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なぜ人は死を前にして絶望するのか

死の現実がもたらす二つの「絶望」

職業柄、患者さんの死と日常的に向き合っていて思うこと

人が、自らの近い未来に死が訪れる現実を突きつけられた時に襲われる絶望の根拠は、以下の二点に集約される
①未来の途絶
②関係の途絶


未来の途絶(縦の線)

人が日常的に苛まれる「不安」は、自分に未来があることには確信がある中で、その未来が不確実なために生じるものであって、その未来そのものが自分にはもうないと思えば、不安は絶望へと置き換わる。


関係の途絶(横の線)

他者との関係性、社会との関係性。もう縁者と関わることもできず、社会に自分の存在価値を示すこともできなくなると考え、この世で自らを支え、自らが貢献してきた関係性が全て途絶してしまうと自覚することで押し寄せる絶望。


終末期における医療と宗教の役割

このふたつの途絶に対する絶望に向き合わないといけないのが終末期。
途絶を不可避のものとして受け入れさせることしかできない医療者に対して、途絶を絶対的に証明することができない以上、その途絶を否定するところからはじめて絶望からの解放を目指すのが宗教の役割。

死と向き合うことは不可欠だが、同時にこれらふたつの途絶と向き合う必要性はどこにもないと思う。宗教の力、信仰の力で死とこれらの途絶とを切り離し、絶望から解放された「生と死」を、より安楽なものとするために医療の力でサポートする、終末期医療にはこの両者の力のいずれが欠けてもダメだと思う。

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