。。。的な???




6.ゴミ拾いアプリの紹介

終わりの見えないイタチごっこのようなゴミ拾い。一人で続けるのは心もとなく、モティベーション維持も難しい。そこで2社のアプリを利用さして、ゴミ拾いのお供にさせていただいています。

ゴミ拾いアプリ「Pirika」。ゴミ拾い活動の様子を共有して利用者同士のコミュニケーションで労いあったり、イベントに参加できたりします。不法廃棄の通報システムもあり、自分も利用させてもらったところ行政がゴミ撤去と不法廃棄禁止の注意喚起の看板を設置してくれたりしました。

もう一つのゴミ拾いアプリ「YUIMAALU」。外で拾ったゴミを写真で撮影して投稿するとポイント付与されます。たまったポイントは協賛企業の商品と交換できます。





この記事が参加している募集

習慣にしていること

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?