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夢見る妹と姉の巻き寿司

20年以上前のことである。バスを待っていた。
バス停で後ろに並んでいたおじいさんとおぼしき男性が、「こっちはいつだって出ていかせられるんだからね」みたいなことをおばあさんとおぼしき女性に言い、静かに、だけどまったく穏やかではない感じで「おどして」いた。おばあさんは「そうしていただいて構いませんから」とこれまた静かに対応する。その後もずっとチクチクとおじいさんが何か言ってくるけど、バスに乗りたいから仕方がないのか、おばあさんは迷惑そうだったけど逃げることもなく並んでいた。

平日の昼間のバス停という、一見平和なシチュエーションで静かに始まった大家と借り主(だと勝手に推測)の修羅場に、とても驚いていた。でももっと驚きだったのは、耳をダンボにして後ろの2人のやりとりを聞いていた私の正義感がうずいたことかもしれない。おばあさんを助けたい!そう思った。さらに、今の私には無理だ・・・でも、もめている内容から察するにきっと法律の知識があれば助けられる!私、弁護士になる!と、唐突に決意したのだった。

なんでやねん!とバスを待っていた人全員に突っ込まれても仕方がないが、そうなってしまったのには理由があった。当時20歳を過ぎたばかりの私は『アリー・マイ・ラヴ』という弁護士が主人公の海外ドラマにどっぷりとはまっていた。それで偶然居合わせたトラブルに、にわかに抱いていた弁護士への憧れが勢いよく溢れ出てしまった、というわけだ。恥ずかしすぎる。さらに恥ずかしいのは、親に「弁護士になりたいと思っている」と伝えるくらいには一瞬でも本気だったのに、法律の勉強を始めるわけでもなく、ドラマの影響で正義感をギラつかせただけで終わったことである。そんなんじゃあ、おばあさんは救えない。

いつだってそうなのだ。いつだって、簡単に夢を見てしまう。

10代の頃は舞台俳優を目指して劇団に入り、人間関係につまずきあっけなく退団。結婚してからも、WEBデザイナーを目指してスクールに通ったこともあった。WEBデザイナーとして仕事をしたことは一度もない。

漫画の設定のようだが、夢見がちな私にはまるで正反対の堅実な人生を歩む6歳上の姉がいる。「弁護士だかウェブデザイナーだか知らんけど、いつまで夢を見てるんだろうね」と親さえ言わなかった一言で私をズバッとたたっ斬る。ごもっとも!としか言えないが、若かった私は、そりゃあんたの人生は堅実だろうよと不貞腐れたものだ。

中学3年生で自分の進路を決めその道の専門の学校へ進み、学んだことを仕事にし、途中回り道や中断を挟みつつも続け、今は独立して一人親方でやっている姉である。ほぼノープランで生きてきた私からしたら、もう神の領域だ。同じ親から生まれておいて、この違い。昔は出来が良すぎる姉は嫉妬の対象でしかなかったけれど、私も歳をとった。15歳で決めた道を今でも歩み続ける姉は、もの凄くかっこいい。

とか言ったら「きれいにまとめるな!」とまたズバッとやられそうだ。そう。やっぱり順風満帆な人生というものはそうそうなく、姉も例外ではなかったようだ。姉がまだ20代の頃、仕事をやめて、一時期アルバイトをしていたことがあった。180度違う職種のお弁当屋さんである。詳しい事情は知らないが、ままならないことがあってのお弁当屋さんだったのだと思う。しかし姉はそこで、あることを極めてしまう。太巻き、中巻き、細巻きを日々巻き続け、巻き寿司の技術を習得したのだった。一度叩き込んだ技を手はずっと覚えているようで、お正月やお盆やと家族が実家に集まる時、いつも姉の巻き寿司は食卓の真ん中に鎮座する。回り道をすれど、何かを手にして戻ってくる姉である。

またもやきれいにまとめてしまったが、もちろん、そんなエピソードばかりではない。母の「ここだけの話だけど」で始まる姉の近況はなかなかに大変そうだった。気難しさを漂わせがちな、つまりとっても怖かった姉が驚くほど穏やかになっていったのは、歳を重ねたからという理由だけではないのだろう。

私が言うのもなんだが、姉の巻く海苔巻きはどこに出しても恥ずかしくない代物だ。具がバランスよく中心に収まる断面は美しい。仕事といい巻き寿司といい、ついでに30年近く趣味で続けているギターといい、姉にはコツコツと育んできた図太い芯がある。大人になった妹はもう嫉妬することはなく、姉は自分が手に入れられなかったものを持っている尊敬すべき大人だ。尊敬の念と冷やかしも込めて「社長」と呼んでいたら、ルール上「社長」ではなく肩書は「代表」なのだと言う。なんだか夢がない。でも悔しいが、そんな現実的な肩書を持つ姉を見て、夢見がちな私は地に足を付けて給食のおばちゃんを続けていこうと思っているのだ。

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