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発達障害の一例

〜私の場合〜

あるあるであるかは、決めつけられないため分からないですが、あくまで私の例です。
また、発達障害といえかなりの個性特性があるため、様々な症状や困難のため、ひとくくりにはできないのが実情です。
だから、よく言う「千差万別」です。
人それぞれに特性を感じ、困難を感じ、
症状が様々に重なりあうため、総じて「自閉症スペクトラム」などと名前がつきます。


息苦しい時があったり、
逃げ出したくなったり、
見ていられるといつも通りのことができなくなってしまったり、
人の機嫌の悪さを過敏に感じ取り、自分のせいのように捉えびくびくしたり、
幼少期から、学校にて、忘れ物を気をつけていてもしてしまい、怠けものであるとかしっかりしていないと見られ、人より激しい叱責や体罰を受ける中で全く自己肯定感がない状態で、しかし、自分では限界超えて頑張ってるから叱責がつらいこと。疑問があること。

ただ、失敗が重なること。


第一の辛さは、周りもみんな同じ辛さを抱えてると信じて疑わなかったこと。それにより「苦しい」とか「助けて」と言っていいんだ!という選択肢すら浮かばなかったこと。自分だけがだめな人間だと感じ続けたこと。
何かがあってこうも苦しいのではなくて、欠陥品のように思ってしまう事象があまりにも日常にあふれていたこと。成功体験などとはかけ離れていたこと。

人と状況がかけ離れてるのは
息苦しいのは
なんで?
何かちがうの?
原因とかあるの?


と思える知識があればよかったこと。
幼少期、幼稚園から続く苦しさに、両親にすら大学に入るまで話すことや相談することという選択肢があることすら全く頭に上がらなかったこと。
だから
結果的に、両親も私が長いこと苦しかったのは全く気が付かず知らなかったこと。むしろ楽観的だと見ていたこと。

あの時もあのときもこうだったから苦しかったんだよ、こんなふうに叩かれたよと伝えるたび、本当にびっくりされて、気が付いてあげればよかったねと、涙されたこと。

何か原因をしらべよう!という、時代でもなくクラスに何人かいる、今では法律ができて、守らなくてはならない存在などとは、全く知らなかったのです。



以前の記事にも書いた、
電車の窓から小さい人が走りながら、電車と並走しながら一生懸命走っている姿を感じて、満員ラッシュや不快な電車の中の時間も助けてもらえたこと。

今思うと、あれがなかったら抑えられないほどの焦りや息苦しさがとめられなかった。

原因がわかった今で、はじめて、電車の中の苦しみの回避の仕方が分かったから、30年も前は本当に毎日苦しかった。
なのに、高校で1時間強、大学は片道2時間の距離を毎日満員ラッシュにゆられていたから
「自分!そこはよく耐えた!
しかし、



もっと近場を選べなかったか……………?!」


とアドバイスしてあげたい!
そう、近場を選ぶ、などという高度な考えすら浮かびませんでした…!
今からすると、
その頃の自分に
おしえてあげたいこと
沢山沢山あるよ。


そこに気がつくのが、40歳手前。


長かったです







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