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フランス革命中の「九月虐殺」を知り人の命の重さを考える。

「死刑執行人サンソン」読み切りました。
読んでいる間はすごく充実した時間を過ごすことができました。
18世紀における死刑執行人の身分とは、どのような処刑が為されたのか、フランス革命中の出来事、ルイ16世を処刑する前の葛藤等々。知らなかった知識にたくさん触れることができました。

元々はサンソン家4代目の死刑執行人シャルル=アンリ・サンソンの人となりを知りたかったために読み始めた本でしたが、フランス革命の出来事がより強く印象に刻み込まれました。

多くの血が流れた革命らしいという話は聞いたことあったものの、その詳細を知るのは今回がほとんど初めてでした。特に「九月虐殺」は、人々の中で「人命」が極端に軽くなった出来事として知るだけで根源的な恐怖を覚えました。

九月虐殺をすごく簡単に説明すると、フランス革命の時期に国内で疑心暗鬼が広がった結果、反革命派が捕らえられている監獄で革命派が裁判を自分たちで行って有罪になった人々をその場で死刑にしていった出来事です。ただ殺害するだけでなく途中から残虐な方法で罪人を殺害するようになったとのこと(王妃マリーアントワネットの取り巻きの一人だったランバル夫人については思わず目をつぶりたくなるほどです)。

ほとんど衝撃的といえる内容です。現代日本で暮らしている自分の感覚からすれば、「殺人」とは最も深いタブーで、犯した瞬間にそれまでに築いてきた全てを崩してしまう大罪です。しかも当時のフランスにおいては、公の裁判を通じて死刑判決が下った死刑囚に、国王に任ぜられて刑を執行していた死刑執行人はひどく差別的な扱いを受けていたといいます。「九月虐殺」に関わった人々はそれ以上に自己中心的に、それも自らの手で殺人を行えるのか。

いくら革命中とはいえ、「”平等”という絶対の正義」を掲げたつもりになっているからとはいえ、公開処刑などでむごたらしい死刑を普段から目にしてきたからとはいえ、ただの一般人がそれを自分の手で犯してしまえるのか。

また、その後の恐怖政治の時代にも数千人が、無実の者も含めて、ギロチンの上で命を散らしていることも忘れてはなりません。

それらの出来事からまだ300年も経過していないことは衝撃的です。

確かに今よりも人間は死にやすく、死も身近な出来事としてあったでしょう。だからと言って、人の命はそこまで軽くなるのか。死が日常生活から隔離されている現代日本と当時のフランスの間に大いなる隔絶を感じるものの、現代社会と一枚薄皮を隔てたところに同じモノが現代でも眠っているような感覚もあり恐ろしいとしか言えません。

あの時代に共和制がフランスで確立されたがゆえに、”この”現代があるともいえるため、現代の恩恵を享受する者として一概に革命自体を否定することはできないです。それでも、その時代を乗り越えその歴史を知った者として、人命がいとも簡単に軽くなると知ったがゆえに。世の流れが歴史を繰り返そうとしたときに反対の声を挙げられる人でありたいです。

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