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意思をまとうファッション

普段から仕事として洋服を作っているわけですが、単に形だけを作っているのではなく、その洋服自体に何らかの意味を持たせたいと思っています。

それは決して堅苦しくなく、押し付けるわけでもない、そっと添えるくらいの感覚を心掛けています。
一つ一つにストーリーを重ねて、それらを含めたものをデザイン(洋服)ととらえていただければ嬉しい限りです。

ファッションをどうとらえるかは人それぞれですし、日によってや気分によっても変わるものだと思います。
ありきたりな言葉ですが、わたしは洋服というものを自己表現だと思っています。
派手に見せないことや飾っているように見せないことはわたしの内面をある意味で表現しているわけです。かといって誰かに伝えたいわけでもなく、語らずとも解る人同士のアイコンタクトのようなものだと考えています。

ブランドを応援したいから着る、逆にこういうブランドは着ないという自分の中だけの小さな不買運動なんかも一つの表現方法です。
着ていないことは表現になりませんが、内なる自分だけには立派に届いています。その繰り返しこそが意思をまとうことに繋がっているのだと思います。
普段から一つの選択に意識することは自分自身を保ち、表現することになるのです。

時に、表現以上に主張したいこともあります。
洋服ならストレートにメッセージを文字(プリント等)として伝えることは容易ですが、重要なのは強過ぎないことと寛容であることだと感じています。そして弱いながらも一定のリズムであり続けることが最も大切なこと。
強く言って伝わるのであれば、とうの昔に世界は変わっている。
弱くていいので普段から意識していくことの積み重ねだと思うのです。
「色」を身につけることで何かを表現したり、訴えたりすることもありますが、それは形やデザインでなくとも立派な一つのファッションと言えるし、見方を変えればそんなことこそがファッションなのかもしれません。

目の前に起きる予期せぬ現実に、どう表現するのか、どう行動するのかもその人自身をきっと表しているだと思います。
表現するのか、露呈してしまうのか、それもやっぱり日頃の意識次第ではないでしょうか。

ここ何日か、ずっと履いていなかったコンバースチャックテイラーのサンフラワーを履いています。
当然のこと、誰もその意味など気にもとめない。
私も私以外もそれでいいのだ。
意思をまとうということ。

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