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安濃町を離れて感じたこと

アノウラボをスタートしてから、安濃町出身の方や安濃町にゆかりのある方から沢山ご連絡を頂いています。
町内の方やお近くにお住まいの方は直接アノウラボに来てくださっていますが、なかには県外や海外に住む方もいます。コロナ禍というのもあり直接お会いしたりアノウラボに来てくださったりというのはまだまだ難しいですが、アノウラボの取組がはじまったことを喜んでくれていて、離れていても安濃町に想いを馳せてくれていることを嬉しく感じています。

私も20代は県外で過ごしていましたし、30代は三重県内ですが安濃町外に住んでいました。それぞれ目的や理由があってのことですが、安濃町を離れることで感じることや気づくことも多くありました。

田舎を離れ都会で生活する

20代の半分は都内で暮らしていました。少し歩けばほとんどのものが調達でき、魅力的なものや人・建物やスポット・最先端の情報などに溢れかえっていました。
充実した日々を送り、多くの友人とも出会い、都会に住む恩恵も沢山受けましたが、気づくと安濃町で過ごしていた頃には普通だったことが普通でなくなっていきました。

移動はほとんど公共交通機関で、毎日満員電車に乗って出社し、満員電車で帰宅する日々。ギューギューの車内はビックリするほどの密着度で、体勢をかえるのもはばかられるほど。ちょうど女性専用車両の導入について議論されていた頃で、痴漢に間違えられないよう毎回両手を上げて電車に乗っていたのを覚えています。

駅を降りてすぐの交差点には向こうにもこっちにも沢山の人がいて、信号が青になると一斉に歩き出す。人の波をかわしながら、でもよけきれないほどの人々の往来。ぶつかる(ぶつかられる)のは日常茶飯事で、ヘタすると向こう側に渡り切るまでにそれが何度も続き、知らない誰かの足をふんでしまう(ふまれる)ことも。「すいません」って言っても肝心の相手はお構いなしに先へ進んでいて。
そんなことが毎日のように続き、いつしか私も全く気にならなくなっていました。

華やかな世界にある違和感と疎外感

アパレル関係の仕事をしていたこともあり、華やかな場にお邪魔することもありました。
某有名出版社のパーティーに、勤めていた会社の代表(社長から「行けないから代わりに行ってきて」と指示があった)としてお伺いした時のこと。
ホテルの巨大宴会場が貸切になっていて室内はフリードリンク&フード、隣の部屋には専用のカジノスペース(もちろんゲームとして遊ぶだけ)まで用意されていました。
受付には各雑誌の担当者がずらりと並び、お世話になった担当者への挨拶を済ませると、カジノ用コインを渡されて「どうぞお楽しみください」と宴会場に案内されました。そこには数百人の人がごった返しワイワイガヤガヤ過ごしていました。フードスペースにはシェフが何人もいてオールジャンルで美味しそうな料理やドリンクがずらり。壇上では有名な司会者の進行で様々な人が壇上に上がり、私が見た時には超有名な女優さんがお話されてました。
でもほとんどの人はそんなことに見向きもせず、色んな人と名刺交換したり、立食用テーブルで商談したり談笑していました。

1人きりの私は数少ない知人を探しますが、見つけても軽く挨拶する程度で、皆すぐどこかに行って顔を売ることに一生懸命。
それなら折角だからとフードエリアに行き、片手で取れる分の少しの食事と置いてあったシャンパングラスを持ちます。でも、立食用テーブルはそんな人達でいっぱいなので「あっそっか。両手塞がってるから食べることも飲むこともできないや。」と、沢山の食事が並ぶテーブルの一番端で食事だけをさっさと平らげ、シャンパンを一気に飲み干しました。

…あれ、今日ここに何しにきたんだっけ?
急に違和感と疎外感を強く感じました。なんとも言えない独特のその雰囲気に、全くついていけない自分がいました。
食べるものも飲むものも無限にあってお腹も空いてたけど、全くそんな気になれませんでした。会場にはキレイな人もカッコイイ人もオシャレな人も有名な人も沢山いたけれど、そんな人達とつながりたいとも顔を売りたいとも思えませんでした。

社長からは「担当者に挨拶すること・関係しそうな人がいたら挨拶(名刺交換)してくること」を指示されていましたが「担当者には挨拶できたし最低限は仕事したよね」と勝手に言い聞かせ、もらったカジノ用コインをその辺に置き、30分いるかいないかで会場を出て、その場ですぐ友人を誘い夕飯を食べに行きました。
この頃から、自分の思い描いていた未来と、自分が置かれている立場や環境に少しずつズレを感じはじめていました。

田舎にあるもの・都会にないもの

時間があれば年に1度は必ず帰省していました。
家族や友人達と過ごしながら、田舎の良さを再認識するというよりは「田舎はやっぱり何もないなー」って感じることが多かったのも事実です。
でもどこか、その思いに引っかかるものがありました。

そんなある時、ふと空を眺めてみました。でも実際には空がほとんど見えず、代わりに高層ビルやマンション群に囲まれた「見慣れた風景」がありました。その時はじめて、空を見ていない自分に気がつきました。
代々木公園や井の頭公園・新宿御苑など都内にある自然にも何度か訪れていて、都会の喧騒から離れて過ごす非日常の時間を楽しみつつ、実は自分の生まれ育ったまちにはそれが普通にあったことに気づきました。

仕事やプライベートで日々充実した毎日を送っていましたが、色んなことを消化したいと思っても、それを完全に消化しきる前に新しい何かが、求めてもいないのに向こうから大量にやってくる感覚がありました。
それに飲み込まれるように今日が終わり、翌日もその翌日もまた、同様に目まぐるしく日々が過ぎ時間が経過していく。満たされているようで消化不良のような日々にだんだん違和感を覚えるようになりました。

自分が憧れ思い描いていた都会での生活は、田舎にいたら得られない多くのものを得られた分、代わりに多くの何かを失っていってる。
自分の夢や目標と、変わっていく自分自身の内面とその環境に、どんどんズレが生じてきた。それが私が田舎に戻ってきた理由の1つでした。

田舎に帰ってきて気づいたこと

時折帰る田舎で友人達に会うと、何かのんびり過ごしているように感じたし、刺激が少ないと感じたこともあったけど、それは自分が何かに追われ日々を急いで過ごしていたからでした。

都会には田舎にはないものが沢山あってどれも魅力的だったけど、それは自分が田舎にあるものを魅力的に感じていなかったからでした。

長谷山や経ヶ峰に囲まれ、草木や田畑に囲まれた安濃町を離れる時には「田舎には何もない」と思っていたけれど、そのことがどれだけ貴重で魅力的なことなのか気づいていなかったからでした。

でも私は、都会に住んだことを後悔してはいません。恩恵を受けたこともありますが、同様に「田舎があること」の価値にも気づけたし、今ではそれらも含め、経験できたことを心からよかったとも感じています。
都内にいる時は私のように地方出身者が多くいましたが、ココが生まれ故郷だという友人もいました。何人かはその後、三重にも遊びに来てくれ、海や山の景色・おいしい食・満点の星空に終始感動していました。
私がお世話になった社長も実は地方出身で、でも仕事で何十年と都会に住み、そこで会社や家庭を持ったこともあり「田舎に帰れるのが羨ましい。私はもう田舎に帰って暮らすことはできないかも。」みたいなことをボソッと話してくれたことがありました。田舎に帰ってきてから、その言葉の重みを強く深く感じました。

安濃町をみんなでつくる。そんな機会を!

「住めば都」とはよく言ったもので、長く暮らせば自分自身もそこに自然と馴染み、最初は特別な場所だったのが当り前の場所になる。仕事や夢・家族など様々な理由で安濃町から離れていても、その地で楽しく幸せに過ごしているのならそれでいい。

でももし、安濃町に帰ってきたい・また住みたいって思うのなら。
そんな人がいた時、安濃町に住む私達にできることはないのだろうか。

離れて暮らしているけれど、生まれ育った安濃町が好き
そんな人がいた時、安濃町に住む私達がその接点を作ることができないだろうか。

アノウラボの存在が、そんな何かのお役に立てるのなら、ぜひいつでもお声がけください。なにができるのか、どこまでできるのか、今は分からないけど、そんな皆さんの存在も含めて「安濃町の魅力」であることは確かです。

先日、安濃町に住む住民の方から、安濃町内での壮大な夢を聞かせてもらいました。まだ紹介できる段階にすらありませんし、簡単には乗り越えられない課題がいくつもいくつもあります。
自分の父よりも年上の、人生の大先輩。でもそんなことを感じさせないほど若者のように熱く思いを語ってくれ、いくつになっても挑戦する姿に私も感動しました。
いつか皆さんにご紹介できれば。それまでは、まずは同じ安濃町に住む1人の住民として、できることを全力で模索し行動していきます。町内の方にも町外の方にも関わってもらえる、自分達のまちを自分達でつくる、そんな機会になるよう少しずつカタチにしていければと思います。

さぁ、みんなで安濃町を一緒につくろう!
新しい活動がスタートしたら、改めてここで皆さんにご紹介します。


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