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本を売るということ(第15回)

 小説家の仕事は、言うまでもなく物語を書くことです。物語を書き始め、「了」の文字を打つ、そこまでが小説家の本来の仕事です。
 しかしそれは、終わりであると同時に、始まりでもあります。というよりも、「本を売る」という意味では、本が書店に並んでからがスタートです。
 そう、本を「売る」です。よく「今売れてる本」「あの本は売れた」などといいますが、本は勝手に売れません。
「よいものならば、読者は分かってくれる。だからよいものであれば自然に売れる」、今でもそう思っている人はいます。昔は私もそう思っていました。
 しかし、実際にはそんなことはありません。いくらよいものであっても、売れずに消えていく本のほうが圧倒的に多いのがこの世界です。
 なぜか。
 理由のひとつに、「売れない本はすぐに返品されてしまうから」ということがあります。本屋さんの棚には限りがあり、棚には次々に新しい本がやってくる。本がそこにいられる時間はほんのわずか。
 ないものは買えない、というのは当たり前の話です。
 もし文庫になり、再び本屋に並べば話は別でしょう。文庫なら長く棚に置いてもらえるし、手にとってもらいやすくなる。
 しかし、単行本のときにある程度の販売実績がない本は、文庫にもなりません。
 それは内容の良し悪しや作品の価値とは関係がありません。「売れるか売れないか」がすべてです。ここで言うこともありませんが、実際に私が新人賞を受賞した作品も、文庫にはなっていません(それはお前の本がつまらないからだろう、そんなご意見もあるかもしれません)。
 最初に申し上げたように、小説家の仕事は小説を書くことです。しかし、もし書いた小説が売れなければ、収入がなくなります。次の仕事も来ません。やがて、小説家は小説家ではなくなってしまいます。
 最近では小説家も小説を書くだけでなく、「売る」ことも加わるようになりました。今では色々な人が色々な工夫をしています。ネットで情報発信をしたり、イベントをしたり。
 ただし、悲しいかな、「書く」ことに関しては多少の自信はあっても、売ることに関してはド素人。ときには万策尽き果てて「買って!」と叫ぶことしか出来なくなることもあります。
 最新作である「あの日~」も、「売る」ために色々なことをしました。こうやって、制作の裏話をご紹介しているのもそのひとつです。
 他にも、本の見本市であるブックエキスポでは、少しでも多くの書店や問屋の方、特に本の舞台となった関西・神戸の方々に存在を知っていただきたいと、見本となるゲラを配ったりもしてみました。
 その結果、どうなったか。
 確かに、多くの書店の方、問屋の方に興味を持ってもらうことができました。しかし事前の注文が、出版社の予想を上回ったため、「欲しい!」と言ってくださった書店に、きちんと本を届けられないという、もっともよろしくない事態になってしまいました
 そこで出版社も重版を掛けるべきなのですが、「もし売れ残ったらどうしよう」という考えが頭をよぎったのでしょう。結局、取られた選択は「返品されるのを待って、それからちょっとずつ届ける」というものでした。誰しも損はしたくないし、リスクを取るのは怖いものです。
 しかしそんなことをしている間にも、他の本が次々と出版されていく。そして時間が経ったものは、本の海の中に消えていく。
「十万部プロジェクト」なるものを立ち上げてみても、実際は十万部売るどころか、初版の四千部すら売り切れていないのが現状です。
 今、この状況を書き起こしてみて、改めて悲惨なものだと思わざるを得ないのですが、しかしだからと言って諦めてしまおうとは不思議と思いません。
「売る」という点では、「あの日~」は大失敗でした。
 では何もしなくてもよかった? そんなことはないでしょう。あれこれじたばたしてみなければ、問屋の方や書店の方に、これほど多くのご尽力とご助力を得ることはできなかったでしょう。
「本を売る」ということは、誰かひとりが頑張ってみてもどうしようもないことです。しかしそこに関わる人たちが、ちょっとずつ手を伸ばして力を込めさえすれば、大きな歯車も動かせるかもしれません。そして、ひとつが回れば隣のも回る、歯車というのはそういうものです。
 これは、実はかなりやりがいのあることなのでは、そんなことを思います。

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