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 【スタート】

 手紙を書くというのは、とても勇気のいることです。少なくとも私にとっては。「自分の気持ちを誰かに文章で伝える」ということ自体、なかなか大変かつ難しいことですが、私にとって手紙を書くことをさらに難しくしているのは、「字」そのものです。

 お恥ずかしながら、私はかなりの悪筆で、しかも果てまで行ききって解読に特別な技術が必要な悪筆なら、それはそれで「味がある」「独創性の表れ」と言い張ることもできますが、私の悪筆はそこまでも行かず、なんとも微妙。「読めるけれども上手ではない」という、もっとも面白くない悪筆。

「誰もそんなこと気にしてないよ」「まったく自意識過剰なんだよ、キミィ」という向きもありましょうが、なんにしろ、「上手でもなければ下手でもない字」が、私を手紙から遠ざけている最大の原因です。

 なぜこんな話をしているかというと、この「字」こそが新しい作品のスタートに欠かせないものだったからです。

 2017年の秋、一通の手紙を受け取ったことからこの企画はスタートしました。手紙は「キノブックス」という出版社の封筒で、差出人には「編集部・岩崎輝央」とありました。面識のない方です。

 職業として小説を書いていると、知らない方から手紙を頂くことは珍しいことではありません。出版社から回送されてくる読者の方からのお手紙、入試で使いたいという許可を求める申請、業界団体からのお誘いなどなど。今はまだ無名の小説家なのでそういうことはありませんが、もう少し有名になればもう少し怪しく楽しい、「値上がり確実な株があるんです」といったお誘いや、「才能のないくせに小説などけしからん。ワシが添削してくれる」といった手紙も増えていくかもしれません。

 そのとき封筒に入っていたのは、そういったものではなく、少し厚めのお手紙でした。そこには、新宿の紀伊国屋書店で、偶然私の作品である「プラットホームの彼女」と出会ったこと、(その時点での)最新刊「俺たちはそれを奇跡と呼ぶのかもしれない」の感想、そして一緒に仕事がしたいという旨のことが記されていました。

 もちろん文面自体も非常に光栄なもの(ということは小説を書いている人間の自尊心をくすぐるもの)ではあったのですが、私が何にもっとも心を動かされたかといえば、それは岩崎さんという方の「字」でした。

 決して上手ではない字。それどころか、「なんとか上手に書きたい」「上手ではないけれど丁寧な人だと思ってもらいたい」ということすら感じられない字。「素」としかいいようのない字。

 同類相憐れむという話ではありません。もしその手紙が、たとえば日ペンの美子ちゃんのような字で書かれていたならば、「ほめられた、ふふふ」とは思ったかもしれませんが、強い印象は残さなかったでしょう。

 そのとき感じたことを言葉にするなら「あ、この人は物事に上手さやまとまりのよさを求めているわけじゃないんだ」ということになるでしょう。今考えてみれば、私がこの、見知らぬ出版社の見知らぬ編集者と仕事をしてみようかな、と思ったのはそのときだったのかもしれません。

 なお手紙の最後には、「新しい作品のテーマには王道のラブストーリーがふさわしいのではないか」といったことが記されていたのですが、その段階ではまだ、この提案がどれだけ厄介なことなのか、はっきりとは分かってはいませんでした。

(つづく)

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