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運命の扉は偶然あいていた/タモリで物語を考えてみた!

偶然ドアをあけた男の運命

若手芸人や芸能人がスキャンダルでテレビ画面から次々と消えていく中で、
不思議と安定した人気と不動の地位を築いているタモリさんについて物語を考えてみました。

皆さんはいつからタモリさんがテレビ界で有名になったのかご存知ですか?
もちろん、その世代の人はお分かりだと思いますが‥‥
20代や30代の人にとっては物心ついてテレビを付けたら、
いつもそこにいた存在なのではないでしょうか?

という私も実のところ、どんなキッカケで芸能界デビューしたのか?
いつからタモリなのか正確なところは知りませんでした。

そこで、ネットを検索してある記事を見つけました。
ちょっと長いですが、イイ話なのでぜひ読んでみてください。

早稲田大学を中退したタモリさんは故郷の九州に帰り、
いろんな仕事を転々とていたそうです。
保険外交員を3年務め、ボーリング場の支配人に。ボーリングのブームが去った後は、喫茶店の支配人に、その後はガードマン、絵画のヌードモデル、さらにはヘビ使い、
ヒモみたいなこともやってたそうです。
明らかに変な人だったし、社会人的には落ちこぼれに属する人でした。
30歳になる頃には、さすがにこれでいいのだろうかと、自問自答することもあったそうです。

「タモリ」というダイヤモンドの原石が発掘されたのは、
ほんの少しのきっかけに過ぎませんでした。
ある日、タモリさんは知り合いとホテルで飲んで廊下を歩いて帰るところでした。
ある部屋から賑やかな音が聞こえてきました。
「何だろう?」
鍵がかかってなかったので、タモリさん思わず扉を開けてのぞきました。
このときダイヤモンドは輝きだそうとしています。

そこはドンチャン騒ぎの真っ最中。
ゴミ箱をかぶって虚無僧に扮した人が、歌舞伎の真似ごとなどをしていました。
それを見たタモリさんは、ハッとしました。
「俺の感覚と同じじゃないか。これは俺を呼んでいる!」
虚無僧の真似をしてる人の頭からゴミ箱をとり上げ、
自分も一緒に踊り始めたのです。
突然乱入したタモリさんを、ひとりが冗談のインチキ中国語でなじりました。
そうすると、タモリさんは、それより数段うまいインチキ中国で返答。
そこの一同と一瞬にして意気投合したそうです。

その一同とは、ジャズピアニストの山下洋輔さんとそのメンバーだったのです。
その夜は、山下さんとタモリさん、名前を名乗っただけで別れたのですが、
山下さんたちは、どうしてもあの日のタモリさんのことが忘れられませんでした。
それほど、そのときのダイヤモンドの原石は衝撃的で魅力的だったのでしょう・・・。

そこから、多くの人を巻き込むタモリ探しが始まります。
「面白いヤツが博多にいる!あいつにもう一度会いたい」
その場に居合わせた人たちは「森田」探しをすることになります。
手掛かりは、「博多にいるジャズ好きの森田という苗字の男性」
これだけです。

博多で最も有名なジャズ喫茶にたずねたところ、
常連に同じ名前の人がひとりいる。それが、なんとタモリさんでした。
幻の素人芸人だったタモリこと森田一義は、
山下さんたちを中心とした「伝説の九州の男・森田を呼ぶ会」のカンパによって
上京を果たことになります。

早稲田大学を抹籍になって“都落ち”を味わって以来、実に7年ぶりのことでした。
そして最初に住んだのは、仲間の2DKの都営住宅に「居候」。
「でも1週間くらいしかいなかった。
というのは僕の母が電話をかけてきて、たまたま彼が取っちゃった。
ウチの母親は潔癖症なもので、見知らぬ男がいることを許さなかったんだ」

その後のタモリは知人の家を転々とし、
やがて、師と仰いだ赤塚不二夫宅に「破格の待遇」で居候生活。
住居は4LDKの高級マンション、ベンツは乗り放題で、
さらに赤塚から月20万円の小遣いまで支給されます。
こうして得た居候生活の極意とは「卑屈になるな」だったそうです。

ちなみに、赤塚先生は、タモリさんには豪華マンションを提供しながら、
ご自身は、事務所のロッカーを横倒しにして寝てたそうです。
タモリさんはこう言ってます。
「そのことに気づいた時には、グッとこみ上げるものがあったんだけど、
ここでグッときたら居候道に反すると思ってこらえましたね。」

ところでこの話、人生にはひょんなことから、
扉が開かれることを示唆しているように思えます。
後になって振り返ると、ああ、あそこが自分の人生の扉だったのか、
と言えるような出来事がどなたにもあろうかと思います。

そんな扉って、本当にそれが扉であることに、
気付きにくいような入り口になっているようです。
タモリさんの話です。
『俺の人生の扉、ドアは、あのホテルのドアだった。
あれを開けると開けないでは、人生が変わっていた』

ダイヤモンドが輝きだす瞬間だったのでしょう。

その後、そのダイヤモンドは日本のお昼のひとときに
笑いという光を照らし続けることとなります。
人生の転機ってどこで訪れるかわかりません。
チャンスの神様には前髪しかないという有名な話があるように、
その転機がチャンスであろうとなかろうと
何事にも積極的に行動することがチャンスをつかむ第一歩なのかもしれませんね。

この話はさらに、現在のタモリさんの大活躍に続いていくわけですが、
これまでの物語を「ハリウッド式ライティグ」の「ヒーローズマップ」でザックリまとめてみました。

ヒーローズマップ_タモリ

お茶の間の人気者になっても偉ぶらずに謙虚に、それでいてトコトン物事にこだわって生きる姿に、世代を超えた視聴者は共感するのかもしれません。

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