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【エピソード】鉄人 肥田春充の伝説◎歴史から学ぶ健康法・中心力・超能力まで証明~紫の光へ

超人開発を構築する上で数々の偉人が持つ知恵や方法はとても参考になっています。

偉人は歴史上たくさん居られますが、肥田春充先生は近代的人物でもあり、伝えられる情報は真実に近いところがあると思われます。

健康法も自分の持つ世界のみに固執するのではなく、柔軟に良い部分を取り入れることで世界が広がります!

日本の持つ八百万の性質と同じです。

【肥田春充先生の歴史・要点】

もともと肥田春充先生は生まれつき強い体質ではありませんでした。

※明治16年(1883年)12月25日、五男として誕生

それどころか虚弱というよりは生きているのが不思議なほどで、全身ほとんど骨と皮ばかりに痩せ衰えた見る影もない子と言われた過去がある。

春充氏だけでなく家族も同様に酷く虚弱だった。

次々と血縁を失うなか、両親はなんとか春充だけでも体を丈夫にしたいと願い医者や薬を飲ませてみた。

時が経ち

ある時、風邪がもとで体が悪くなりかけていた。

夕方、ぼんやりと窓から暮れゆく空を眺めていると‥奥の間で誰かがしきりに何かを言っている。

「なんだろう?」

何気なく奥の間に行ってみると、父親が仏壇に灯明をあげて一心に祈っている。

「仏様、ご先祖様、あの子だけはお助けくださいまし‥どうぞどうぞお助けくださいまし、一心を込めてお願い申し上げます」

繰り返し、涙に声を震わせつつ祈っている。

父親自身の体もかなり悪くして立ち座りが困難な状態。

いくばくのない余命を感じ、自分の亡きあとのひ弱な子の行く末を案じ、一心を込めて祈っていた。

聞いている内に春充はたまらなくなってワーッと泣き伏してしまった。

父親は驚いて振り返り

「おお、そこにいたのか、泣くな泣くな」と慰め

互いに抱き合い、いつまでも泣いた。

このことがあってからである。

春充氏の胸にひとつの強い考えが生まれたのは!!

「すまない父さん、自分は今まであまりに健康に無関係だった」

「強くならねば!!!」

なんとか強い体になれないものかと父親の医学書を読み漁った。

すると、細胞の新陳代謝、という文字にぶち当たり電撃のような一大光明を得た!

人間の体は絶えず変化する。

だからこの成長発育を上手く導けば、どんな貧弱な体でも必ず改造一変することができると確信した。

この時、18歳の頃であった。

春充氏は古今東西の有名な体育法や運動法をできるだけ研究した。

そして、これはと思うものを即座に実行して、短所を捨て長所を取っていく内に、はからずも新たな方法が次々に生まれた!

これは初めから意図し、計画したわけでなく、偶然形づけられた経験の結晶にほかならない。

時には、不安の影が広がる。

「こんな弱い体に無理なことを強いて、かえって酷くなったら‥いいや‥構うものか、こんなことで生きていたところでなんになるっ!!」

だから春充は、ありふれた体操だの、深呼吸だの、冷水摩擦だの、その他一切の消極的養生法、衛生法など見向きもしなかった。

これらは、もちろん健康を保つ上で多少の効果があることは事実だが、完全の要求を持った春充氏から見ると消極的な域を脱っせないもの。

「俺がやるのは、骨のある、やりがいのある、身も心も打ち込んで行うものでなければ‥どうしてこんな人並み弱い体をつくりかえることが出来るか」と決意した。

強健術をシステム化するにあたる春充氏の指針

運動は、あくまでも自己の嗜好に適したものでなければならない。いやいやながら義務的にやるようなものであっては、到底効果を上げることができない!

やっている内に活力がみなぎるもの。

さらに重要なことは

運動に多大な時間を要してはならない、時間を多く要することは、いたずらに疲労を招くだけでなく、もっとも恐るべきことは永続慣行を妨げることである。

一生涯鍛えていく春充氏だからこそシステム化する必要があった。

永続慣行の必須は、簡易でなけらばならない。

こうして鍛えられた春充氏の肉体は軍隊の上官さえも畏怖させた。

強健の体につくりかえたあと、明治39年単身上京、現在の中央大学法学部、明治大学政治部、早稲田大学文学部のあわせて3大学4学部で同時に学び始めた。

肉体と精神は少しも疲労も苦痛も覚えず、すべて優秀な成績で卒業。

この頃、かなりシステム化した〖簡易強健術〗という著書を公刊した。

すると、きわめて詳細な内容が一世風靡した。

重版となり、陸海軍をはじめ、官庁、銀行、会社および学校から続々と講演依頼を申し込まれた。

こうした中、さらに己を磨くべく、明治44年12月、近衛歩兵第4連隊に入営する。

軍隊生活の逸話

スパルタ式の軍隊にあっては、上官による殴打は日常茶飯事のことだったが、

春充がピシッと姿勢を決めると、凄まじいまでの気迫にどの上官もたじたじとなってしまい、ついには一度も殴られたことがなかったという!

※この姿勢を決める、は様々な状況で活きてくる数多くのエピソードがある

また強健術は軍隊内でも有名になっており、隊内講演や実演をたびたび行っている。

強健術によって練り上げられた春充の体は、ボディービルなどで鍛えた体とは、趣が異なっていた。

全身の肉体は、弛緩させるとバターのようにとろける柔らかさになるが、ひと度緊張させると、たちまち鋼鉄のようになった。

猛烈に動き回っても呼吸は無呼吸のように静かで、興味深いことに脈拍は変わらないどころか、かえって運動前より静かに脈打っていたという!

時が経ち

円満無限の聖なる力を体得!杉の八分板を軽く踏み抜く。

伊豆の山中に身を置き、肉体の鍛練に打ち込んだ。

この間の苦心と努力は並大抵のことではなかったらしく、次のように書き残している。

「宇宙の大道は独り行かねばならぬ。真人はただ一人進まねばならぬ。12の使徒を連れて道を説いても、ゴルゴダの丘上の十字架は独り背負わねばならぬ。たった独り、その独りをも振り捨て猛進しなくては、自己中心の秘境は拓かれないのだ」

そして心中無門の扉を叩き続けた春充に、突如として神秘の門が開かれた!

八幡野の肥田家には、崖の上に防風林用の大木が植えられており、その木の股を利用してつくられた2メートル四方の頑丈な小屋があった。

大正12年6月18日の夜

春充はひとりこの小屋にこもって簡易強健術第4、外腹斜筋の運動を行っていた。

無我無心にやっていると

―ドカッ!!!!!

突如、いまだかつて経験したことのない恐るべき力が、腰と腹との中心から迸り出た。

それは床を突き通して地中に入り、地球の中心を貫いて―。

無限の大宇宙を無限に突き抜けていった。

無限の力!

無限の力とともに、体の中心から全身にみなぎった。

しかも軽妙、超脱、虚無。春充の体には何も残らない。

ただ白い透明な輝きのほか、、サラっ

体における一切が音を立てて振り落とされてしまった。

なんという身軽さ、気安さ、楽しさ、温かさ、感謝、充実。

この瞬間を持って、春充は今までの力とはまったく性質を異した力を体得したのである。

それまでは重い物を持ち上げる、人を投げるような単なる物理的な力であった。

「それまでの私の力は力は強かったけれども堅かった。すなわち単なる体力に過ぎなかった。だが真の中心力には艶がある。潤いがある。生命がある。無礙の力である。力ならざる力である。柔剛混溶の力である。力の精華である。すなわち聖なる力である」

そして外腹斜筋の気合応用練修法を試みて、右足を力強く踏み抜いた瞬間、

ボキッ、杉の八分板(厚さ2.4センチ)はきれいに足の形に踏み抜けているではないか。

2回3回、なんの手応えもなく踏み抜けてしまった。

ついに太い根太までも、かかとの形を立派に残してへし折れてしまった。

※写真も存在。

その自身の力を検証、厳密に調べだした時期へ

40歳にして正中心を体得する。

腰腹同量の力で中心力を掴む

腰を反り、腹を突きだし、脊髄を真っ直ぐ立てる。

重心を底面の中央に落とす。鳩尾を伸ばす。

この形が完全に正しくできた時、腰腹間に無形の一点が自覚される!

これを正中心と名付けた。

鍛練の一方、国を見渡し、自己の利害や生命を微塵も顧みずに行動した。

‥様々なエピソードも

正中心の体得はついに春充に超能力を与えた

宇宙真理を透徹し、ついにはその過程で恐るべき力が次々と発現していったのである。

超能力

透視、超時間計算、数字なき計算、物体の七転位、空中浮揚など

もっとも春充は超能力をあまり重要ではないと考えていたようだ。

中心力を正しく鍛えれば誰でも出来る。

それを証明するために数々の実験をしてみせた。

それらを実際に見た人が実験の様子を記したものが残っている。

精神療法の研究者、梅田薫、著書(精神強化療法)の中から透視に関する話を引用

肥田氏はトタン板の目隠しをしたまま、辞書や六法全書を相手の方に向かせて自由に開かせ、それは何ページであるといって一文字も間違えずに読んだ。

また「隣の部屋へ行き、そこにあるどんな本でも自由に出して文章を半行でも1行でも読んで来てください」というのでその通りにすると、肥田氏は「あなたは何という本の何ページの文句を覚えてきましたね」と言ったので、まったくきもをつぶした‥。

その他、

明治神宮、宗教界の最高幹部数十名を前にした数字の実験

同席の元海軍大将、大木英輔が口から出任せの数字20桁を書きなぐり、春充氏はカブトで目隠しをしたまま加減乗除をした実験。

空中浮揚の実験

実際に目撃した人の話によると、春充はまず磁石を腹の上に置いて横になった。

そして静かに呼吸を整えたかと思うと、いきなり体がふわりと浮き上がった。

次にそのまま回転させた。

北と言えば北、南と言えば南と言った具合に自在に変えることが出来たが、その向きは磁石の示す方角にピタリと一致した。

春充は、条件さえ整えば、他人を自身と同時に浮かせることができたようだ。

超能力と天真療法で病の人々を救う。

噂が全国に広まり、伊豆の肥田家には様々な人が群れをなして押しかけた。

前人未到の域に達した時、春充は命を絶つことを選択した。

超能力が日々新たに加わり、未来を見通す力が生まれた。

時間の形態

絶対唯一の時間

無限の時間

無限球体積の時間

動く時間

動かざる時間

時間ならざる時間

春充氏「私は今、時間ならざる時間の中に生きている」

がこれが春充にとって不幸なことだった。

「この頭脳のすみわたっていかなる宗教哲学の真の真まで見極めることができたのは、なんたる幸福であろうかと思っていたが、その頭脳の透徹が反面、非常に苦痛を伴うということが今になってはっきりわかった。つまり、世界人類の1000年、2000年後の様相まで実にはっきりと鏡の面に映されてくる‥」

見えすぎる映像を映さないようにするには鏡を割るより仕方ない‥

「我すでに、現世の哲学的遍歴の旅を終わりて、現世に死にたり。死して現世に生ある我である。これすなわち、完全なる解脱にして、真に大悟の極致である。ここにおいてか知る。死たるものの本質は、最上の安楽境にして、清美のものであることを」

かくして、食欲がまったくなくなり、水さえ飲めなくなった、

というより飲食を拒否しはじめた。

そして、昭和31年8月24日午後10時、春充はこの世を去った。

その日、紫色の巨大な火球が轟音を発して天へ昇っていくのが目撃されたという。


【余談】

肥田春充先生のエピソードや哲学の情報は膨大であったため書ききれませんでしたが、本当の内容は濃密です。

興味があれば是非著書を見つけて読んで頂くとよりわかります。

超人開発というより、内容が確実であれば本物の超人になります。

肥田式について

肥田式強健術は、腰を反り行うため義務的に実践すると腰を痛めてしまう可能性もあります。

現代特有の腰が硬い状態から、しなやかな状態になった時行うのがベストと感じます。

※中心力と姿勢をポイントにしながら健康法に活用するやり方も可能。

現代の情報社会と昔の偉人の知恵との長所短所の分別は春充先生が試行錯誤していた時期と似た環境にもなっています。

良い面を取得して活用してみてください!

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