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流れるアクセサリー

「ありがとうございました」
紗矢香は客を見送った。クリスマスシーズンの店内はいささか混雑しており、すぐにほかの客に声を掛けた。
紗矢香が働くジュエリーショップは都心の一等地にある。少し歩けば三つの駅が最寄りになるほどアクセスが良く、昼間の客はほとんどいないが、夜は仕事帰りのビジネスマンが多く立ち寄った。

「今日も忙しかったわね」
紗矢香が閉店作業をしているときに仁美が話しかけてきた。仁美はこの店の店長であり、紗矢香の先輩でもある。仁美は今日の売上の集計をしていた。
「毎年のことで慣れましたけど、今年はいつもより忙しいです」
「しかも男性一人客が多い気がしない?」
「わかります。今年はなぜか特に」
「そういえば今年のクリスマスは休むんでしょう?」
「早上がりする予定です」
仁美はショーケースを拭いている。
「せっかくの誕生日なんだから、休めば良かったじゃない。どうせクリスマス当日は店混まないんだし」
「でも、ソワソワしてしまって」
「プロポーズ?」
図星なことを言われ、仁美は照れてしまう。
「けっこう長いんでしょう? 三年だっけ」
「五年です」
「ちょっと長すぎるわねぇ」
紗矢香と直人は大学時代からの付き合いだ。ほかにも同級生同士で付き合ったカップルはいたが、皆、就職のタイミングで別れてしまった。これまで交際した男性はいたが、直人ほど長期的に交際した人は初めてだった。
「でも、あの人意外は考えられなくて」
「こう言っちゃナンだけど、社会人三年目、仕事に慣れてきたタイミングで話がまとまらないと、時間が過ぎていくだけだと思うわ」
紗矢香は返す言葉がなかった。それは紗矢香自身も考えていたことだった。今度の誕生日に事が進まなければ、正直な気持ちを伝え、場合によっては関係を解消することも致し方ないと考えていた。

クリスマス当日の店内はいつもより人気があった。
「こちらはお渡しまでに日数いただきますが、よろしいでしょうか」
注文のほとんどが当日持ち帰れないものであった。客はキャンセルするか、一緒に選んだことに満足し、気にせず注文するかのどちらかに分かれた。
「……」
紗矢香は手元の時計を見た。上がり時間が迫っているが、店内の混雑状況は変わらなかった。残業するしかないと考えていたときだった。
「紗矢香ちゃんは予定通り、上がってね」
仁美が客対応の合間に近寄ってきた。
「え、でも……」
「大丈夫。これは私の読みが甘かったせいだから。いつも子どものことでお世話になってるし、お返しさせて」
紗矢香は一児の母親でもある仁美の代わりに勤務することがままあった。同じように代わりに勤務する同僚の中には不満に思う人もいたが、紗矢香はそうではなかった。社会人として基礎から教えてくれた仁美が、単純に好きだっだ。
「ありがとうございます。行ってきます」

紗矢香と直人は都心から離れた、カジュアルレストランに来ていた。ここは定期的に訪れる店で、二人が初めて食事をした場所でもあった。直人にお洒落な店にしようと言われたが、落ち着かない紗矢香は、この店を希望したのだった。紗矢香は小綺麗なワンピースを着ていたが、直人はさほど普段と変わらない装いで、それは紗矢香を不安にさせた。
「最近どう? 店忙しい?」
直人が前菜をつまみながら聞いてきた。
紗矢香は男性客が例年より多いと話すと、直人はあまり興味がない様子で相づちをした。
「直人はどうなの? 仕事」
「最近ちょっと慣れてきたかなと思ったらさ、今度はやったことない業務任されちゃって」
「そうなんだ。大変だね」
「でもこれで成果出せたら、もっと大きい仕事を任せられると思うから頑張るよ」
紗矢香は自然と努力ができる、そんな直人が好きだった。

「誕生日おめでとう」
テーブルには誕生日ケーキが運ばれていた。紗矢香がロウソクの火を消す。
「それと、これ」
直人が細長いケースを差し出した。
「開けてみて」
紗矢香が手に取ると、中にはネックレスが入っていた。
「悩んだんだけど、付き合って初めての誕生日にあげた、原点に戻ってみようと思って」
気づいたときには、紗矢香は泣いていた。直人はなぜ泣いているのかわかっていない様子だ。紗矢香にもわからなかった。いや、わかっていながら認めたくなかったのかもしれない。直人にプロポーズされることはないのだと。

店から出た二人は無言で夜道を歩いていた。
「俺、何かマズいことでもしたかな」
「……ごめんね、急に」
二人の間で沈黙が続いた。紗矢香は落ち着いて正直な気持ちを話そうとしたとき、
「こんなタイミングで悪いんだけど……」
直人が紗矢香の手をとり、手に何かを施してきた。そこには暗がりの中、光り輝く指輪があった。
「本来ならお店で渡すべきなんだろうけど、恥ずかしいけどそこまで高くないものだからさ。明るい場所だと紗矢香には気づかれちゃうと思っ―」
話し終わる前に紗矢香は直人に抱きついた。
「ありがとう。嬉しい」
直人も頬が緩み、紗矢香を抱きしめる。
「今日はじめて紗矢香にも似合わない、流れるアクセサリーがあると思った。ごめんな、さっき渡せなくて」
「ううん」
「だから、悲しいことがあっても二人で共有していこう。これかも、ずっと」
「うん」
紗矢香は幸せを噛みしめながら言った。
「俺と結婚してくれる?」
二人は互いに見合って。
「もちろん」
紗矢香は笑って答えた。

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