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「誠実」のお守り的使用法——るな・シーズン「【治癒魔法】誠実な批評について」を読んで

拡散する「誠実」 発端となったあにもに氏のツイート群から遠く隔たり、「誠実」という言葉が飛び交う。しかし、「誠実」に込められた意味の質量は、はじめから失われるように定まっている。「誠実」という語が持ち出されるとき、その語に備わった意味内容の抽象性が、その語の肯定性と結託することで、あらゆる非難から使用者を防衛する。柳父章は『翻訳後成立事情』(1982)のなかで、ある言葉の意味が乏しいことで盛んに使用されるようになる道筋を簡明に示している。 こうした柳の分析はバズワードと

    • 一番はじめの日記/批評する練習 2024/02/04

      見田宗介は1936年の日記のなかで、「思えば青春とはひとつの病であったような気もする。」というふうに記している。そうだと思う、私も、彼等も。「気もする」というような仕方で述懐される見田の語りは、青春のただなかにあってはできないような語りである。先日読んだ乗代雄介の『十七八より』と題された作品がひとつの病であったような青春の形態をとっている、ということに理由を求めて、ひとまず「書くこと」の領分を自分にも与えてみたいと思う。 『十七八より』はこのようにして始まり、予言通りに、最

    「誠実」のお守り的使用法——るな・シーズン「【治癒魔法】誠実な批評について」を読んで