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仏教の反撃は教育から!儒学・国学に奪われた400年の空白を取り戻す

江戸幕府の宣揚した朱子学、国粋主義に悪用された国学が日本人の精神を破壊した

 今日、古き良き日本人の美徳の象徴のように捉えられる「武士道」だが、これは決して日本古来の道徳観ではない。下剋上を常とした武士による政治機構の中にあって、自家の地位の安泰を目指した徳川家が宣揚した朱子学をその思想の根本に据えて、わずか400年足らずの昔に強引に形作られたものである。朱子学の普及のためにはキリスト教の弾圧はもちろんのこと、思想や哲学としての仏教も徹底的に弾圧され、かわりに寺請制度によって戸籍管理による権力は移譲することによって仏教僧たちの学究のレベルを骨抜きにし、結果的に「葬式仏教」への凋落を招くこととなったわけである。

「寺請制度」についての詳細はこちら↓


 そうした朱子学側からの廃仏の攻勢に並行して、儒教の影響をも排除して日本古来の世界観を追究しようとする潮流も生まれてくる。これが「国学」である。しかしこの国学も廃仏を是とする点では朱子学と同様であり、当初は日本の文化や精神世界の探求に重きを置いていたのが、やがて政情の不安も手伝って日本の国家の独自性や優位性などに傾いてしまい、結果的に極端な国粋主義の温床となって明治維新後の国家神道の暴走にもつながる悲劇を生むことになるのである。朱子学や国学による日本人の思想、道徳の支配は明治維新後も続き、有名な「教育勅語」も儒教の倫理観をもとに作られているものである。


日本人の「道徳」は仏教公伝から始まった

 私が再三主張している、日本仏教の「葬式仏教」からの脱却に求められているものとして、下記の稿では死者のみならず生者も救済する信仰の回復を訴えた。

 そして本稿ではもう一つ、道徳観を育てる教学としての仏教の再興を訴えたい。我が国には仏教公伝以前より、祖霊信仰ならびに自然崇拝を軸とした神道の多神教的世界観が浸透していたわけだが、神道単独からは国家の成熟に求められる社会道徳の素地となりうるような教義が醸成されることはなかった。しかしそこへ、アーリア人が育んだヴェーダの差別主義への抵抗からインドで芽生えた大乗仏教の、平等(「空」「唯識」=究極の相対主義)と調和(救済への手段として利他を重視)を追求する教学が6世紀半ばに公伝してようやく、六波羅蜜の徳目として挙げられる「利他行」を促す教義が我が国でも称揚され、さらには我が国初の正式受戒を鑑真より受けた聖武天皇によって、華厳経の「一即一切、一切即一」の思想を軸に仏教による鎮護国家の施策が強く推し進められたことにより、我が国は中央集権国家として急速な成熟を果たすことができたわけである。

 その後、空海の伝えた密教により神道習俗を包摂して、我が国において信仰としての地位を確立した仏教であるが、このように我が国の道徳も大乗仏教を土台として成熟を果たしたものであり、この道徳・学問としての仏教の価値を現代日本人に再認識して頂くことも、「葬式仏教」の脱却につながるのではないだろうか。


義務教育の「道徳」の軸に大乗仏教を

 その出発点として、2018年度から学校教育の「教科」へと格上げされた「道徳」に、大乗仏教の精神を積極的に盛り込んで頂きたい。仏教が、ただ仏様を拝むだけ、死者を弔うためだけの儀式ではなく、命の在り方、人間の生き方、そして社会の在り方をも探究する学問として、数千年かけてアジアの人々が磨き続けてきた学問の世界であるということを、幼いうちから感じられる機会が平等に提供されるような社会の実現を、切に願う。

全日本仏教会HPより
一般社団法人在家仏教協会理事 菅原伸郎氏の記事
「道徳の教科化をめぐって3 ~宗教者の役割~」
http://www.jbf.ne.jp/wp-content/uploads/site211/files/pdf/symposium/doutoku610.pdf

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